「……名前、さん?」

肌寒さを感じて目を開けると腕に抱いたはずの彼女の姿が消えていた。…嫌な予感がする、ブランケットを脱いで急いで洞窟から出れば霧がたちこめていた。ぐじゅりと足元から音がして目をやれば靴底が泥の中に埋まっているのが目に入る。…どうやら夜中に降った雨のせいで土がぬかるんでしまったらしい。

ふと先に目をやれば自分より少し小さな靴跡が点々と続いている、きっとこれを辿ればそこに彼女はいるはずだ。泥が跳ねるのも気にせず彼女が居るであろう方向へ走る、霧が濃くて視界が悪いのと土がぬかるんでいるせいで動きにくいけれどこの胸に渦巻く不安を一刻も早く消し去りたかった。


少し先に人影のようなものが見える、目を凝らせばそれは彼女の後姿だった。

「名前さ、…っ!?」

ホッとしたのも束の間、こちらに気付くなり手に持っていた葉団扇を振りかざし強力な颶風を巻き起こした。すぐに気付き避けたから良かったものの、あれを受けていたら……このなぎ倒された木々のように今頃自分も泥の中に倒れていただろう。

「名前さん!僕です、双熾です…っ!!」

聞こえるように大声でそう言ったけれど彼女は葉団扇を直そうとはしない、それどころかいつでも動けるよう体勢を低くしてこちらを警戒するように見てきた。そこであることに気付いた、彼女の目に光が宿っていないということに。

「……まさか、」

彼女が言っていた、呪い…自我を失い本能のままに動く妖怪になる、もしかしたら今の彼女はもう…

――…双熾、お願いがあるの
――……もし、私が自我を失って貴方を傷つけようとしたら、


――私を殺してね


「っ、」

約束、と自分の小指にまだ彼女との指切りの感触が残っている。僕には彼女を切るなんて出来ないと、何か違う方法はないのかと

でも、約束を守らなければ彼女が泣いてしまいそうで

「……」

僕は、彼女の胸に刃を突き立てた。

刃を伝って生温かい血が自分の手を濡らす、ああ…何故もっと早く彼女の変化に気付いてあげられなかったのだろう、早く気付けばこんなことにはならなかったのかもしれないのに…

後悔に唇を噛みしめていると頬に温かい感触を感じて顔を上げれば涙を滲ませた彼女と目が合う、頬に触れているものの正体は彼女の手だった。

「そ、し…」
「…名前さ、…」
「……あり、がと…」
「!名前さん……!!!」

がくりと彼女の体から力が抜ける、倒れてきた体を受け止め急いで呼吸を確認するけれど、もう止まっていた。何度呼びかけても何度体を揺すっても、重く閉じられた瞼は開くことはない。

「っ、名前さ、ん……」








「あーあ、結局こうなったか」

声を押し殺して泣くあの男の腕の中でどこか幸せそうな顔をして眠るあの女の姿が目に入る、こうなるんじゃないかって予想はしていたけどまさか本当に現実になるとはね…

――ねぇ、いい加減諦めてオレの物になりなよ。オレの物にならない限り、何度生まれ変わっても痛くて辛い思いをすることになるぜ
――はぁっ、は…それでも私は、彼を選ぶわ…昔も今も、これからも、
――…あの男の何処がいいの?何度繰り返してもアンタを助けれたことなんてないじゃないか
――何処がいいのかなんて愚問ね、


――彼の全てが好きなのよ。


(あの時も、ボロボロの癖にそう言って笑ってたっけ)

ぽたりと頬に水滴が落ちてきた。顔を上げればいつの間にかどんよりとした雲が空を覆っていて大粒の雨が降り始め、数分もしない内に土砂降りの雨へと変わる。

頬を伝う雫が雨とは違い熱を持っていたけれど、きっとこれは涙なんてものではない。そう、だって悲しむことなんて何もないのだ。いや寧ろ喜ぶべきなんだ、だってこれでもうあの男と一生を添い遂げることは出来ないのだから。



「オレは何度だって繰り返すよ。アンタが俺を選んでくれるその時が来るまでずっと、ね」




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