懐疑から
 



「よお、待たせたな」

「……なにそれ。大丈夫?」



筆箱も見飽きていたフラーウスにルベルの掛け声がした。フラーウスがそちらを見れば、声のトーンが下がる。ルベルの服があちこち傷だらけになっていた。頭から流れている血も見える。フラーウスはポケットティッシュを取り出して公園の水のみ場を指した。



「絆創膏しかないけど、その怪我に貼ろう。傷口を水で……」

「いらねえって。心配すんなよ」

「ルベルって怪我を放置しそうなんだよね」



フラーウスはため息を吐きながら水のみ場まで行く。蛇口に手を添えながら、絆創膏をもつ手でルベルを手招きした。躊躇ったルベルだが、時間をかけるような場面ではないと、フラーウスの言うとおりにした。



「筆箱はお前に預けていいって言われてる。俺の仕事はこれで終わりだ。痛ぇっ、もっと優しく洗ってくれよ」

「そう。じゃあこれで解散だね、お疲れさま」

「送ろうか?」

「大丈夫だよ」



洗った傷口の水分をティッシュで拭き取り、絆創膏を貼った。フラーウスはゴミとなった血が付着したティッシュをルベルの手に預けると「じゃあね」と手を振り、立ち去った。

フラーウスにはルベルの手伝い以外に済ませるべき用事があり、急いで西区へ向かっていた。早く帰らねばならないと言う気持ちもあり、用事は早く済ませてしまいたかった。
地下鉄に乗り、歩いて付いたのは中学校。右都が通っている中学校だ。夜の中学校は昼間の騒がしさと正反対で静けさを保っていた。静寂の学校は、普段のイメージと違って不気味にしかみえない。どこかのすきま風が音を立てている。それはフラーウスを邪魔するように、呼び掛けるように、誘い込むように。

フラーウスは正門の反対側にまわり、裏口から敷地内へ侵入した。物音を一切たてない。わずかしかない監視カメラを避け、懐中電灯で居場所が一目瞭然の警備員の目を掻い潜り、校舎内に侵入。一年四組の教室へ向かう。右都が在席しているはずの教室だ。

フラーウスは右都を信頼していなかった。彼女の優しさはありがたく、情報屋として信用できる。過ごした時間の短さはこの際関係ないとしても、フラーウスは彼女の存在を疑っていた。ころころと態度を変え、たまに記憶が欠落しているような部分があった。まるで昼間の右都と夜間の右都――別人のようで。散々フラーウスが考えた結果、彼女が本当に「右都」なのか知りたくなった。

教室への侵入が無事に済んだフラーウスは教卓の上に置いてある教室の配置図を見た。四角の図形が規則的にずらりと並んでいる。四角のなかには名前が記されており、生徒の席を表していることはすぐにわかった。フラーウスは人差し指をたて、四角をまっすぐになぞる。
沢山の名前をたどり、そして一点で止まる。フラーウスはその時、呼吸を忘れていた。やっぱり、と懐疑から確信に替わる感覚とまさか、と現実を疑いたくない否定的な感情だった。
するとフラーウスは教卓にひじを抱えて頭を抱えた。息が口から漏れた。ため息だった。
フラーウスの指が止まったのは「左都」という。右都に名がそっくりだ。

右都という少女は実は二重人格障害者なのではないかとフラーウスは考えていた。不審に思ったのはまるで人がかわったようにコロコロとかわる態度。そして謎の日記の存在。はじめはフラーウスの空想でしかなかったのだが、気になり出したら止まらず。ついに学校に侵入するまでにいたった。

右都が在席しているはずの一年四組に「右都」という名はない。そっくりな「左都」はある。フラーウスはすぐに教室から出て右都の家を、今暮らす家を目指した。足取りは力強く、早い。