大江戸いろは歌 | ナノ
仄かに眠気を運んで来る麗らかな春風に散らされ、ひらひらひらと舞う桜が降り頻る下で、呑めや歌えやの大騒ぎ。
桜と云ったら花見、花見と云ったら酒。
むせるような花と酒の薫りに包まれて春真っ盛りの江戸は大いに賑わう。
花より団子
『あーもう!静雄ととむさんめ…折角前々から予定入れてたっていうのに、急遽大量注文入ったから来れないって…!!』
やけっぱちのように団子にかぶりつきながら溢した小夜のぼやきに周りが苦笑した。
「天馬堂は忙しいから…」
「商売繁盛は良いことじゃないっスか!」
「まあ、遊馬っちのとこみたく閑古鳥鳴いてるよりはよっぽどましだよ」
大きな蓙の上に居並ぶのは小夜と沙樹に加え、杏里と正臣、それから門田茶屋のいつもの面々と結構な大人数である。
そう。今日は前々から小夜が企画していた花見の日で、小夜は料理の注文から場所取りまでなにもかも請け負っていたのだ。
『だってさー、最近物騒だから二人も一緒に行ける日まで待てって言ったくせに当日になって行けないとか言い出すんだよ?延期になるかと思ったもん!』
「これ以上延び延びになったら小夜が一人でも花見に繰り出しかねないとでも思ったんだろ」
『当然!一番来たかった八分咲きの時節はもう過ぎちゃってるんだよ?あの二人が完璧に暇になるの待ってたら桜散るっての!なのに静雄が譲らなくて!!』
「静雄さんはお嬢様が心配なんだよ。京平さんに付き添いをお願いするってことでお許しが出たんだから、そんなに怒らないの」
沙樹にたしなめられ愚痴は収めたものの、未だ憤然と団子を口に詰める小夜を他所に、遊馬と絵理華が嬉しそうに異世界的会話を繰り返すのを横目に京平は酒を煽った。
「まあ、こっちからすりゃありがたい話だ。護衛がてら花は見れるし、酒も出る。…食い物が俺の茶屋に注文された食い飽きたもんだってのは微妙だけどな」
『ばんばん呑んじゃって!余りはとむさんと静雄に回ることになるんだから』
あんな二人に回すことないよ!!と言わんばかりの小夜の口調に再び苦笑を溢して、京平は徳利を開けた。
『あれ?ところで正臣どこ行ったの?』
「……えっと」
くちごもる杏里だったが沙樹が凍りつきそうな満面の笑顔を浮かべて言った。
「さあね?どうせいつもと同じじゃないかな?」
『(あの馬鹿──!!女の子見かけてふらふらついて行ったな!?絶対そうだあり得ない馬鹿だ本当にあいつ!こういう時こそ沙樹を口説けよ馬鹿野郎!!)』
春風が瞬時に絶対零度に変わったのを感じて心中で正臣を罵っていた小夜に背後から声をかけた人がいた。
「久しぶりだねえ、天馬堂と園原堂のお嬢ちゃん達。門田茶屋を護衛にお花見かい?」
『あ、赤林さんだ久し振りー!こんなとこで何してんの?あ、岡っ引きとして巡察中とか?』
「正解。こういうとこだと、ちょいちょい喧嘩やら何やら起こるからねえ」
しみじみとした呟きに小夜はお疲れ様ーと言いながら酒を差し出す。遠慮する素振りを見せながらもそれを呑んだ赤林に小夜は強かな笑みを浮かべた。
『天馬堂から出た酒を飲んだからには天馬堂手代のお目溢しよろしくー』
それにちょいと肩をすくめて頭を下げて去っていく赤林を満足気に眺めやってから上機嫌で団子を頬張りだした小夜に沙樹がため息を吐いた。
「全く…どこでそういうのを学んじゃうんだろうね?」
『…えっと、内緒』
そっぽを向いた小夜に沙樹が諦めじみた視線になったとき、何やら花見所の一角が騒がしくなった。
『あーあ、明らか酔ってるね。なんかああいう騒ぎやだなあ…ねえねえ、あれ止められない?』
「そうだな…興を削ぐようなことすんなっつって来るわ」
京平に任せて置けば安心安心、と再び顔を上げ桜に見入ったところで鈍い擬音が耳に入り、おや、と小夜はそちらに顔を向けた。
『ってうわ、遊馬さん大丈夫!?』
一瞬殴られた遊馬を心配したが、次の瞬間、周りに転がる徳利を利用して相手を見事なまでに転がした遊馬に安堵した。しかし、次々とその周りの男達がいきりたった様子で立ち上がり始めた。
しかもその男達は先ほど京平が収めに行ったのとは別口で、尚且つ、京平が収めに行った方も何やら剣呑な雰囲気が漂い出している。
「これは小夜ちゃん達は逃げ出したほうがいいかもね?」
絵理華に背を押され、沙樹が素早く貴重品を手にし、速やかに花見所を去ろうとしたところで杏里が酔っ払いの一人に絡まれた。
『ちぇすとっ!!』
失礼極まりない男の顔面に小夜が綺麗に正拳突きを決めて杏里を助け出したが、そこで手間取っている間にすっかり周囲は大乱闘が繰り広げられていた。
「お嬢様、何処であんな風な強行突破覚えたのかわからないけど、説教は無事にここを乗り切ったらにしてあげるよ」
『…あははー、それどころじゃないと思うんだけど流石沙樹だね…』
「あー、どうしよっか、ドタチンとも遊馬っちともはぐれちゃったし」
下手な逃げ方をすれば巻き添えを食って要らぬ怪我をしそうなこの状況で小夜はにんまりと笑みを浮かべた。
『だいじょーぶだと思うよ?だってほら』
次の瞬間、花見所の一角が吹き飛び──凍りついた周囲に得意気にそちらを指差した。
『静雄が来たもん』
桜の樹を引っこ抜き、横薙ぎにするという暴挙に一瞬にして静まり返った花見所。
「……手前ら…折角誰もが楽しんでる花見処を荒らすたぁどういう了見だぁぁぁぁっ!!」
そんな叫びと共に再び桜の樹が振るわれ、阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈した花見処。
奇跡的に無事だった酒の注がれたままの杯に舞い降りた一片の花弁が綾を描いた。
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