出生悲話



「子供を生んだことがあるんだ」


「笑うかい?」と問われるが、答えるどころではない。スクアーロは視線を右往左往とさせて、考えをうまくまとめようと必死だった。その姿にマーモンは、まあそうなるよね、と予想と正しい反応を見て薄く笑う。


「まあ、大したことじゃないから気を遣ってくれなくていいよ。随分昔のことだ」
「昔のことったってよ、た、大したことだろ!」


スクアーロはまだどぎまぎしていたが、マーモンの言葉に声を荒げた。命を生んだのだから大したことだろうと。しかし、そんなスクアーロの言葉にも、マーモンは笑う。その笑みは先ほどの笑みよりも深く、まるで自身を嘲笑あざわらっているかのようだった。


「僕の"生んだ"はね、君の思うような大層なものじゃないんだ」


生むに違いなどあるのか、とスクアーロは首をかしげる。そうしてマーモンは一杯のレモネードと共に、昔話を始めた。


「昔、と言うほどでもないけど、少なくとも僕がアルコバレーノになる前、貧しい町にいた。そこでは暴力も絶えず、盗みは子供のうちから教えられ、飢餓に苦しむ人間が地べたに転がるような場所だった」


貧しい町などどこにでもある。美しい町並みのイタリアにさえ、裏道を行けば荒れた場所にも出くわすが、それほど酷くはない。スクアーロは序章として語られた舞台の凄まじさから、絶句していた。


「そんな町だからね、身を売る女も少なくないんだ。どこかの誰かの子が腹にあるなんて、よくあることでね。僕が生んだその子も、そうだったようだよ」


もう、何も言えまい。言いたいことは色々あるが、人として在るには言ってはいけないような言葉が大半だと思った。別に綺麗な身でいようとか、そんなことは今更考えてはいなかったが、そこはつちかった道徳が止める一線。スクアーロの良識が勝るところ。マーモンは半分ほどになったレモネードに、更に蜂蜜を足す。ドロリとしたそれが、話に甘さをもたらすだろうか。けれど、ややもすると喉につかえるそれは重くねっとりと薄暗い闇の奥底を連れてくるかもしれない。そんなスクアーロの心配もよそに、マーモンは潤った喉で昔話を続ける。


「その子も必死に生きていたんだ。まあ誰だって死にたくて生まれるようなことはないだろうけど。自分を生かすのにも手一杯だってのに減らすだけの口が増えるなんて、女の方は堪らなかったんだろうね」


なんとなく、その先がわかってしまった。そのことが恐ろしい。何より、それを何でもないように言ってのけるこの赤ん坊が、スクアーロには恐ろしくて堪らなかった。


「……おろしてしまったよ」


スクアーロの予想していた結末だったが、一瞬、マーモンの口元も、強ばっていたことに気付いた。けれどそれはすぐにもとに戻って、また流れるような速さで話は続けられる。


「誰も、悪かったわけじゃないんだ。強いて言うなら、時代が悪かった。治安が悪かった。それだけ」
「……ああ」


掠れた声が出た。長く話していなかったからだろう。幸い、空気を久しく通したにしてはせなかった。何か飲み物を取りに行きたいが、話の途中であるために、席を立つのはよろしくない。スクアーロはどうするかあぐねて、結局最後まで聞いてから取りに行くことにした。


「……その子はとてもいい子だった。女の勝手で切り離されるというのに、愚図りもしなかった。だから、母体に負荷はかからなかった」


ここにきて、そういえば、とスクアーロはひとつ気付く。今にして、初めて母という言葉を聞いた。それはどうでもいいようなことで、もしかしたら自分の気にしすぎかもしれなかったが、根拠もなく意図的だと思った。だからそれとなく、自分から仕掛けてみる。


「……そんで、母親は」
「女は無事だったよ。それこそ、また身を売れるくらいにはね」


スクアーロの言葉を遮るような形で、マーモンはその後を語った。スクアーロはそのことに、やはり、と下唇を噛む。女、と呼ぶのだ。しかし、スクアーロもそれが正しいと思った。母親と呼ぶには、あまりにも女性でありすぎる。


「だから、僕が生んだんだ」


そこで戻ってきた問題は、やはりなんのことやらわからない。ただ単に人口を増やしたとか、さすがにその女に何かしたなんてことはないだろうとスクアーロは思いながら、言葉の意味を考える。その間にマーモンはレモネードを飲みきり、スクアーロがこちらに向くのを待っていた。目が合った頃、マーモンはスクアーロの眉間のしわを見て、それほどのことだろうか、と思ってしまった自分の廃れた内面に苦々しく目を伏せた。


「……人はね、死ぬとき炎に焼かれて死ぬんだ。器である体を焼く火葬とは別に、魂を焼くのは死ぬ気の炎なんだよ。……その子は、僕と同じ霧の属性を持っていた。今思えば血迷ったことだけど、僕はその子に器を与えてしまったんだ」


死ぬ覚悟を持っていたのに。マーモンはそう言って後悔しているようだったが、スクアーロは要らない後悔だと思っていた。だって、きっと正しかった。そうして、炎に焼かれる魂を想像して、きっと美しいのだろうとも思った。自分もいつか死ぬときは、それほど美しく逝けるのだろうかと。


「その子供は、今はどうしてんだ」
「さあね」
「さあ、ってお前……」


それではあの女と変わらないじゃないか、と育児放棄を罵ろうと思ったが、マーモンが縮こまるようにそっと体を抱いていることに気付いてやめた。


「別れる前には既に、自分の体を自分の力で維持できるように教えてあったから、きっと今じゃ無意識に保って、自分の体がどうであるかなんて意識はないだろうね」


記憶を断つことは、すなわち、関係を絶つこと。もしも本当に、その子供が忘れてしまっているのなら、二人はもう二度と向き合えないのではないかとスクアーロは思った。もとの関係に戻れないだけではない。わかりあうことも難しいだろう。


「当時は子供が子供を育ててるなんてよく言われたものだけど、赤ん坊が子供をだなんて馬鹿みたいじゃないか。この世界に生んでしまった責任はあるけど、いずれにせよ、こんな姿じゃろくに育ててなんかやれないさ」
「……そうか」


当時で子供と呼ばれる年齢だったのなら、今は十分な大人になっているはずだ。本来ならこの赤ん坊も。ひとつ気がかりなのは、マーモンの言い方からするに、アルコバレーノとしてこの姿になったあとから会っていない、ということ。けれど、今会ったとしても受け入れるにはもう遅すぎる。そのときの子供からすれば、突然消えたも同然だ。姿や形は違えど親子のようなものなのだから、一度くらいは会ってやればよかったものをとスクアーロは思わずにはいられなかった。


「今じゃ目的は違えど、金に固執し始めたのはその時かもね。価値観が変わった。あんな奴らに使う金があるなら、全部僕がもらってやるって」


子の命を切り離すための金なら、私腹を肥やすための金なら。世界では数えきれないほどの金が作られ、使われているのに、ある人はせき止め、ある人には行き渡らない。そんな不条理な世界だ。そのなかで、この赤ん坊は全ての金を手に入れんとする欲望を持っている。奪い尽くし、果てはどうするというのか。


「……んで、なんでこんな話になったんだったっけか?」
「だから給与増額の申請」
「却下だ」


馬鹿馬鹿しい、とスクアーロは席を立つ。そういえば喉が渇いていたのだと思いだし、調理場へ向かった。残されたマーモンのティーカップもちょうど空である。


「レモネードも持ってきてよ」
「自分でやれぇ!」


早足で去っていくスクアーロにマーモンは笑う。きっと彼は今の話を、給与を上げさせるのための同情を誘う作り話だと思っているだろう、と。それでも構わない。マーモン自身、これが本当にあったことなのか、作り話か、夢か妄想かわからないでいた。けれど、嘘でもいいと思いながら語ったことだ。その子供が可愛くて、やわらかくて、ただ愛しかったことは鮮明に残っているのだから。





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