大江戸いろは歌 | ナノ
三寒四温の時節も過ぎ去り桜が蕾を綻ばせ始めた頃。
店の前で箒を動かしていた杏里は隣の店から出てきた小夜に気づいて動きを止めた。
親しき中にも礼儀あり
『おっはよー、杏里。今日も今日とて真面目だね!店主なのに丁稚とかがやるようなことしちゃって』
「おはよう小夜ちゃん。…あれ、沙樹ちゃんは?」
『あっは、お隣行くだけだからいいっしょって置いて来ちゃった。まだ今ごろ家の中探してるんじゃない?』
「…相変わらずだね」
ため息混じりの杏里の言葉にからりと笑って小夜は園原堂の中を覗いた。
すると帳簿とにらめっこしていた正臣が顔を上げて目を輝かせた。
「おー!小夜お嬢さんじゃないですか!!今日もお綺麗ですね、一緒にお茶でもいかがっすかぁ?」
『あっはっは今日それ言うの何回目?沙樹怒らせたくなきゃ私誘うのはいい加減やめなよー』
「うっ、しかしこんなに華やかな着物の似合う美しい小夜お嬢さんを誘わないことなどできるはずが…!!」
頭を抱える正臣に小夜は側にあった簪を投げつけた。
「ちょ、これ商品っ!てか簪が壁に刺さるってどんな術!?」
『買ったげるから騒がないでようっとうしい。そんなことより今日は用事があって来たの。はい、これ』
小夜が差し出したのは布の納品に関する荷札だった。
「あ…いつもありがとう」
『別にそんな改まんなくたっていーって。うちで商品にならない余り布なんだし、ただであげてるわけでもないし』
天馬堂は園原堂に余り布を格安で提供している。中にはかなり高級なものもあって杏里は頭を下げずにいられなかったのだが、小夜は全く気にせず手を振った。
『むしろ本来ごみにしかならない布を買ってもらっちゃってこっちがお礼言いたいくらいなんだから』
「そんな…」
『あー、あんまり気にしないで今後も天馬堂をよろしくっ、とね。…で、ねえねえ杏里ちゃん?』
にやり、笑った小夜はいきなり杏里の背後に回り、その体にがばっと抱きついた。
「ひぁっ!?」
『んー、また胸とか成長なさったのでは?これはまた、着物を新調なさってもいいんじゃないのかなー。そのときは天馬堂をご贔屓にねっ!』
「…っ小夜ちゃんっ!!」
『あっはっは怒らない怒らない!顔真っ赤だよ杏里ーそんな顔も可愛いよ杏里ー』
「小夜お嬢さん…」
ぐっ、と親指を立てた正臣を華麗に無視して小夜は扉の方へ向かった。
『んじゃ、そーゆーことで!品は店にちゃんと取りにきてぶっ』
向かって、何かにぶつかり、足を止めた。
【大丈夫か?前を見て歩かないと危ないぞ】
『なんだせるてぃか…ぶつかってごめんね、気をつけるよ。それにしても久しぶりー!今は仕事中?』
【まあな。近況を話したりもしたいところだが…とりあえず小夜に京から手紙だ。折り返して返事を持ってきてくれと言われているから、すぐ目を通してくれ】
さらさらと紙に書かれた黒い文字の一点に目を留め、小夜はひきつった顔で獅子頭を見上げた。
『ねえ、京ってことはそれ出したのもしかしなくても…』
【臨也だ】
『あいつ江戸と京を月に何往復してるんだろーね?』
【八往復くらいだな。その半分以上は私が運んでいるぞ】
その言葉に小夜は呆れしか感じられず、ため息を吐いた。
『なーんでそんなに江戸に帰ってくる必要があるんだろうね…で、この手紙読みたくないんだけど』
【だが、読んで返事を書いてくれないと困る】
『だよね…ってわけで正臣、代読よろしく』
「…俺、臨也さんとはあんまり関わりたくねえんだけどね…まあ小夜お嬢さんの頼みなら仕方ないか。え〜っと何々…《愛しい愛しい小夜、江戸で元気にしてるかい?静ちゃんに手を出されそうになったりしたら俺の名前を呼ぶんだよ。即座に君の元へ馳せ参じるから》もがっ」
『だ──っもう止めっ鳥肌立つから止めっ!何であいつこんなにうざいの!?』
そう言って正臣から紙と筆を借り、一言書いてせるてぃに押しつけるように渡した。
『これでいいから!もう知らないからよろしく!』
【…《うざいうざい消えろ!》か…今度臨也から小夜へ手紙を届けるよう頼まれても断ることにしよう】
『そうして!!』
本気で鳥肌を立てて身を震わせる小夜にせるてぃも正臣も杏里も同情の目を向けた。
【では私はもう行く。小夜、無理を言って悪かった】
『せるてぃは悪くないよ。悪いのは臨也なんだから。あ、そうだ新羅にもよろしく言っておいてくれる?』
【何をだ?】
『いつもせるてぃに似合いそうって大量に振袖を注文してくれること』
【あの馬鹿…】
一つ獅子頭を振ると、せるてぃは首なし馬を走らせて通りから消えて行った。
『もーやれやれだなぁ。臨也が関わると本当にろくなことがない』
そう言って小夜は杏里と正臣に声をかけて園原堂を出た。
そして帰って早々、沙樹から説教を受けることになった。
「お嬢様は大店の主人だって自覚をもう少し持とうね?一人であちこちふらふら出歩かないの。わかった?お嬢様は育ちがいいんだからそれを普段の生活に生かさなきゃ。礼儀作法とかもう少し…」
云々という他、杏里や京平へのからかいなどに関することも含めて裕に四刻は説教を受ける羽目になったのだった。
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