故に貴方を愛します
こんなに静かなテニスコートは、今までになかったんじゃないかと思う。いつも、皆の笑い声と、玉を打つ音が混ざって、にぎやかで、なんだか変な感じだ。そういえば白石君と初めて出会ったのも、ここだ。いろんな感情が混ざり合ってる、そんな場所なんだと思った。
「…もー、やだな」
全部投げ出したくなった。男装時から逃げた途端、白石君に苗字の方がいいって言われて、…本当に私の居場所は、ないんだって思った。もう、皆と縁を切って、男装してたことも全部忘れて、何もなかったかのように、生きていきたい。
うん、そうしよう
「…かえるか」
もうホントにサヨナラだ。千歳、謙也、小春、ユウジ、財前君、…
白石君…
「…う、っ、最後に…デート、したかったなあ」
涙があふれてきた。もう泣くしかこの気持ちを落ち着かせるすべを思いつかなくて。ただただひたすら泣いた。
「……名前ちゃん!」
「…し、らいし、君…?」
コートの入り口を見ると、汗を流して、息をきらした白石君。なんで…なんで、ここにいるの?
「…なんで、ここに…」
「なんとなく、ここにいると思って」
白石君は息を整えると、一歩ずつ、ゆっくり私に近づいてきた。風で長い髪が揺れる。ニセモノの、髪の毛が。
「…白石君」
「なあ、名前ちゃん、ひとつ聞いてええか?」
「……な、に?」
「俺のこと、めっちゃ好きやろ?」
え
一瞬、ふざけてると思って、白石君を見たら、そこには、いつもの白石君がいた。ほんとに、いつもの、いつもの
男装時に向ける、笑顔をした白石君が
「…好きだよ、…好きっ、だいすきにきまってんだろ、…白石君の、馬鹿…っ」
涙があふれて、こぼれそうになった瞬間、私は白石君の胸の中に押し込まれた。ああ、白石君の、匂いがする、心地よくて、安心する、白石君のにおい。
「…みつけた…、苗字…こんなとこに、おった…」
首元に、あったかいものを感じた。白石君、泣いてるの?なんて聞けるわけもなく、ただその胸に顔をうずめた。
「…きづくの、おせーよ、ばか…ってか、この、ナルシスト…っ」
「ハハ、でも、苗字は俺のこと大好きやったしなあ、…でもずっと思っててん」
「なにを?」
「名前ちゃんの中には、苗字がおるなあって」
「…ほんと…?」
「ほんま。多分俺、名前ちゃんがどんな格好してても、絶対わかるわ」
「…なんで?」
「苗字名前が好きやから」
故に貴方を愛します
20110714.