混沌の魔法少女

「放しなさい……!」

ナナリーの悲鳴に似た声が響き渡る。術者であり研究者である女性が、人間をはるかに凌駕する力をもつ狼男には敵うわけもなく、抵抗はまるで無いも同然だった。封術師の詠唱は長く、そして詠唱中は身動きができないのが特徴だ。ナナリーは異能を使おうにも、ロルフに拘束された状態ではこのまま思うようにされてしまう。が、かといって異能も使わないようでは結果は同じだ。

「指定。簡易封術四十五番方式を展か――」
「肉、はら、へった……」

ロルフの獰猛がナナリーの詠唱を中断させる。ロルフは捕らえた獲物の首筋を噛みちぎろうとした。ナナリーが死を覚悟して「リャク様、ごめんなさい」と遺言をこぼしたとき、ロルフの頭にコツンと小石が落ちた。

恐怖で足がすくみ、初は全身が震えていた。すぐさま戦闘を終了させた雪之丞が初の体を支えたが、本日二度目の恐怖に初は涙を流し、息をすることを忘れていた。その初がありったけの勇気を振り絞ってロルフの注意を逸らした。が、ロルフはナナリーしか見えていない。

「なに、あれ……」
「なんつー殺気だよ……」

サブラージとルベルも驚く。雪之丞の戦闘に対する一撃目の変動ぶりにも驚かされたが、いまのロルフはまさに獣そのものだ。血の香りを嗅いだ飢餓の狼は食事をすることしか考えられない。

「退け、貴様ら」

玉乃がどこから取り出したのか、短剣を握りしめたその時だった。リャクの撤退指示が飛んできた。

「はいはーい、みなさん、少し離れましょう。リャク様が激おこです」

サレンののんきな声がしたかと思えば、白衣を風になびかせたリャクが背を見せ、ロルフへ向いた。ナナリーの拘束された腕からミシミシといびつな音がする。人狼はそんなリャクに気が付かない。そして無詠唱の魔術が、始めようとした人狼の食事を邪魔した。
人狼の体がなんの前兆もなく吹き飛ばされたのだ。
瓦礫に全身を叩きつけられる。その様を近くで見ていた二匹の狼は同時に攻撃を仕掛けたであろうリャクに襲いかかった。リャクはその二匹を視界に入れる。その動作だけで、その二匹も人狼と同じように吹き飛ばされたのだ。

「なにが起きてる」

玉乃の呟き、そして金神の感嘆。ルベルとサブラージが息をのんだ。初や玉乃には見えなかっただろうが、洞察力に優れた二人にはハッキリと、なぜロルフと二匹の狼が吹き飛ばされたのか見えていた。それは単純だ。ルベルと雪之丞がされたように、突風である。しかも玉乃の起こしたそれの何倍の威力もある。
人狼のターゲットはリャクに変更された。骨の折れた腕をかばいながらナナリーは起き上がり、すぐにリャクの援護を開始する。

「こら皆さん。見せ物ではないんですよ。離れてくださいねぇ」
「まってサレン。ロルフ、急にどうしたわけ?」
「さあ? 私たちの世界にはああいった人外はいないのでどんな状況なのか聞かれても困りますねぇ。サブラージは知りません?」
「知らないから聞いてんでしょ」
「空腹だよ」

雪之丞は初を抱きかかえながら、どこか懐かしい目でロルフをみる。「どういう意味?」と玉乃が首を傾げた。

「さっき、サブラージが血を流したでしょ。あれでつい空腹を満たしたくなったんじゃないかな。ほら、えっと、食欲。俺も経験あるからわかるけど……。あっ、でも今の俺は別に空腹じゃないし、人間を食べたりしないけどね」
「あの犬は常に空腹だ。本能には敵わなかったのだろうな。っくっくっく、飼い主がいなければ野良犬よ」

「人を食べる!?」「人を食うだと!?」サブラージとルベルは同時に驚き、後ずさる。初も雪之丞にすがった。姿形は人間と同じであるロルフ。人間を食べるとは信じられない。しかし、どうだろう。リャクと対峙する男。ガルルルと喉を鳴らし、瞳孔の開ききった目、牙ばかりの歯をむき出しにしているあの男は人間というより野生の獰猛な獣。はじめてあんなにも恐ろしい人外を目の当たりにしたルベルとサブラージは驚いて続く言葉もない。
世界が違う。
外に出るという発想すら起こさない閉じ込められた都市、防御壁都市という狭い世界に暮らす奪還屋と回収屋は餓えた人狼と魔術師の少年をただ眺めることに徹した。

「がんばってくださーい、リャク様あー」
「やかましい」
「おぉ、冷たい。悲しいので私はおとなしく初たちをこのまま守ることに徹しましょう。標的がこちらに向いては困りますからねぇ。さあみなさん固まってください。盾を形成します」

金神を含め、リャクとナナリー以外を集めてサレンが魔術の詠唱をし、万が一攻撃に巻き込まれないように魔術の詠唱を開始した。

――そのすぐ傍を、彼の見知った黒い人影が通り抜けた。

「『零へと還る我が力、死の本質、ここに咲かせん。触れられぬ彼岸を、哀しみに暮れるこの感情を』」

遠くでそんな女性の声が響いた。
リャクが舌打ちをし、そしてすぐにロルフの足元から石造りの棺を、魔術をもって作り出すとそこに閉じ込めてしまった。二匹の狼はあわててリャクに攻撃を加える。その狼を、さきほど過ぎ去っていった黒い人影が蹴り上げた。

「怪我はありませんか、リャク様」

黒い人影が問う。「うわあ、暴力的……」と知らない声がどこからか降ってくる。リャクがその人影に返答する前に、黒い人影はどこからか降ってきた声に「まだ追ってきてたわけ」と溜息をついた。

「おやおや?」

サレンはあたりを見渡しながら銀縁のメガネをくい、と持ち上げた。
黒い人影はふともものガンホルスターから拳銃を取り出す。

「待って、ソラ」

立ち上がったナナリーが、リャクと黒い人物に近寄る。黒い人物は拳銃の安全装置を外そうとしたところで止められた。怪訝な声が「何?」と問う。

「この狼たち、仲間なの。あんまり過激な攻撃はしないで」
「今、リャク様を襲ってた。オレはリャク様直属の部下じゃないけど彼を守る義務がある。ナナリーにもそうだ。守るためなら相手を殺すよ。それがたとえ動物だろうと仲間だろうと」
「だめだめ。命令よ。もう攻撃しないで。それにあの狼たち、気絶してるし」
「あら。甘いわね、ナナリー」

さきほど、黒い人物が通り抜けた直後にした声の持ち主である女性が、ゆっくりと舞台に現れて当然のように黒い人物の隣についた。サレン、ナナリーは言葉を失って硬直する。
なにが起きているのか分らない玉乃らはきょとんとしていた。
どうやらリャク、ナナリー、サレンは、新しく現れた黒い人物と女性と顔見知りのようだ。


2014/07/27 16:52



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