生者の沈黙

散々叫び終わったあと、ワイルト・セデレカスの喉はカラカラに渇いていた。
呼吸をする度に肺が痛くなり、唾を飲み込む度に喉が焼けるように熱くなった。まだ小さな肩を震わせ、溢れる涙を塞き止めようと手のひらで拭うがその意味は成さず。ついさきほどまで沸騰しそうだった体温は死体のように冷めきっていた。

「……っ」

言葉を発することができないほど叫んでいたようだ。ヒュウと空気がわずかに揺れる音しかしないではないか。怒りをそのままに拳を床に叩き付けた。
べちゃりと赤く鉄臭いその液体がはねる。

「ワール……」

まだ声変わりが終わらないのに少年にしては少し低い声が、荒んだ部屋の隅からした。せっかくの綺麗な銀髪を体とともに血に染め、うずくまっているのはアイベルト・サーチャー。頬には涙のあとがある。

この部屋には死体という死体が転がっていた。昨日までは洋風のアンティークに統一され、小綺麗に整えられていた部屋だったが、今では天井が上の四階まで吹き抜け、床は一部二階を覗けるほど穴が開いている。家具は悲惨なもので、今では形もなく木屑となっていた。
転がっている死体は三つ。どれも斬殺されている。三人の血を吸ったワールの剣は一本。虚しく床に放り出されていた。

「どうするんだ、シドレ……」
「……俺が聞きでえよ……っ! どうやっで、あんな奴らから助げるんだ……」

ワールはガラガラと音の混ざる声を絞り出す。
ついさきほどまで一緒にいたシドレ・セデレカス――ワールの従姉であり、アイの幼馴染み――は襲撃者に拐われてしまった。
大の男五人にたった一人の少女が。
ワールもアイも、シドレも手負いでろくな抵抗もできずに。

そもそもこうして部屋が荒れているのも鉄臭い血に濡れているのも、その、そもそもの原因は当時のワールたちの知るところではなかった。

今日、夕食の前。唐突に。セデレカス家の玄関の扉が蹴破られた。シドレ・セデレカスの父は弱小ながらもマフィアのボスであった。マフィアの主、そしてその妻が不在であるときのことである。つまりシドレの両親だ。
屋敷のなかにはマフィアのわずかな重役とそのお付き、一人娘のシドレとワールとアイしかいなかった。まだ十代前半。経験の浅いシドレたちにははじめ、何が起こったのかまったく分からなかった。
とにかく危機であること。それだけは理解できた。屋敷のどこからか響く叫び声と断末魔。千里眼の異能をもつアイがいれば、現状などよく知り得ることができた。
侵入者はおよそ25人。内のほとんどが異能者で、かつ強者。弱小組織に敵う力などほぼなかった。なんとか応戦するも、ワールとアイの目の前でシドレは連れ去られてしまった。

「シドレを、取り返す」
「……どうやっで」

アイはサングラスを取って立ち上がった。大股でワールの近くまで行くと、手を差し出す。

「俺たぢじゃ歯が立たながっただろ」

弱々しい手がアイの手を払った。だが、アイは諦めない。

「世の中にはたくさんの異能者がいる。俺らより強いのなんて、それこそゴロゴロいるだろ」
「ぞんな奴らがシドレを救ってぐれるのか」
「治安部隊がある」

ワールは目を丸くして顔をあげた。
治安部隊とは、警察組織の手に負えない悪逆非道を実力行使で取り締まる組織だ。悪を滅ぼすためならば手段を選ばない曲者集団ではあるが、その強さは確か。

「ぞうが、治安部隊が!」
「確か近くに支部があったよな。行こう!」
「ああ!」

振り上げたワールの手がアイの手を力強く掴んだ。立ち上がった二人の少年は駆け出す。つい先ほどまで疲労と怪我の痛みで立つことすらできなかったのに、希望が見えた瞬間そんなことなどすっかり忘れた。
鉄臭い廊下を駆け抜け、粉々にされた玄関を通った。庭は広く、門の外まで全速力で走っても10秒はかかっただろう。
その門のすぐ近くで、セデレカス邸を静かに見上げる男が一人、いた。

遠くからでもその男が端正な顔立ちであることは十分に分かる。黙ったまま見上げるその男は金髪で、髪の一部分に黒いメッシュを入れている。

「君たち、この屋敷の子?」

無視して通り抜けようとしたワールとアイは男に呼び止められた。急いでいるのだ、と一言伝えようとしたが、男はそれを制するように立て続けて言った。

「警察にこの事態を伝えるなら、やめたほうがいいと思うよ」

ワールとアイの足は完全に止まった。

「俺はツバサ。ここのボス、カスペル・セデレカスに用があったんだけど……。ねえ、何があったか詳しく聞かせてくれるかな」





場所は変わって、市街地にあるツバサの借りたホテル。そこにはツバサの帰りを待っていただろう、20歳ほどの黒いドレスに身を包んだ女性がいた。彼女はリカという。
ツバサに話せる情報は少ない。なにせ、ワールとアイにも何が起こったのか分からなかったのだから。

「……なるほど」
「悪い、知ってることが少なくて」
「いいや。気にしなくて良いよ。なにかが起こった、しかもセデレカス家を亡ぼすほどのもの。こっちで調べるよ。リカ、ちょっと頼みたいことがあるんだけどさー」

ホテルの奥、ベランダの方に向かって歩いていくツバサの背中を見送る。ベランダで話をするツバサとリカの様子を横目に、ワールとアイは顔を見合わせた。
互いに血や傷で汚い。痣も鬱血もあり、見るに耐えないほどだ。しかもその表情は暗い。不安の色は隠しもせず。絶望に満ちていた。

シドレとワールとアイの三人組は生まれた瞬間から一緒にいた。物心を覚えたときにはすでにいた。何をするにも一緒。常に三人で行動していた。まるで一心同体。互いが互いの半身。きっと親よりも一緒にいた時間は長いだろう。親のように愛し、兄弟のように愛し、友のように愛していた。一番最初に「おはよう」と言うのも、一番最後に「おやすみ」というのもこの三人。つい最近まで一緒に風呂に入っていたほどのものだ。
深く、深く、裂くことなどできないほど根強く愛し合っていた日々は、今日、唐突に破壊されたのだ。

ワールとアイの間で言葉を交わすことはなかった。話すことがなかった。言葉を失っていた。もう、どうしたらいいのか分からなかった。
敵にはまったく歯が立たなかった。はじめの三人は偶然にも封術師であり、接近戦の得意とするワールでも殺せるほど有利な相性だったが、シドレを連れ去った五人には手も足も出なかった。圧倒的なまでの強さ。痛みをもって、抵抗する気を削がせる。ただただ絶望に耐えるしかなかった。

「ワイルト、アイベルト」

ツバサがリカを連れて、二人と対面する位置に座った。二人は顔をむける。

「俺たちでよければ手を貸すよ。治安部隊はやめたほうがいい」
「……なんで」
「マフィアってのは、どうしても犯罪に手を染めているケースが多い。――確かに、セデレカス家は『愛』を信条にした正義感溢れる、今どき珍しいマフィアだけど……。でも、マフィアを名乗る以上、何かしら罪を犯している」
「治安部隊は……協力してくれない?」
「いいや、ある意味では協力してくれるだろうね。ただ、両成敗される。君たちも、シドレも殺される。チャーンス、良い機会。また一つ悪を滅ぼしたって喜ぶだろうね」
「……っ」
「だから俺とリカが君たちに協力しよう。まあ、もちろん見返りは求めるけど」

言葉なくリカはツバサに同意するよう頷いた。訝しげに眉を寄せるワールとアイ。ツバサの口は弧を描いていた。

「べつに無理難題を押し付けようってわけじゃないよ。君たちの、これからを、俺に尽くしてくれないかな。さすがに死ぬまで尽くしてもらうつもりはないけど」
「構わない」

ツバサの言う見返りに即答したのはアイだ。アイに一瞬の遅れをとったが、ワールも問題はないと答える。リカの目が見開かれた。

「い、いいのか? ツバサの素性もなにも知らないのに」

リカが心配するのも無理はない。アイも、ワールもなにも考えずに答えたのだ。しかし迷いはない。二人は頷く。

「もしツバサが極悪人だったらどうする」
「シドレが助かるなら、どうだっていい。俺たちに薔薇さえあれば」
「世の中には汚い人間しかいないぞ? ツバサに付いている私が言うことではないが、ツバサは相当に悪趣味で悪人だ」

それからもリカがツバサの悪口を続けようとして、ツバサ本人から止められた。

「なーんでリカはわざわざ俺の株を下げるの」
「いやいや、まさかお前、自分が綺麗な人間と言うまいな? こんな子供たちをどうしようというんだ」
「俺、そんなにリカの株下がってる? 底辺なの?」
「底辺を通り越しているな。地面を抉って地核までいくぞ」
「リカ、実は俺のこと大好きでしょ」
「なるほど。私が悪かった。訂正しよう。お前への好感度は底辺だ。許してくれ」
「訂正されても底辺か」

リカが最後に、もう一度その選択で後悔はないかとワールとアイに伺った。二人が力強くうなずくのを見て、リカも大人しく引き下がることにする。

「じゃあ、まずはシドレを探そう。アイベルト、君の異能は確か千里眼だったね。見える範囲はどのくらい?」
「今はまだ10キロ圏内しか見ることができない」
「その歳でそこまで見えるなら上々。シドレを連れ去った奴等の本拠地は予測だと10キロ圏内にあるはず。捜してくれる?」
「ああ、わかった」
「と。その前に……」

ツバサは座っているソファーから立ち上がると、ワールとアイに近寄り、ドカリとテーブルに座った。行儀が悪いとリカの眉間にシワが寄った。
向き合うようにして座り込んだツバサは目尻を下げて優しげに微笑む。

「俺の異能についてまだ言ってなかったよね」

ツバサは笑顔のまま、二人の傷口や痣にそれぞれ手を翳した。














いたい。
そとがわと、うちがわが。
ずきずきと鳴って、ミシミシと軋む。
周りにいる人は泣きそうに歪む私を見て、下品に笑っていた。



2016/06/01 13:17



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