大江戸いろは歌 | ナノ


時は江戸。
鎖国してから早150年。将軍様は徳川家、士農工商が当たり前。
──そして、魑魅魍魎の跋扈もまた、当然の時代。
そんな夜を駆ける、得体の知れない存在。畏れを伴い人の口に登るそれは首を持たず、漆黒の首無し馬に乗り、影を操り世を乱すと語られた──が、別段戦や一揆が起こるわけでもなく。
今日も江戸の一角、池袋は破天荒で荒唐無稽な一日を展開する。





火事と喧嘩は江戸の華







「どこにいるのか教えるならすぐ教えろ知らねぇなら今すぐ消えろっつってんだろうがぁぁぁっ!!」



高らかな怒声と共に漬物屋の前にあった樽が宙を飛んだ。中身がいっぱいに詰まったそれは叩きつけられた人間を吹き飛ばし繰り返し跳ねて転がっていった。
転がって来たそれを眺めながら欠伸した小夜はため息と共に呟く。



『あー、笑っちゃうくらい平和だね』



「いやいや小夜ちゃん、あれちゃんと見てた?普通人一人であんなもの持ち上げられないよ?それを持ち上げて人に投げつけてる時点で相当平和じゃないんじゃない?」



『や、だってそこは静雄だし』




小夜の至極当然と言わんばかりの言葉に絵理華は納得したように頷いた。



「小夜がそう言うと当たり前な気がしてきちゃう。確かにあれは日常だしね」



「でもあれって小夜のこと探してるんじゃないっすか」



遊馬の言葉にあからさまに視線をさ迷わせた小夜に店の中から声がかけられた。



「小夜、今食ってるあんみつ食いきったら帰れよ。もう三杯めだろそれ。それに静雄がこの店に殴り込んできたりしたら洒落にならねえ」



『ここは静雄も気に入ってるし大丈夫だと思うよ?』



「先週今と同じような状況で店がぼろぼろになっちまったのはどこの誰がやったんだったかなぁ」



「うあ、厳しいご指摘さすがドタチン」



「その呼び方止めろ!つーかどこから来たんだその呼び方!!」



京平の叫びに気を留めることなくあっさりあんみつを食べきった小夜は大きく伸びをして立ち上がった。



『これ以上ここにいると見つかりそうだし、移動しますかねー。静雄に喧嘩売った馬鹿はあっさりやられたみたいだし』




「どこ行く気なんだい?」



『んー波江さんとこか四木さんとこか…ってあれ?』



今まで会話してきた誰とも違う声に振り向くとそこに呑気に団子を注文する男の姿があった。



「やあ小夜、元気にしてた?」



『なんで臨也がいんの?先週京都に行ったばっかじゃなかった?』



「小夜に会いたくて帰って来ちゃった」



『うざっ!!』



思わず鳥肌の立った小夜はとっさにその場を立ち去ろうとして手を掴まれ引き留められた。



『はーなーせー!!岡っ引き呼ぶぞこら!!』



「まあまあそう言わずお茶しよブッ!?」



一瞬で自分の視界から消えた臨也に目を瞬いた小夜が足下から聞こえた呻き声に目を向けると倒れた臨也と転がる桶が見えた。
そして店の外から届いた死刑宣告のような低い声に小夜は背筋を凍らせた。



「おーじょーさーん。なぁーんでこんなところで油売ってどこぞの馬の骨に絡まれてんだぁー?」



空繰のようにぎこちなく首を向ければそこにいたのは仁王立ちで額に血管を浮かせている大魔王だった。




『きゃー、静雄がご立腹ー』



思わず棒読みでそんなことを呟けば更に額に浮かぶ筋の数が増えた。



「だーれのせいだと思ってんだて・め・え」



『うだっ、でっ、でこぴんっ、連打はっ、しっ、死ぬからっ!!』



びしびしびしっ、と額に入る衝撃に視界が暗くなりかけた次の瞬間、静雄がたたらを踏んで体勢を崩した。
小夜にとって救いだったがそうなるようにした当人は既に店から出ながら店内に声をかけてきた。



「いてて、ひっどいよねぇ静ちゃん。この服天馬堂から買って卸したばっかなのに。じゃ、またね小夜。俺はちゃきっと逃げるから」



そう言って臨也が風のように去っていった直後静雄は勢いよく顔を上げて吠えた。


「いぃぃざぁぁやぁぁぁっっ!!」



『ちょっ、待った!待った静雄!!刺さってる、小刀刺さってるから!!』



小夜の叫びに店から飛び出し、臨也を追おうとしていた静雄は足を止め店内に顔を向けた。



「あー…包帯とかってここ置いてねぇか?」



「いくらでもあるから持ってけ。けどここでこれ以上の騒ぎは御免だからな、小夜連れてとっとと帰ってくれ」




「わかった。……そーいやとむさんが呼んでたんだ、帰るぞ小夜」



『りょーかいってなんで襟首引っ張ってくの猫じゃないってのちょっと聞こうよ静雄ー?』



ずるずる引きずられながらも律儀に門田茶屋の面々へ手を振る小夜はそのまま町の雑踏の中へ消えていった。


──江戸の一角、池袋。
この時分をもちまして、破天荒で荒唐無稽な日々のはじまりはじまり。









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