狂気に呑まれぬよう注意せよ
そろそろ正午を迎える頃。
カタカタとキーボードを叩く音だけが暗い部屋を満たしていた。 パソコンのぼやんとした明かりだけを頼りに一人の少女が入ってきた。
部屋にいるのは一人だけで、音は止まない。
「ツバサ」
唐突に少女がキーボードを叩く人物へ声を掛けた。ツバサは振り返ることなく、我が補佐の役を担っているリカに「手伝ってー」と相変わらず本心からなのか分からない声をだす。
「うるさい」
「減給してやる」
「私も手が余っていない。断念しろ」
「ッチ それより偵察に出したシドレたちはどうした?」
リカを一度も視界に入れないツバサの隣にリカが立つ。ツバサの周りを囲む機材は暖かく、居心地は最悪だ。
「私の一存でアイも連れていかせた。」
「……まあ、いいけど。で?」
「トラックの荷台は空。運転席にはそれぞれ二名。胸に貼ってある名前からして大地の組織の下っ端だとわかった」
「おや、嫌な予想しか思い付かないね。何、現ノームに反抗して迷惑な事に、俺の首でも狙ってきた?」
「ご名答だ。先程、宣戦布告のメールが届いた。」
「そう」
素っ気なく返事を返すツバサ。リカはそれでいいのかとツバサの表情を盗み見る。 そしてゾクリと寒気が全身を通った。
ツバサは笑っていたのだ。口元を歪めて、冷たい色をしている目は玩具を手にする子供の様。
リカは数年前の自らの上司が狂っていた姿を脳裏に浮かべた。
ツバサは酷く好戦的な質だ。そのうえ、案外短気でもある。
それは本人も十分理解している。だから普段からそれを抑え、制御している。しかしこのように相手側から宣戦布告してきた場合はスイッチを入れてしまう。
彼は殺人に、異常なまでの快楽を覚えている。狂っているのに、理性がある。
理性がある上での狂気。
ツバサが殺った死体は身元、性別どころか種族さえわからないくらいグチャグチャにする。
ツバサは基本的に、仲間には優しくしてくれるが敵には一切の容赦がない。
リカは密かに、後処理をする身にもなれ、未成年ばかりの学園では手加減をするだろうが……と同時に思い、深刻な溜め息を吐く。
「………今話した偵察の報告が無駄になるくらいの情報が入った。」
「何?」
「トラックの荷台に潜んでいたと思われる大地の組織下っ端、約50名が学園のハイジャックをした」
「俺が造った学校メチャメチャにしたら全滅させてやる。」
「人質とられた」
「は?誰その間抜け。」
「口を慎め。 人質はAA-1クラス所属のソラ、一名だ。」
「はい、全滅決定ー。」
それにしても暗殺者が捕まるなんて笑える話だね
まったくそう思っていないだろう
リカがそう言いかけて止めた。
ツバサは薄い携帯電話を取り出して電話を掛けた。そして一方的に話し、一方的に切る。
リカは電話の相手にすぐ予測がつき、その小さな肩の力を呆れた溜め息と共に抜いた。
「サクラか。」
「急用が出来ちゃったんだからいいじゃん。仕事パスしても」
「総大将が本陣から出て前線に参加するか?しないだろう?貴様はここから動くな」
「前半は理解できたけど後半はまったくできないなー。」
「貴様っ!!」
リカの横を抜けてツバサは出口まで歩く。リカはツバサの後についていき、彼が廊下に出るとすぐに呪文を唱えた。
「"ダークネス"!!」
「おぉっと…!っぶな」
黒く大きな針のようなモノがツバサを標的に発生した。ツバサが一歩足を下げて避けるとソレは粒子となって消える。
慌てた様子もなく、まるで赤子の腕を折るほどの余裕で避けたツバサにリカは舌打ちをした。
「上司に向かって攻撃はいただけないよ?リカちゃん」
「ふん。知るか。」
下級魔術だけ唱えたリカはまだ魔力に余裕がある。ツバサは上級魔術を唱えられると不味いなぁーと他人事のように思いながら駆け出した。
進む方向は出口。
いつもの逃亡劇の始まりだ。
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