SSS

  

その日、マレ・レランスはただ眺めることしかできなかった。いや、本当にその光景を眺めていたのか。あまりに受け入れられない現実を突きつけられて、ただ呆然としていたのだった。

――故郷が――、ブルネー島が炎に包まれている。

そう気が付いたのは今から数時間前。深夜の出来事である。
突然、騒がしくなって目を覚ました。両親はつい先日他界したばかりで、広い家には自分と妹だけであるはずだ。故に、常に静かな空間であるはずの我が家が、騒がしかったのだ。時計を見れば深夜であるはずなのに、窓の外は赤く、明るい。眩しいと目を細め、そして覚醒した。深夜なのになぜ窓の外は明るい? なぜこんなにも騒がしい? ……なぜ、こんなにも火照っているのだ。

そんなの、窓の外を注視すれば分かる現実だった。


「火事……?」


そう、燃えていた。全てが。
だから窓の外は明るかったのだ。
人々は逃げ惑っていた。
だから騒がしかったのだ。
火事だから体は火照っていたのだ。


「っ逃げなきゃ! ――ミソラ!!」


マレは飛び起き、妹の寝室へ駆けた。しかしそこに妹などいなかった。ベッドはすでに冷えきっている。
家中を探し回ったが妹のミソラはおらず。玄関へ行くと、そこに妹の靴はなかった。先に逃げたのだろう。マレはどこか嫌な予感を感じながら靴を履き、外へ出た。

熱気がマレを襲う。火の粉が待っている。赤い、赤い、炎がすべてを食らい尽くしていた。
喉が焼ける。暑い。熱い。あまりのあつさに目も次第に痛くなってきた。焼け焦げた臭い、腐臭、肌にはりつく脂。マレは咄嗟に詠唱した。火を消そうとしたのか、あつさから逃れようとしたのかわからない。水属性の魔術を行使しようとしたのだ。


「マレちゃん、逃げて!」

「おばさん……」

「島全体が焼けているみたいよ!」


マレがおばさん、と呼んだ中年の女性はすでに半身が赤くなっていた。いや、燃えていた。炎に包まれながらマレに逃げろと叫ぶ。助けて、ではなかった。


「おばさん、待って、今、いま……っ、その火を消すから!」


おばさんは幼い頃からお世話になっている隣の家に暮らす女性だ。何度も夕食に招いてくれたし、両親の次に身近にいた女性だ。血の繋がりはなくとも、彼女と家族であると言っても過言ではないだろう。


「『水よ、私の声に答えよ。泉から漏れる聖水と美しい山水を』――」

「逃げなさい!!」


おばさんには家庭があったはずだ。二人の子供がいて、仲の良い夫がいたではないか。なぜ、今ここには彼女しかいないのだ。彼女の背後には炎があった。そこには家があるはずなのに――。


「私だけが助かっても……、仕方がないの」

「いっ、いや、生き残ろう、私と!」

「逃げるのよ。マレちゃん」


正直、おばさんが何を言っているのか分からなかった。おばさんは、火に包まれてしまったのだ。ついに絶叫が響く。火を消したところでおばさんは助けられない。マレは足がすくんだ。おばさんはフラフラと頼りない足取りで『家』に帰っていく。ただ、焦げた臭いと、生臭い絶叫を残して。しばらくその声を聞いて、その声が途絶えてからマレは『騒がしい』正体を鮮明に聞いた。
絶叫していたのはおばさんだけではない。あちこちから、たくさんの人々の絶叫がするのだ。あついのに、寒気がした。
動けない。
マレは、動けない。

足がチリ、と音を立てて燃えだしたことにも気が付かない。


「バカ! なにやってんの!」


マレに渇を入れたのはラリスだった。ソラと同い年の少女で、彼女も魔術師だ。ラリスはマレの足を丸い目で見た。ラリスに怒鳴られてマレはやっとその状況に気が付き、慌てて魔術で火を消した。真っ赤な火傷が痛々しい。ラリスは顔を歪める。


「マレは死ぬ気!?」

「……呆然としていたわ……。ごめんなさい」

「もっと注意してよ! ……ところで、ソラは?」

「ミソラ、いないの。先に逃げたんだと思うけど」

「姉を置いていくなんて薄情ね。いいわ。私がソラを責任もって探しとくからマレは避難してて!」

「私もソラを探すわ」

「そんな大火傷した足で動かれたって足手まといよ。私を信じて」


ラリスは冷たくも、しかしマレを心配した。
確かに、火傷を意識した今、立っているだけでもマレには過酷なものだった。いっそ足なんて切り取ってしまいたい。切り取ってしまったらどれだけ楽なのだろうか。そんなことを考え出すほど、大火傷は激痛だった。
しかしこんな痛み、妹に比べればまったく比ではない。大火傷など構わず走り回れる。


「私がソラを必ず見付けるから! マレはこのあとどうするのか考えといて!」


ラリスはそう叫びながら走り去って行った。マレもソラを探そうとした。ラリスを信じていないわけではない。ただ、ミソラが心配なのだ。


「――お嬢さん」


きっと、マレとラリスの会話を聞き届けていたのだろう。ラリスがさって、背後から男性が話し掛けてきた。マレは振り向こうとして、視界がぐるりと回転した。


「え」


視界には炎ではなく、夜なのに赤い空が広がっていた。左には見知らぬ男の顔がある。
横抱きされていた。


「だっ、誰」

「私は昨日からブルネー島に観光へ来た者です。その足では避難できないでしょう。避難所まで送ります」

「……。ありがとう」


唐突のことだった。マレは驚いたが、ここで拒んだところで彼の良心を無駄にしてしまうと思い、その口から出た言葉は礼だった。
彼の金髪が炎で煌めき、冷たい青色の瞳がまっすぐ前を向いていた。男性は若い男だった。おそらく二十代前半。頼りがいのある体つきが横抱きされていることで直に伝わる。

流れる景色から目を離し、かたく耳をふさいで、マレは現実逃避した。

いまだ、夢を見ているようだった。
炎から遮断すれば今すぐ朝を迎えられると思った。ミソラに「おはよう」と言えるのだと思った。
まるで、今までが夢であるかのような感覚。日常が夢のようだ。両親が亡くなったばかりであるせいか、現実に思考が追い付かない。

避難所につくと、火事の情報がたくさんの人の口から飛び交っていた。男性はマレをベンチに下ろしながらその声を聞く。

島民のほとんどと連絡がつかない。
大陸から離れているせいで救助が遅れる。
斬殺された遺体を見た。
船がすべて無くなっている。逃げられない。
島が燃える。燃え尽きる。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ……、ありがとう。それにしても災難でしたね」

「まさか旅行した日にこんなことになろうとは思ってもいませんでしたよ」


紳士的に彼は笑う。


「それにしても、誰がこんなことをしたのでしょう」

「誰、が……? これは任意的に誰かが引き起こしたことなの?」

「私、あなたに会う前に斬殺された死体を見ました。いくつもいくつも。それに船が無くなり、私たちは完全にこのブルネー島に閉じ込められた。計画的で大規模な殺人ですよ。事故なんかじゃない」

「そんな。……だれが」


マレだって、黒く焼け焦げた死体を見た。
自分のすべてを、なにもかもを奪い去るこの火事は、いったい誰が引き起こしたのか。


「火の手が迫ってきているぞ!!」


誰かの声が避難所に響く。マレは顔をあげた。あまりのあつさに皮膚が感覚を失ってしまいそうだ。


「もう、別の避難所とは連絡が一切つかない。どうなっているかわからない! 俺たちはもう終わりだ。――死ぬんだ」


誰かの絶望が、場を包み込んだ。
逃げ道などない。炎が迫っている。その状況がどうしても絶望となり、そして絶望は感染し、連鎖した。


「この大量殺人を起こした人は、きっと裁かれないでしょうね」

「……え?」


どこか光を失った瞳で、うつ向きながら男性は言う。


「あっ、いえ」

「どうして……そう思うの?」


マレに聞かせるつもりなどなかったのか、男性は慌てて顔を横に反らした。マレがいつまでもその男をみていたせいから男性は観念して、その動機をのべた。


「救助なんて期待できないでしょう。なので外部からの干渉はないものと考えますと、犯人を裁けるのは我々です。しかし今の我々では裁けない。絶望と混乱とパニックで頭がいっぱいなのです。……まあ、裁く云々の以前にブルネー島から生きて帰られるのかすらわかりませんけど。それにしても赦せない。裁かれない犯人も、裁けない我々も」


そもそも、犯人の一切が特定できないなかで、どう探せばよいのかもわからない。このまま、島民が皆殺しとなり、犯人に贖罪を与えられないのかもしれない。

罪には罰を――。

マレはただ無心になって島に燃え盛る炎を見た。
両親が亡くなり、唯一の家族である妹とはまだ会えない。なにもかもがなくなってしまう。

やがて、炎は避難所にも手をだした。咄嗟に海へ飛び込んだ者が何人かいたが、ブルネー島から陸まで泳ぎきる前に溺死してしまうだろう。いくつもの絶叫が近くで響き渡る。炎はもう目の前。死も、もう目の前。
マレにはどうすることもできない。
ただ、ふつふつとすべてを奪い去った犯人へ憎悪がつのっていた。

罪には罰を。罰を。罰を。罰を。罰を。罰を。罰を。罰を。
罰を。


「だれか! たすけて!」


幼い少女の声が、救いを求める声がハッキリと聞こえる。しかしパニックを起こした人々の耳には届かない。その声に答えたのはマレを救った男性であった。


「君は逃げてください。とにかく逃げてください。私はあの子を助けます」

「無茶よ……」

「大丈夫。私は治癒能力者です。私が助けたあなたの命を無駄にしないでください!」

「っ」


男性はマレの焼け焦げた足に治癒を施していた。いつの間にか痛みはずいぶんと楽になっている。


「気を付けて……!」


マレは嗚咽しながらも炎へ迷いなく駆ける彼を見送った。
彼が戻ってくることはなかった。

後に、これは深青事件と呼ばれ「深夜、唐突に島を包み込む火事が起こった。生存者は無し。島民全員が焼死した」という迷宮入りの事件となった。一般的にはそんな情報しかないものの有名な事件のなる。
誰が深青事件と名付けたのか知らない。
生き残りなどいないはず。

しかし、確かに、その事件の生き残りはいた。

深青事件を起こした張本人であるミソラ・レランス。後のソラ・ヒーレント。
ミソラを贖罪のために呪ったマレ・レランス。後の魔女。
マレを魔女の道へ誘う甘言を吐いた――ツバサ。
たまたま居合わせたルイト・フィリター。

マレは救ってくれた男性がツバサであることなど気が付きもしない。マレとミソラの因縁を生んだのはツバサといっても過言ではない。
彼の手のひらで踊っているなど、誰も気が付かないだろう。

マレがブルネー島から逃げ出せたのはほとんど偶然に近かった。ラリスにも、ミソラにも、あの男性にも会えず、いっそ死んでしまいたい気持ちもあった。彼女を生かしたのはただ贖罪のみ。
死属性をもつ魔術師の瞳には贖罪への光しかうつっていない。

たとえ犯人が誰であっても覚悟はできている。

さあ、贖罪を――。

   

2014/04/28 09:45



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