病名:急性ナントカ中毒2
俺の取った行動は単純なものやった。あの日と同じ行動を取る事にしたんや。
何度も同じ居酒屋に行って泥酔状態になって、ふらふらになりながら帰ろうとすればまたマンションに辿りつくんやないかな…と期待する作戦。
けどいつも家まで辿りついてしまうだけで、再び迷子になってあのマンションに辿りつく事には今の所成功しとらん。…家について落胆するなんて、俺も相当頭イカれとるやろ。
こんなリスクは高いし効率も悪い作戦、普段の俺なら絶対に選択しない。それでも僅かな可能性に賭けたくなるほど、大きな賭けに縋りたくなるほど、俺は謙也さんに会いたかった。それほどまでに謙也さんの笑顔が恋しかった。
何より、会えない日数が過ぎていくほど、謙也さん寂しがっとらんかな…とか考えてしまって。
…頭の片隅では分かっているのに。一度拾っただけの酔っ払いに会えなかった所で、謙也さんにとってはどうってことないと、分かっている筈やのに。
「っちゅーか、あんなでかいマンションやのに調べても出てこんとかおかしいわ!」
「あーはいはい、財前君今日も酔ってるねえ。…そろそろ頃合いじゃないかな、ほら帰る支度しないとマンションどころか自分の家にも帰れなくなるよー」
「まだ酔っとらん…」
居酒屋で今日も今日とて良い具合に酒をあおり、すっかり酔っぱらった(一応自覚はしとるわ、アホやないし)俺を見て店主は呆れたように溜息を吐いた。どうやら酒が入ると俺はわりと絡む方らしく、店主はすっかり俺の事情に詳しくなってしまっている。その店主が言うのだから俺の酔いもそろそろ頃合いなんだろう。
離れた席の客と仲良くなっていた遠山に声をかけると、遠山は笑顔で駆け寄ってきた。自分は犬か。
…自分の奴は自分で払いや、と言って金を手渡すとにっこにこ頷く。こいつの笑顔もまあまあ謙也さんに似てるな、と思った事は一度や二度ではない。魅力的なのは謙也さんの笑顔の方やけど。
薄手のパーカーに腕を通して黒ぶちの伊達眼鏡をかける(逆ナン対策として遠山が無い知恵を絞ってくれた)。外に出てその冷え込みに一瞬身震いをしたけれど、夜やからしゃーない。月明かりは今日もあの人の髪みたいに綺麗やった。
そうして薄く明かりが灯るだけの夜道を、おぼつかない足取りで歩いていた…けれど。
――…おかしい、何かおかしい。
ふわりふわふわと綿飴のように浮遊する頭でも明らかに違和感を覚える、薄暗さの蔓延る街並み。普段通い慣れた静けさとは品が違う、どこか高級そうな立ち並び。朦朧とする意識の中でぼんやりと考える。
…この流れは、アレかもしれん、成功したんかも。あ、けどそろそろ限界や、意識しんでまう。
もはや考える、という行為すら毒や。俺は普段そう飲まないし、自分の理性を飛ばす程何かに熱を入れるという事が限りなく少ない。やからこそ此処までのめり込んでしまったのは初めてで、思考を働かせるという事すら億劫になるなど、普段冷静な俺にとってあり得てはならない事やった。
つまり冷静に対処する事ができず、身体の制御もきかない状態。意識の隅で「作戦成功した」と思っているのに、あのマンションを目指す事すら出来ずにいる。その考えも何もかもが薄れ行きそうで。
そのままずるずると背中から倒れ込むと、ぼすん、と柔らかい感覚がした。ゴミ捨て場にでも倒れたのかも知れへん。はっ、酔っ払いにはお似合いや、なんて嘲笑して見上げた先には…どこかおぼろげに記憶のある高級マンション。
「……けにゃ…さん…」
呂律も思考も回らないぐらいに酔ってるからか、たったそれだけの事がすごく嬉しくて涙が出そうになった。…会える、とは限らへんのやけど。それでもマンションに辿りつけた事が、会えるという可能性がぐっと高まったという事実が目の前に差し出されて、嬉しくて仕方が無かった。
(あー……一晩ここで過ごして道覚えよ…ゲロでそ)
あとは一晩変なのに拾われない事、それだけ。
寒空の下で意識が朦朧として、ゆっくりと重力に負けて瞼を下げていく。…ピアスから伝わる冷気ですっかり生気を失った耳に声が届いたのは、閉じかけた瞼が完全な一本線となる直前。
倒れている俺の右側から、数人の若い男の声が聞こえてきた。
「まぁそのうち見つかるやろ、跡部も手配してくれる言うたし」
「ハッ、たかが男一匹探すのになんで俺様が手伝わなきゃなんねーんだよ」
「堪忍したってや跡部、俺の大事な従兄弟の一大事(笑)なんやから」
「おいコラ待て侑士、(笑)ってなんやねん(笑)って。こちとら本気やっちゅー話や!!」
(………!!)
「しっかし偶然出会った男の子に一目惚れ、やろ?向こうはなーんも忘れとるかも知れへんで?」
「わ…分かっとるわアホ!……せ、せやけど会いたいんやもん、しゃーないやろ……」
薄眼の先に見えた姿は紛れも無く、まぎれもなく、俺が会いたがっていた人。
紺碧の空にまみえても笑顔はやっぱり曇らず魅力的で、その金髪は頭上で煌々と輝く月と似ている。誰よりも明るいトーンで紡ぐ声色とか、すらりと伸びる大人っぽい四肢と細身の体、反対に落ちつきのない動作と表情。
ほんまに思考の働かない頭でも分かるぐらい、全てがあの人だと叫んでた。謙也さんやって…あれは紛れも無く求め続けた、大好きな謙也さんや!って、心臓がうるさくてたまらん。
けど隣にはやったらイケメンのお兄さんが二人。横並びでゆっくりと、品の良さを損なわずに歩いてくる。謙也さんは当然のこと、ポーカーフェイスの二人もなんだか楽しそうにしとるんが見えた。
…ねえ謙也さん、その人ら誰ですか、俺みたいに拾ったんですか?
会いたいって、誰に?
…もし謙也さんが会いたがってる奴が誰であれ、なんや俺みっともないな。
同性やのに一目惚れして、女々しく片思いして、奇跡待ってストーカーまがいの事して、ほんまに辿りついてもうて。…けど謙也さんが受け入れてくれるとは限らんやん、しかも好きな人居るみたいやし、イケメン傍に居るし。
謙也さんが好きで、やっと会えた事が嬉しいのに、嬉しくない。謙也さんが俺を拾ってくれたのは紛れもない偶然で、一回きり。そして謙也さんが俺を拾ってくれたのは、俺やからやない。
……誰にでも、優しいから、や。
(…なんか、考えれば考える程みじめやん、俺)
謙也さんは輝く満月のように誰にでも優しくて誰をも惹きつける。俺はといえば気取って誰にも優しくできひん、冷たい新月みたいなもんや。…そんな俺に謙也さんが「またな」と言ったんは当たり前の様に優しいから。理解していた筈なのにいざ直面すると、心がきしむ。
頭がぐるぐるしてろくな考えができひん筈やのに、病気で独りぼっちになった時のように思考回路がマイナス方面へと全力疾走しとった。こんなに哀しいの、中学ん時にインフルで寝込んだ時以来や。
泣きそうな顔を外気に晒すんが嫌で、思わず片腕で瞳を覆った。あー、こんな好きになっとったなんて。
少しずつ近づいてくる三つ並んだ足音と、途切れる事のないやり取り。会いたい、顔を見たい、また謙也さんと喋りたい。けど、見ないでほしい、見つけないでほしい、辛くてかなわん。相反する気持ちを持つという事が人間の性やけど、こんなジレンマ酷すぎる。
「お、あの白いのが謙也のマンションやな。…でかすぎやろ」
「アーン?馬鹿言え、30階建てなんて俺様のマンションにしちゃ貧相だろ。本当はもう少しでかいのプレゼントしてやるって言ったのによ…本当ヘタレだよなお前」
「あーはいはいその節はお世話になりました!…せやかてしゃーないやろ、これでも妥協したんやって!本当はちっこいアパートで十分やったんに…自分の感覚どないなっとんねん!!」
「…っちゅー事は謙也最上階に住んどるんか…俺も同じ事になっとるけど、お互い大変やなぁ」
「侑士も最上階まるまる貰ったんか!…まぁ、俺27階から上全部もろたんやけど…」
「…すまんなぁ、こんな派手好きと知り合いにさせてもーて」
「おい忍足兄弟…今度は70階建て押し付けてやろうか!」
「兄弟やありませーん。……ん、あれ…誰かゴミ捨て場に倒れとらんか?」
「ん、ほんまや。あれうちのゴミ捨て場や…って……!!?」
――…財前!!
そう叫んで駆け寄ってきた謙也さんの体温は思っていたよりも低くて、それが俺の酔いが相当なものだと伝えているような気がした。
血相を変えて俺を揺さぶる謙也さんに、動かさないで適切な処置をしろと叫ぶ眼鏡の男。泣きボクロのある御曹司風の男は後ろでマスターキーをちらつかせ早くしろ、とせかし立てる。俺はただ謙也さんの背中におぶられて、意識を半分以上飛ばしたまま。
哀しいやら嬉しいやら朦朧とするやら、なんや訳の分からん状態やった。
3人の会話がぐわんぐわんと脳内を反響する中、俺の身体は謙也さんが歩く度に揺れ動いて、波打つように上下する。そのままエントランスを抜けてエレベーターに乗り、やたら長い時間をかけて辿りついたのは恐らく最上階。
そうと分かったのは、鼻をかすめた淡い匂いが憶えのあるものに違いなかったから。
「とりあえず急いで運んだはええけど…呼吸はさっきよりかは落ちついとるし、顔色も少し赤いだけやな…急性アルコール中毒は怖いんやで!って言うても聞こえてへんか」
「体温も異常あらへんし、嘔吐する気配も今ん所は無さそうや。…良かったな、謙也」
「じゃあ横向けて寝かせといて、と…後は俺が見とるから、二人はちょおジュース買ってきてもろてええか?できればグレープフルーツの…」
「は?なんで俺様がパシられなきゃなんねーんだよ…アーン?」
「はいはい酔い覚ましにって事やんな。…ほな行くで跡部、少しは空気読みや」
「お、おい忍足!引っ張んな!!」
謙也さん、謙也さん、謙也さん。
うつろな頭でそれだけを繰り返した。足音が減った時、もしかして出ていってしもたんやろか、と。
たった一度拾われて会話をして、それだけでこんなに好きになって、情けないにも程がある。せやけどほんまに好き、謙也さんが好き。たとえ謙也さんが他の奴を好きだとしても。
…さっきの奴ら、謙也さんの何なんやろ。鍵も持ってたみたいやし。
なんてシリアス風味に陥りながら、俺の意識はブラックアウトした。
しゃーないやん、頭撫でられながら優しい声で「おやすみ、財前」なんて好きな人に言われたら。寝るわ、寝るに決まっとる。クールで通ってようがなんだろうが、俺やって人間や、恋したらこうもなるわ!