意地悪せんといてください!

午後5時21分、志摩にとって大変な事件が起こった。


「ぼ、坊……」

「…………なんや」

「何て……手………」


勉強を黙々と進めていた勝呂。その左斜め後ろ、音楽を聴きながら雑誌をペラペラと捲る志摩の右手をまるで初めて犬を触る子供のような動作で掴み、指を絡ませた。いわゆる恋人つなぎである。

しかし志摩にとっての問題の着目点はそこではない。重要なのは、“勝呂から”ということだ。付き合い始めて今の今まで勝呂から手を握ってもらったことはない。いつも隙あらば志摩から手を握っていたからだ。そのせいで本当に勝呂は自分のことを好きなのかが不安になっていた。自分の告白に押されて嫌々付き合っているんじゃないかと。


びっくりして勝呂を見ると、変わらず問題集とノートにかじりついたまま。表情はちょうど角度のせいで隠れてしまい、見えない。ただ露になっている耳だけは勝呂の気持ちを物語っていた。志摩はいつもならニヤニヤしてからかうところだが、妙に照れ臭くなり顔が火照った。

―――握るのと握られるのって、全然違う。

何十秒ほどか機能停止になっていた志摩の脳を、不意に勝呂の声が刺激した。


「なァ…、志摩は俺んこと好きか?」

「えっ………?」

「俺は志摩んこと…、好き…なんやで?」

その…と間をあけ再び口を開く。

「最近お前、付きおうてた前より本気で笑った顔しぃひんから…、心配になってきてん。俺んこと好いとんのか……」

「坊…それ……」


目線をこちらに向けずに独白していた勝呂を、目と口をポカーンと呆けたように開きっぱなしにして見ていたが、一言呟くと笑いが込み上げてきて吹き出してしまった。腹を抱えて笑う志摩に心底驚いたようで、バッと顔の向きを変え眉間にシワを寄せる。


「おまっ、人が真剣に話しとる時に何笑っとんのや!」

「い、いやっ、その、あまりにもおかしゅうてっ」

「はアァ!?」

「ち、ちゃいますねん、お互い同じように思っとったんやてわかったら…」


志摩の言葉を噛み砕いて理解しようとするもよくわからないというような顔をする勝呂に、つまりと言葉を続けた。


「俺も坊のことめっちゃ好きやねん。でも、坊たら自分から手を握ったりしてくれへんかったから不安でしょうがなくて…」

「2人とも、行きちごおてたゆうわけか」

「そうなりますねぇ」


苦笑いで笑う志摩をハハ…と言いながら見つめ、「ダメやなぁ…俺は」と呟いた。シャーペンを持っていた手を、繋ぎっぱなしの手に重ね真剣な表情をする。志摩は嫌でも自分の心音が速まっていくのを感じながら次の言葉を待った。


「もうお互いの気持ちは知っとおけど、このままで済むのは嫌じゃ」

「え……ぼ…」

「嫌やったら嫌てゆえよ」


右手にあった温もりが消えたと思ったら頭と腰を支えるようにして抱きしめられ顔が迫ってきた。

寸前のところで近づくのを止めもう一度同じ内容を問われる。

「嫌やない」

言いながら覚悟を決めたようにギュッと目を瞑る。それから数秒、唇に柔らかいものが当たった。軽く当たるとゆっくりと離れていき、抱き止めていた腕がほどかれる。


「不安にさせてもうてすまんかったな…。」

「坊………。これがマリッジブルーゆうやつかなぁ」

「阿呆か!奥村と同列の阿呆やろお前!」

「なっ!酷いです坊!さっきまでの空気はどこいってしもたんです!?」


それに奥村君はマリッジブルーも知らんやろ!

あからさまにショックを受ける志摩に更に追い討ちをかける。酷い言い合いだが、2人は笑っていた。


「志摩、お前は阿呆なの自覚せんと一生そないなことしか言えなくなるで」

「そないなことって…お、俺は本気なんです!」

「本気になってるところが阿呆なんや!」





意地悪せんといてください!
(坊のドSー悪魔ー!)

(言われて笑っとるって…、Mやったんか)





―――――――――――――――
上か下か口論した末に志摩が勝呂に押し負ける感じだよねこの子ら。


・マリッジブルー…結婚前の女性が陥る、漠然とした不安を抱えて憂鬱になる現象。



since.6.16.



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