印鑑奪還編
毎晩のごとく、ルベルは夜の路地裏を走っていた。それは日常化したことであり、気に止めてしまうほどの出来事でもない。そしてルベルの前方でサブラージが走っていることも、また、気に止めてしまうことでもない日常だった。
「信っじられない!」
「そりゃ俺の台詞だっつーのマセガキ!!」
ルベルの数メートル先を走るサブラージは軽やかに走る。いつもの光景に、今晩は違うものがあった。 いつもはサブラージの手にルベルが奪還したい目的の物があるはずなのにないこと。そして目的の物はまだ誰も手にしていないということだ。さらにここはルベルたちが暮らす西区ではなく、中央区。
中央区は他の東区、西区、南区、北区とは違い、高いビルがいくつも鎮座しておりこの防御壁都市の中で一番賑わいをみせる地区だった。道路は他と違い広く、常に絶え間なく車や人が行き交う。
そんな中央区の外れにルベルとサブラージの目的の物が存在しているはずなのだ。 奪還屋と回収屋の仕事が被ることは今までに何度も何度もあったのだが、今回は少し違っていた。それは二人とも依頼者が同じだということ。 依頼者はどうしても今回の目的の物を手にいれたいらしい。
「ちょっと、私の後に着いてこないでよ!!ストーカー!?」
「スト……っ!?テメェこそ俺の行く手を阻むんじゃねぇよ!!」
「いやあああ、ストーカーっ!」
「あっ、テメ!叫ぶなバカ!」
「ルベルってロリコンなの!?なんなの!?」
「んなわけあるか!!酒も飲めねえ餓鬼なんかに興味ねぇ!!」
「だったら私の前走ってよ!」
「サブラージが俺の後ろ走ったらテメェ、俺に手榴弾か短剣投げるだろ!!」
「今日は投げない!」
「いーや、信じらんねぇ!つか今日はってなんだよ、今日はって!」
「今日は投げる気分じゃないから投げないの!!もう、なんでもいいから前を走ってよ!!」
「嫌だ!!妖しいぞ!!」
「……ッチ、これじゃあ私の作戦が……」
「お前何か言ったか!?」
「なーんにも言ってない!」
サブラージの舌打ちはルベルには聞こえなかった。ルベルはサブラージに首を傾げたが、数秒後にはもう気にしておらず、いつも通り目的地へ走る。同じ目的地であるサブラージが前を走るのはいつものこと。
「なんか変だよな……」
サブラージの後ろ姿にルベルは眉を潜めた。いつもは前からでも手榴弾を投げてくるのに、今日は走っているだけ。
今晩彼らが目的にしているものは印鑑。北区のマフィアからの依頼だ。北区のマフィアをもっとも嫌うルベルは仕事だと割りきって契約している。北区のマフィアには、彼の大切な恩人でもある神父と唯一の肉親だった妹のユアンを殺したガンマが所属している。 ルベルはマフィアが憎かった。ただ自分の利益のためにしか動かない彼らが、武力で事を押さえ付ける彼らが。
今回、彼らが印鑑を欲している理由は奪還屋のルベルは知らない。興味もない。――だが、サブラージは彼らが印鑑を欲している理由を知っていた。興味がなくても、それは彼女の存在に関係することだった。
「……」
「あ?もう着いたのか」
目的地に着いた。そこは研究所。夜の闇の色がかかって白いその建物は灰色になっていた。 息を切らしながら、静かにそれを見上げるサブラージは盗み見るように髪の隙間から隣に立つルベルを見た。ルベルは手を腰に当て、片足重心で研究所を見上げていたが、すぐに装備していた剣を鞘から抜いて持った。踏み入れようと研究所に近付いて、サブラージが動いていないことに気がついた。いつもなら真っ先に入るのに。
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