同じ夕日と違う海 (橘真琴)
海の向こうの水平線に夕日が沈む街で生まれ育った。
幼馴染であり、お付き合いをしている彼氏でもある真琴が新しい生活を送っている場所、東京。
修学旅行でも来たことがあるこの街は、やっぱり人が多くて建物が高くて目まぐるしいくらいに慌ただしい。
真琴と待ち合わせをしたハチ公前では、私と同じように待ち合わせをしているらしい人があちらこちらにいた。
無事に着けたことに安堵し、ふぅと小さく溜息をつく。だけどキョロキョロと辺りを見回してみても真琴の姿はまだ見えない。すると今更だけど、今日の服って変じゃないかな。前髪はちゃんと出来てるかなと心配になったから軽く身だしなみを整える。
それでもやっぱりまだどこか落ち着かないのは、この間地元で真琴と別れを惜しんだばかりなのにまた再会することに緊張しているからだろう。そう思って、一度大きく息を吸って吐いたら少し落ち着いた。
「ごめんね、待たせちゃって」
聞き馴染みのある大好きな声がして振り向けば、息を切らせてここまで走ってきたらしい真琴がいた。
「ううん、大丈夫。まだ約束の時間より前だし。何かあったの?」
「電車、乗り遅れちゃって」
眉を下げて少し恥ずかしそうに笑う真琴は、でも数分後には次の電車が来るんだよ。すごいよね、と言って笑った。そんな真琴に合わせるようにして私も笑う。
「流石は都会だね」
「ね」
電話でもやり取りしていたにも関わらずお互いの近況や東京へ着くまでの出来事について話す。なんでもないこの時間がとても楽しい。
ひとしきり話し終えると、行こっか、という真琴の言葉でどちらからともなく手を繋いで歩き始めた。
繋ぎ慣れているはずの真琴の手がまた少し大きくなっているような気がして、ちょっと緊張した。
「どこ行くの?」
「俺がキミと一緒に行きたい所」
そうして真琴に腕を引かれて連れてこられた場所は水族館で。漁師町の岩鳶で産まれ育ったのだから魚なんて見慣れているだろうに、それでも大きな水槽で優雅に泳ぐ魚たちには目を奪われる。
「わぁ、綺麗……」
エイにサメにカメ、それに色とりどりな魚たち。見上げれば天井いっぱいまである水槽の中にはたくさんの生き物たちが泳いでいた。
水槽に手のひらをくっつけながら食い入るように見ていたら、隣にいる真琴はこちらを見て笑っていた。それがなんだか私一人だけが子供っぽいような気がして恥ずかしくて、ぷいっと目を逸らしたくなる。
「……なんでそんなにこっち見てるの」
「キミが楽しんでくれてるみたいでよかったなって思って」
「真琴も楽しい?」
「もちろん」
そっか、と呟くと眉を下げて笑う真琴の隣に並んで水槽を眺めた。少しでも大人っぽく見えるように、と落ち着いて。
暗くてちゃんとは見えないかもしれないけれど、真琴の目に今の私はどう映っているのだろうか。人工的に作られた水流によって水槽を漂っているクラゲたちを見ながらそんなことを思った。
次の日は……、私が地元に帰る日は、真琴の作った朝ご飯から一日が始まった。真琴が焼いた少し焦げた食パンは、なんだか愛おしくて食べるのが勿体ないような気がした。
朝ご飯を食べ終えたら街をぶらつく。特に行きたい場所なんてなかったけれど、それでも真琴と一緒にいられるだけで嬉しかった。
「何か欲しいものあった?」
「うーん。なんか、物がたくさんあるから目移りしちゃって……」
「そっか」
「……うん」
時間は気にしないでおこう。いくらそう思っていたって別れの時間が近付くにつれて会話は少なくなる。
相変わらず私の手は真琴の大きな手に包まれていて、真琴は私に合わせてゆっくり歩いてくれているのに何かがいつもと違う。たくさんの人も高い建物もすぐに来る電車もわざわざ観に行く魚たちも、真琴がこれから過ごす東京と私が今もいる地元とは何もかもが全然違う。ふと立ち止まれば、私の手を引いていた真琴も立ち止まる。
「どうしたの?」
眉を下げた真琴に心配そうに顔を覗き込まれて、なんでもないよと必死に口を動かす。だけど出てきたのは声ではなくて涙で。ぽろぽろと泣き出してしまった私に、真琴は大丈夫だよと優しく声を掛けてくれた。
鼻をすすりながら真琴の顔を見上げても涙は絶えず地面へと落ちていく。だってどうしていいのかが分からなくて、泣き止もうにも泣き止み方も分からないから。
「……ごめんね、泣いちゃって」
「謝らなくていいよ」
目を瞑って、すん、ともう一度鼻をすする。するとあたたかいものに包まれたから驚いて目を開ければそこは真琴の腕の中で。
「え、真琴。……ここ、人前だよ」
「うん、でもキミが泣いてるから」
俺がこうしたいんだ、と笑った真琴はやっぱり眉を下げているのだろうか。
そんなことを考えていたら真琴に包まれていることもあってか、深呼吸をしてみたら泣き止めた。
あぁ、そうか。こうやって泣き止むんだ、なんて一人で笑うと顔を上げる。
「真琴、ありがとう。落ち着いた」
「……よかった」
腕の中から解放されたから真琴の顔を見上げてみる。すると真琴は耳まで真っ赤になっていて、目が合うと恥ずかしそうに眉を下げて笑った。
「時間ってまだ平気、だよね?」
「うん、大丈夫だよ」
「じゃあ行きたい所があるんだ。行ってもいい?」
「もちろん」
ありがとう、と笑った真琴に手を引かれる。顔の赤みは落ち着いたみたいだけどまだまだ赤い耳からは目が離せそうになくて、真琴をじっと見ていたら少し顔を背けられた。
「……そんなに見られると恥ずかしいかも」
「あ、ごめん」
そんなやり取りをしながら真琴に連れられてやって来たのは海だった。
真後ろには建物があって、目の前にだって少し遠くの方には建物がある狭い湾。だけどその海は地元、岩鳶の海と同じように夕日で朱色に染まっていた。
「こっちにもこんな所あるんだ」
心の中で呟いたはずだった言葉は口から出ていたらしく、こちらを見て真琴は笑った。
「岩鳶町と一緒だよ」
海の広さは全然違うし、水平線は見えないけど。それでも、一緒だよ。そう言って真琴はやっぱり笑う。
海へと視線をやれば遠くの方の建物に夕日が沈もうとしていた。水面には建物と夕日の朱色が反射していて、水平線に沈む夕日とはまた違うけれどこれもこれでとても綺麗だ。
噛み締めるようにして夕日を眺めたら、そうだね、と呟いて握っていた手に力を込めると真琴へと視線を移す。
「距離は遠くなっちゃったけど、それでも俺のキミを好きだって気持ちは変わらないから。キミと同じ夕日を見ているのと同じで、俺もキミのことを想ってるから。無理して背伸びなんてしなくても俺はキミのことが好きだよ」
分かってくれた? と眉を下げて笑った真琴に、十分なくらいにと笑って答える。すると、良かったと顔を近付けてきた真琴にキスされた。
「気持ちは変わらないけど、キミを好きだって気持ちはもっと強くなりそう」
「それは私も」
目を合わせて笑い合うと、夕日に照らされて赤く染まった真琴と水平線が見えない狭い海でもう一度キスをした。
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