生者の沈黙


「社長に連絡しましたが、どうやら……あちらも足止めをくらっているようです」

はあ、と重苦しいため息をしてサレンは携帯電話を白衣の内側にしまった。サレンの側にいるシドレ、アイ、ワールはそれぞれ表情を曇らせる。
人気のない道路――おそらく人払いがされている――でシドレたちと相対するのは治安部隊の人間だった。

誰もの目を惹く赤髪をくるくると遊ばせ、右耳の上でハーフアップにまとめている。質のいい黒と金のリボンが髪を飾ってていた。黒の軍服に似た制服の上にマントを羽織り、格好のところどころには階級の高さを思わせるバッチや刺繍が入っていた。
彼女は笑って、白銀の瞳を向けている。

「お話は終わり?」

ギラギラと輝く瞳を細くして微笑んでいる。

「……最悪です。治安部隊のボス、イリザ・ルティエンス。歴代のボスのうち、もっとも好戦的。SSまたはS、特Aランクの任務に自ら赴き前線で活躍することで有名です」
「しかも異能は不明。まあ、かーなり詠唱が短くなければ能力者で間違いはないが」

シドレが槍の刃を覆っていたカバーをはずし、一振りしてから構える。アイは同時に後退し、交代するようにワールがシドレに並んで刀と剣を両手に腰を落とした。

「時間稼ぎはする。サレン、至急戦線離脱を」
「ええ、分かっていますよ。詠唱中はお任せします」
「ああ!」

ワールはコンクリートの地面を蹴りあげた。自身の筋肉の能力を飛躍的に上昇し、さながら弾丸のようなスピードでイリザへ突撃していく。

「先手必勝!」

ズドンとシドレの操る重力がイリザを標的にする。何倍にも膨れ上がり大きくなる重力に対し、イリザは一度だけ膝をついた。
――一度だけ、だ。
ワールの刃が迫る寸前、彼女は何事もないかのように立ち上がり、ワールの刃をすんでのところで避ける。

「な……っ! 封術師!?」
「ぐ! 詠唱してなかったろ!」

シドレの重力は立ち上がることを不可能にするはずだった。それはイリザの足元にあるクレーターが証明している上、彼女は一度膝をついている。が、今現在もまったく重力の影響を受けているようには見えない。
二本の足で立ち、肩にかかる髪を払ってアクビをするではないか。

「つーか、封術師は詠唱してたら動けねえだろ」
「ではやはり、能力者ということですか! 己にかかる負担を軽減するような。ならば、重力を彼女にかけなければいいだけの話。ワール!」
「了解だ!」

シドレは突きの姿勢を取ると、特攻する。シドレ自身にかかる重力は軽減される。客観的な身体能力が大幅に上がった。シドレは同じくワールに対して異能を使う。
たった一度、地面を蹴るだけで三メートルは裕に跳べる。振り落とすその刃にも重力がかかり、一閃がとにかく重い。

「あの男の部下っていうのは、こんなにも弱いものだったのかしら。がっかりだわ」

二人の近接攻撃を悠々とかわし、シドレを投げてワールの足を引っ掻けた。地面に転がる二人を見てイリザはため息をする。
ため息が終わった頃、イリザのすぐ背後にワールが構えていた。シドレの重力操作によるサポートに加え、自身の能力を惜し気もなく利用するワールの動きは、すべてに置いて人間を越えている。

そのスピードは圧倒的。もはや瞬間移動ではないかというほどのもの。肉眼では確認できない領域だった。
視認に優れた異能の一つである特化型良眼能力者のソラ・ヒーレントでも、その速さには手の打ちようがないだろう。いくら見えていても、肉体には限度がある。その速さを上回るスピードで回避しなければ、刃を肉体に受け入れなくてはならない。
まるで突如現れたワールの切っ先はイリザの首を狙う。

イリザは運よく回避に成功した。致命傷を外したものの、首からどぷりと血が溢れる。
ワールと距離をとり、イリザは傷口に指を押し当てた。

「私に怪我を負わせるなんて……。ふふふ」

手に付着した血を掲げる。ポタポタと落ちるその様を見てイリザは口元を歪めた。

「避けた……?」

アイには全く見えていなかった。一連をハッキリと見ることができたのは当人であるワールとイリザくらいのものだろう。――イリザも見えていたのか定かではない。

「ああ……、久しぶりに血を流したわ」

蕩けた瞳で血を眺めるイリザは隙だらけだ。そこへ。

「座標省略。貯蔵50の赤い雨を」

サレンの中級魔術がイリザに襲いかかった。イリザの足元に赤く丸い円が浮かび上がり、その円から次々に短剣が飛び出したのだ。イリザはそのことごとくを己の剣で打ち払いながら円から退く。イリザが退いた先にはシドレの槍。かわしにくい突きの攻撃をイリザは剣で受け流し、シドレに接近した。脚を振り上げ、シドレの鳩尾へ的確に膝を打ち込む。寸前でシドレは、自身とイリザの膝の重力を操作し、なんとか跳ね返そうとしたが、それでもイリザの蹴りはシドレに打ち込まれた。
ややこしい異能など無視した単純な力業で重力を強行突破したのだ。
急所を殴られ、よろけるシドレへイリザがおろした脚を再び振り、横凪ぎに蹴る。しかし今度は槍をもってその攻撃を防ぐと、シドレはまた重力操作を掛けた。

「懲りないわね」

二度の重力操作はほぼイリザに効いていない。

「三度目の正直、というではないですか」

だが、シドレは口元を緩めていた。
緊張をぬぐいきれないその表情ではなかなか強張った、強がりの苦笑であったが、それでも唇が弧を描くだけの自信はある。
イリザがそこに違和感を感じたとき、ふと、腹の中が捩れるような激痛が走った。
ごふ、と口の端から血が出、どばどばと溢れ出てくる。せっかくの口紅が、血と混じり合っていく。

「私をただの重力操作能力者と侮らないでください!」

正確に、ピンポイントにただ一点へ向けて重力を掛ける器用な技は並大抵の能力者ではできない。ましてや、その力がブレることなく強力であるなど。

「な、るほど。ごっ。内蔵を、ぐちゃぐちゃに……」

イリザは血を吐き出し、自身を赤く染め、足元には血溜まりを作り上げていた。そのイリザに向けて、ワールが剣と刀の切っ先を真っ直ぐに向ける。踏み込みワールの刃は、大量に吐血をするイリザを的確に狙い――。

「あー、くそ。いってえな」

ワールの腕はイリザに掴まれた。
いまだ吐血をしているイリザの姿勢は正しく。そしてワールの片腕、剣を持っている方の腕をまるで木の枝を折るようにパキ、と折った。

関節が通常の反対に折り曲がり、伸びきった皮膚を貫いて骨が飛び出た。千切れた血管から血液が漏れる。
一瞬、なにが起こったのかさっぱり分からなかった。
携帯電話で本部と連絡を取るアイにも、魔術を唱えるサレンにも、止めをさそうとしたシドレにも、当人であるワールにも。
真っ先に状況を知ったのはサレンだ。唱えていた呪文を度忘れするような惨状に、つい口元をおさえる。

次いで、ワールの掠れるような悲鳴が響き渡った。

シドレは腰を抜かし、その場に座り込んでしまう。
きっと、この被害がワールやアイ以外であれば腰を抜かすことはなかっただろう。世界中でもっとも大切な家族の悲鳴に、シドレはつい、持ってはいけない恐怖心を抱いてしまう。
唯一冷静だったのはアイだろう。すぐさま状況を判断し、震える手を抑えて懐に手を入れる。掴んだのは護身用に持ち歩く拳銃だ。威嚇のためにイリザへ撃つ。イリザは後退し、ワールから離れた。その隙にアイはワールへ駆け寄り、片腕で抱き上げて引きずるように後方へ引っ張る。

「サレン、詠唱はまだか!」
「え、ええ……。いえ、さきほどから転移の魔術を唱えていたのですが、なんらかの妨害があって転移先へ繋げないのです」
「くそ! シドレ、立て! 動け! やられるぞ!」

確かにイリザの視線はシドレ一点を見ていた。

「あーあ、この制服は一番高いやつなのに、こーんなに血だらけになって」

ワールの掠れた声など耳に入らないというように、イリザは血を吸った自らの服に指を這わせた。

「確かに血を流すのは久しぶりで、少し興奮したけどよ……。これはやりすぎだろ?」

口調がかわり、まるで別人のように話すイリザの額には青筋があった。

「汚ねぇ。ああ、汚ねえわ。この世でもっとも許せないものは汚いもんだ。ああ、イライラする! どう責任とってくれんだよ! 命をもって償うか!? 罪人が!」

イリザが踏み込む。狙うはシドレの心臓。アイが飛び出すのを手で制したサレンは間に合うよう、もっとも詠唱の短い最下級魔術を唱えた。
しかしそれは空間歪曲の規模が非常に小さなもので、イリザの切っ先を歪め、別の空間に切っ先を向けることは敵わず。
我に返ったシドレが慌てて回避を試みたが、それは心臓を避けるだけで、左の肩を深く貫通する。背面の肩からイリザの剣が飛び出し、そしてそれは引き抜くわけでもなく、そのまま切り上げた。裂かれる肩にシドレは懸命に悲鳴を飲み込んだ。

その様を、ワールは黙って見ていない。アイの腕を飛び出し、左腕に握り続けた刀を片腕のみで構え、イリザに突進する。
サレンは高速詠唱をした。唱えるは上級魔術。イリザを空間に固定し、回避を不可能にする。が、またしてもイリザは力業で縛り付ける空間から脱出し、ワールの突進を避けると、すれ違い様に背中を斬った。崩れるワールの脚、膝の裏に剣を突き刺す。
ワールは転がったまま、起き上がることが出来なくなってしまった。コンクリートに広がる赤い血は恐ろしく広がっていく。

「赦さない……!」

シドレの目の前に黒い、黒い、黒い、塊が浮かび上がった。初めは点だったそれは、次第に大きく球になる。
光を飲み込んでいるそれは、とにかく、とにかく、周囲を吸収しはじめた。
その球体のせいで光という光は飲み込まれ、周囲が暗黒に包まれ出したところで、イリザは舌打ちをする。その球に引っ張られながらもイリザはシドレへ剣を振りかざした。

「ご苦労だった」

そこへ、幼さの残る少年の声が突如とした乱入した。遠くでもハッキリと聞こえる、その声にサレンが顔を上げた。

「偉そうに」

そう言って少年に悪態をつく青年の声はシドレを怒りから冷ますのに十分な一声であった。

それは紛れもなくリャク、そしてツバサの声だ。リャクとツバサの後ろにはそれぞれナナリーとリカが控えている。
煙のように消えた黒い球体を前に、イリザは剣を振り上げるのを止めた。

「あらあら、悪の親玉じゃない」

イリザを真っ直ぐ見据えたツバサは杖を着きながら脱力して見せた。

「よくもまあ、うちの子達をこんなにも虐めてくれたよね」
「嫌だわ。まるで私が悪者みたいに言うのね。悪人は私じゃなくて、あなたたちなのに」

イリザは剣を構え、ツバサ目掛けて地面を蹴った。杖をついているツバサはとっさに身動きがとれない。慌てた様子を一切みせないツバサに違和感を覚える。いくら不老不死の身とはいえ、ツバサは捨て身をしない。危害を加えるものは避けるし、向けられる拳から身を守ろうとするはずだ。イリザが足を止めようとしたその時、ツバサが余裕を見せていた理由がわかる。

「滅べ、光よ」

ツバサの前に、音の乗った詠唱を完了させたリカが立ちはだかった。とたん、イリザの視覚は失われてしまう。見えなくなったイリザに、続いてリカの中級魔術が襲いかかり、自らの影に沼のように沈んでいく。
被害に合うイリザを横目に、ツバサは負傷したシドレとワールの治療に取り掛かった。

「サレン、ナナリーが封術を上書きして封印する。魔術を完成させろ」

腕をくんでリャクは影の沼に足を取られているイリザを睨む。サレンへ指示をだし、彼はリャクの言うとおりに詠唱を開始した。同時に、リャクの後ろに控えていたナナリーも静かに封術の詠唱を始める。彼女の本来白いはずの白衣は今、血や泥に汚れきっていた。一部には深く長い裂かれたあとまである。白衣の下にはきっちりと整えられた着物があるはずだが、いまやその着物は乱れている。隠れるはずの鎖骨や脚が動く度に見える様は、みっともない。ナナリーは自身の乱れた着物を直す暇もなく、従順にリャクに従っていた。

「足止めはこの俺が代わろう」


2016/01/05 21:32



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