大江戸いろは歌 | ナノ


引き幕と共に舞台に吹き荒れるは拍手喝采。花道歩むは色鮮やかな衣翻す千両役者。
そうここは江戸一番の歌舞伎座、南瓜一座。本日の演目は『義経千本桜』。
客に時間を忘れさせるほどに最近流行りの町衆の娯楽。客に熱い余韻を残し、日暮れと共に幕は降りる。





芸は身を助く





南瓜一座の客席から出てきた客達は帰途に着きながら未だ冷めやらぬ興奮を語り合う。
そしてそれは、一等席から出てきた小夜達三人も例外ではなかった。



『やっぱり南瓜一座看板役者、【幽平】の義経が最高だったね!一挙一動がどうしようもなく華やかだもん!!』



「見に来れて良かったね、お嬢様」



『うん!それもあんな一等席で…やっぱり静雄様々だね!!』



満面に笑みを浮かべ小夜は半歩下がって着いて来ている金色の頭を見上げた。それに気づいた静雄はなんとも言えない表情で頭を掻く。



「…いや、幽は新しい演目の初公演だから是非お前らに来てくれって」



『それって私が行くって事になったら絶対静雄を連れてくって考えての誘いでしょ?愛されてるねー、おにーさん?』




南瓜一座看板役者幽平。ありとあらゆる役柄を完璧に演じ、凄まじいまでに容姿端麗。若くして舞台の花道に登るようになり、最近では千両役者とまで呼ばれる彼。
そして知る人ぞ知ることだが──本名、幽。天馬堂手代の実弟である。



『なのに静雄、仕事が忙しいからってなかなか幽くんに会ったげないんだから。なんだかんだ心配してる癖にね!』



「…おーじょーさん?そろそろ黙ろうかー?」



『えー?顔が赤いよしーずーおー?照れなくったっていいのにー』



「黙ろうかってか黙れっつってんだこの馬鹿娘ぇぇえええっ!!」



怒声と共に店先に掛けられていた暖簾の棒が宙を飛ぶ。しかしその標的はその切っ先をあっさりかわし、飃々と笑った。



『ごめん、ごめん!ほら、そんな怒んないでよ。今度また高級煙草あげるからさ』



「……………………」



小夜の言葉に静雄はピタリと動きを止め、渋々と云った風に次に投げようとしていた荷車を下ろす。
それを見てとっさに距離をとっていた沙樹はため息と共に静雄に声をかけた。




「静雄さん。確かにお嬢様に怒りを覚えるのは至極当然だし寧ろ一度とっちめて欲しいくらいだけど、もう少し抑えてね?」



「…ああ、悪い」



『あれ?なんかさりげなく沙樹の私の扱いが酷くない?』



ちょっと沙樹聞いてる?何で無視するのねえねえと騒ぐ小夜の言葉を軽く流して沙樹は近づいてきた天馬堂の店先に意外な人影を発見して思わず声を上げた。



「え、あれ、幽さん?」



『え、嘘!?さっきまで舞台にいたのにうちらより先にいるわけ…っているし!!』



音を立てて固まった二人に優雅に頭を下げ、上げた顔は見間違えようのない面立ちで。



「小夜さん、沙樹さん、久しぶり。兄さんに会うのも半月ぶりかな。今日は見に来てくれてありがとう」



感情を浮かべないながら感謝の意を伝える幽に小夜は勢いよく駆け寄った。



『今日も素敵だったよ幽くんの扇捌き!!次の公演も是非知らせてね!あ、そうだ、ぜひ上がっていきなよ!!』



興奮する余り早口になる小夜に幽はやはり無表情にしかし声に僅かに残念そうな色を添えて答えた。




「これからちょっと用事があってその途中で寄っただけなんだ。せるてぃさんに待っててもらってるからもう行かなきゃ」



『そっかー、それは残念。幽くんと静雄が一緒に飲んでるところ見たかったなー。今度静雄休暇あるし、お酒用意しとくから来ない?』



「その時は是非お邪魔させてもらうよ。今度はゆっくりできるように時間調整してくる」



どうしても平坦な感を抱かせる声音だがそれに嘘がないのを感じとり、小夜が破顔すると幽はふいに顔を静雄に向けた。



「兄さん、仕事含め【色々】頑張ってね」



「…おう?」



変に強調された唐突な言葉に首を傾げる静雄を残し、小夜に再び頭を下げて去って行った幽の姿がせるてぃと共に消えるのを確認して小夜は大きく息を吐いた。



『っ、はー!!緊張した!!』



「それにしてはよくあんなふうに話せたね?」



『心の臓がすっごい速く打ってたんだよあれでも』



「なんで昔馴染みにそこまで緊張すんだよ」



『いくら昔馴染みって言ったってあれだけ出世しちゃうとなんかさー…いい加減慣れてはきたけどね』




そう言いながらも未だ平素より速く拍を打つ心の臓を抑え、演技でなく常に変わることのないだろう千両役者の心の臓を羨んだ。




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