SSS

   

「リャク様はもう、私を必要としていないの」


そう呟いたのは、ベッドの上で物静かに座るナナリーだった。それを聞いているのはリャクとナナリーの直属部下でありながら組織の幹部である男。


「私がただの『材料』から、こうしてリャク様の隣に立てるようになったのは一重に私が使えるから」

「ナナリーさん……」

「目を失い、世界が見えなくなった私は足手まといよ。私の代わりはサレンがしっかり務めてくれるでしょう」


男は、ナナリーを慕っていた。研究部に入社して右も左も分からないこの男を優しい笑顔で何度も救ってくれたナナリーを、男は異性として愛していた。その想いを口にすることはなかったが、ナナリーのおかげで男は幹部にまで出世できたのだと思う。いつもナナリーを見ていた。だからこそ、彼女の儚いこの笑顔が、男の胸を締め付ける。


「ボス補佐にまでなった私は、生きてここを脱退することはできないでしょう」


それは紛れもない現実だった。過剰意識などではない。事実だ。
暗殺部のボス補佐だったナイトや、諜報部のボス補佐だったリカとサクラらとはわけが違う。彼らの組織はもう無いのだ。一方でナナリーの所属は健在。たくさんの極秘情報を知るナナリーはリャクに拾われたその瞬間から自由などないのだった。


「俺が、貴女をここから生きて逃がします」

「それは無謀だよ。確実に見つかって、殺される」

「ナナリーさん、諦めるんですか! 死んでもいいと!?」

「リャク樣に殺されるのなら本望よ。死ねと言われたのなら死にましょう。リャク樣が世界だった私にはもう、世界が見えないから」


儚い。嗚呼、儚い。
健気に恩人を想う彼女が儚い。
きっと、リャクに何をされても彼女はリャクを愛し続けるだろう。


「ナナリー」


コンコンとノックのあと、話の中心人物であったリャクが薄くドアを開けた。ナナリーの名を呼び、ナナリーは立ち上がる。壁に手を添え、不安定な足取りでドアに向かった。リャクによって開かれた扉の先にナナリーが消える。

もう二度と会えない。男は不安に掻き立てられ、今すぐにでもナナリーを引き止めたいのに体が動かなかった。リャクを目の前にして、その威圧に負けたのだ。リャクはただいつものように無表情で口数の少ない少年だったが、きっと歴戦の戦士よりも強い威圧があった。通常では考えられないほどの濃厚な魔力が漏れ、その毒気に息をつまらせたのだ。

ひと目でわかる。リャク・ウイリディアスには敵わない。
不老不死などという化け物が相手でない限り、彼には誰も敵わない。まるで初めてこの世の神を見たように、男は動けなくなってしまった。

今まで何度かリャクを見てきたことはあるが、ここまで彼をただ単純に「こわい」と思ったのは初めてだった。


「なっ、情けないっ」


裏返った声で男は自分自身を奮い立たせた。今まで組織に、リャクに尽くしてきた憧れのひとを殺させるわけにはいかない。
彼が奮い立つ一方で、ナナリーはリャクに連れられていた。リャクの聞きなれた足音を心地よく聞きながら、それを頼りに、壁に手を添えて後に続く。


「リャク樣、急にどうしたんですか?」

「今後のことをお前と二人で話したい」

「密室で……、ショタ真っ盛りのリャク樣と……!? じゅるり」

「……相変わらずだな」


目的地に到着したようで、リャクの歩みが止まった。ドアを開けられ、そしてリャクはいままで放置していたナナリーの手を取った。予想以上の優しい手付きとナナリーを気遣った誘導に、ナナリーは素直に驚いてしまう。ナナリーのことなど知る由もなく力いっぱいグイグイ引っ張ると思っていたため、優しいリャクについ口角が緩んでしまう。

リャクが露骨にこのように優しさを見せるのはきっと、もう二度とないだろうというほどだ。ナナリーには見えないが、きっとリャクは耳まで顔を真っ赤にしていることだろう。ナナリーはつい、鼻血が出ていないか確認した。

リャクに案内されて、ナナリーは部屋にあったソファーに座らされる。その隣にはリャクだ。


「顔がにやけているぞ、ナナリー。真面目な話をするから引締めろ」

「は、はい」

「……よし。では聞く。お前はこれからどうしたい? ナナリーの考えを聞かせてくれ」


リャクの声は、やはり優しげだ。鬼畜とも言われるこの研究者がこんなにも優しいと、嵐の前の静けさを連想する。
これからどうしたい?
その問いは、処罰を本人に聞いているようなものだった。死刑が確定した咎人に、夢の希望を与えた後に現実の絶望を与える。そんな、表面にある優しさの欠片もない問い。ナナリーはその問いに、希望することも絶望することもなく、素直に笑顔を浮かべたまま、残酷な未来を選択した。


「貴方に殺されたいです」


今にも消えてしまいそうな弱々しさで、はっきりと口にした。そのとき浮かべたリャクの表情に、誰も気が付くことはなかった。


「オレの足手まといになるからか」

「はい。目が見えなければ、研究をすることも、手伝うことも、なにもできません。……リャク樣、近くにいるのでしょう? 私には、貴方の姿が見えないのです」


枯渇していた。切望していた。憧れていた恩人が、こんなにも愛おしいと敬愛していた狂研究者が、見えない。一日たりとも目を離したことはなかった。いつも彼の後ろに控え、小さいのに立派な背中を見ていた。彼の流れる美しい金の髪も、まっすぐ前を見る凛々しい緑の目も、不健康な肌の色も、細い手足も、なにもかも、見えない。

リャクそのものが世界だったナナリーは、世界を失った。
リャクそのものが全てだったナナリーは、すべてを失った。

ナナリーは生きる理由がないどころか、すでに屍のような有り様なのだ。
まるで魂を失った人形。
まるで志を失った抜け殻。


「私にとって、リャク樣がなにもかもなんです」

「ナナリー……」


リャクのその声は同情のこもった優しさあるものではなかった。低い声で、刃のある責めるような声だ。


「オレはお前のそんなものになった覚えなどない」


突き放されるような否定の言葉。


「忘れたか。ウノのことを。カノンのことを。魂だけに成り果てても生きた奴らのことだ。どれほど醜い姿になろうと生きることに執着したあいつらだ。何があっても折れない信念と、強い志。流石のオレも感嘆を漏らす他ない」

「私には、それがないと……」

「ああ、ないな。欠片ほども、塵ほどもないクズだ。見損なった。オレはお前を見誤ったようだ。なるほど、お前はオレと出会った時から何も変わっていない。生物を名乗ることもできない出来損ないだ。最高傑作だと思っていたが、まったくの欠陥品だな」


容赦ない言葉の雨。リャクは心から絶望した。ナナリーに名を名乗る権利など与えず、一生材料として水槽の中に入れておけば良かったと。


「廃棄所に棄てておいてやる」


リャクはナナリーの首に触れた。


「しかし、オレがお前を必死に生かしたのも無駄だったな。あのまま瓦礫のそこに沈めておけば、こんなにも余計な手間を掛けずに済んだものを」


ツバサの襲撃。あのとき、異能の限界を超えて死にかけていたナナリーの命を救わず、組織の建物と共に破壊しておけば、余計なことはせずに済んだ。
この一連を、ナナリーは目を閉じて静かに聞いていた。その目から、不思議と出る涙の理由が分からないまま。


「リャク、さま」

「語るな。欠陥品などに語る資格などない。黙って死ね」

「リャクさま、リャクさま、リャク様。お願いです、リャク様」

「……」


リャクは応答しない。ナナリーはそれでも、もう彼に名を呼んでもらえなくとも、彼に笑いかける。「こんな私にも優しいのですね」と。リャクの顔が歪んだ。相変わらず、冷酷で軽蔑した目をしているが、そのなかで、すこし歪んだのだ。


「こんな私で、ごめんなさい」


彼女の遺言は謝罪。それから、リャクの毒気の濃い魔力で衰弱していき、目を閉じる。
その直後、リャクとナナリーがいる部屋の扉を礼儀知らずに飛び開けた男がいた。彼は、つい先ほどまでナナリーと一緒にいた幹部の男だった。リャクに怯えた表情を隠しつつ、表面には怒りを露わにした。
彼は怒鳴った。ボスであるリャクに。決死の覚悟で。
ナナリーをなぜ殺すのかと。彼女がどれだけこの組織において重役なのか、必要なのか。そして、ただただ、切に彼女が大切なのだと怒鳴った。
しかしどれもこれもリャクにはどうでもいいことで。


「リャク様!! 聞いているんですか!!」

「……」

「この……、聞いてんのか!!」


頭に来た男は、無遠慮に言葉を粗しリャクの胸倉を掴もうとした。
しかし、伸ばした手は無くなっていた。


「――え、?」


手を、伸ばす。腕は伸びているのに、手が、無い。存在しない。数秒前まで、一秒前まであったそれは、跡形もなく消さっている。比喩などではない。そのまま、からっぽになっているのだ。


「喧しい。邪魔をするな。そこで見ていろ。殺すぞ」

「ッ、ナナリーさんを殺すというなら、っそうすればいい!!」

「ならばお前から死ね」


そう。それはあまりにもあっさりと。呆けてしまうほど、男はいともたやすくリャクによって殺された。詠唱すらなく。赤子の腕をひねるよりも簡単に。男の死体は床に転がり、それを邪魔だと思ったリャクは死体を塵も残さずこの世から消去した。


「あーあ。酷いことをしますねえ、リャク様。これだから鬼畜だと陰口をいわれるのです」


一連を傍観していたサレンがひょっこりドアから姿を現した。まったく驚かないリャクは、サレンが傍観しているのを知っていたのだろう。


「なんだ、サレン。お前もこいつを殺すなと言うのか?」

「いいえ。リャク様の方針ならば従いましょう。ナナリーの席が空けば、私も出世の可能性があるのですし」

「どうだか」

「……優秀なナナリーをなくすのは、心から惜しいと思いますがね」


気を失い、生命もあと数分で失うナナリーに目線を落としたサレンは、客観的にそう述べた。そこに主観などない。組織の安泰を願った意見であった。


「彼女の在り方は彼女が決めるものです。ナナリーがリャク様を自身の生命の核と言ったところで、さほど気にすることでもないでしょう」

「いいや。これには心底腹が立った」

「彼女がリャク様を核とするのは当然のことだと思いませんか? ……そもそも、リャク様は言うほど腹が立っていないご様子。先ほど殺した男のように、一瞬で抹消すればいいものを、ナナリーはじっくりと殺している。それは貴方自身も彼女を惜しいと思っているからではないですか?」

「――ああ。そうとも。しかし、ナナリーはオレから殺されることを望んだ。オレがナナリーを尊重するからこそ、こいつの望みをかなえてやっている」

「腹が立ったのならば、彼女の望みに沿うことはないではないですか? リャク様を腹立たせた罰として、嫌がらせでもしたらどうでしょう? そう、たとえば、生かすとか」

「馬鹿な」

「ええ。馬鹿と天才は紙一重ですので」

「断る。こいつを生かす道理などない」

「道理だけで人は生きていません」

「オレを説得するのならばもう諦めろ、サレン」

「たしかにリャク様は頑固。ですが、盲目になっただの、腹が立っただの、ただそれだけでナナリーを殺されてはこちらが迷惑なのです。ええ。素直に申しましょう。我々にはナナリーの手が必要なのです。殺さないでください」

「結局、先ほどの奴と変わらんな。これ以上邪魔をするのならば奴と同等に殺す」

「それは大変困ります。ならば彼女を生かす交換条件を提示します」

「ほう?」

「ナナリーを生かしてください。そうしなければ、私は泣いて喚いて大人げなく大暴れします」

「……サレン、それは交換条件ではなく脅迫だ」


飽きれたと言わんばかりにリャクは声に情を消し去った。サレンは真面目な顔をして、ふざけたこと延々と語りだす。ベラベラと喋るサレンを脇に、リャクは溜息をついた。リャクの興が冷めている。それをいいことに、サレンはにやりと笑ったのだった。


「リャク様、貴方も本当はナナリーが必要なはずです」

「ふん。やる気が無くなった」


リャクはナナリーの首を掴んでいた手を離して彼女をソファーに放ったらかしにした。そのままリャクはいつもの調子で、立ち上がると無愛想のまま部屋を出ていく。彼が出て行く前にサレンがこっそり「ありがとうございます」というと「お前に言われたから止めたわけじゃない」と言い残していった。
彼が出て行ったあと、サレンはナナリーを抱えて医務室へ向かった。毒の濃い魔力によって死にかけているナナリーを回復させなくてはならない。このままでは毒が全身に染み込んで本当に死んでしまう。廊下で見かけたレイカとアイを道連れにナナリーを介抱する。


「貴女は幸運ですねぇ」


目が覚めたナナリーに対して、サレンが放った第一声はそれだった。ナナリーはサレンに礼を言うと、性懲りなくリャクのもとへ一直線に目指した。おぼろげな足で、レイカの手を借りながら、どうしようもなく愛おしいと感じるリャクの元を目指す。
そして、彼の前で宣言するのだ。
もっと強く生きていけるように頑張ります。と。


     

2014/11/30 22:03



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