謙也と謎の女
俺は大阪に生まれずっと大阪で育った。地元を大切にすることはいいことだが、まあ悪く言えば井の中の蛙ってやつや。俺はそんなん嫌やった。せやから大学はとにかく大阪から出よ思た。大阪と東京の大学を一通り受けて、いく大学は確保できた。そして俺は選択を迫られた。大阪の大学にいくか、東京の大学にいくか。もちろん俺は東京にいきたがった。反対したのは親やった。確かに大阪にいてもらいたいという気持ちはわかる。せやけど俺は東京にいきたかった。だから俺は授業料を奨学金で払うことを決めた。生活費はすべてバイト代。親は家賃だけ払ってくれる。そう言い切って、俺は家を飛び出した。
「おい謙也、飲み過ぎや」
「大丈夫やて」
東京ではよく侑士と飲みに行った。東京にはテニス関連で知り合いがそこそこいたから、出かける相手探しには困らなかった。新しい友達もできたしな
「お前そないに酒強ないんに、飲み過ぎやろ」
「ん〜…」
「バイト疲れやろ。はよおばさんに謝って金送ってもらい」
「うっさいわアホ」
侑士の耳障りな話をスルーして、俺はその居酒屋を後にした。外に出ると、濁った空気が肺に入る。せやった、ここは東京やった。同じ大都会だっていうても、大阪にはある人の暖かさが、東京にはなかった。
「は〜…気持ち悪」
ふらつく足をコントロールし、俺はなんとか下宿先にたどり着いた。オートロックもない、安アパートだ。実家の家とは大違いや。茶色い重い扉を開けると真っ黒で空っぽな部屋が広がった。靴を脱ぎふらふらとベッドへ向かい、なんとかたどり着いて荷物をドサ、とおく。身体もベッドへダイブさせ、死んだように身を沈めた。
「気持ち悪…………」
あかん、ほんまに飲み過ぎや。とりあえず、水飲もうと思て、キッチンへと向かおうとする。ふと視界に黒くて大きな何かが入った。
「…あ、クモや」
かなり大きくなったクモやった。このクモは俺が東京に来たときからこの家にいた。いつの間にこないに大きなっとんたんか。
「はあ、仕方ないわ」
俺は近くに落ちていたノートを丸めて右手にぎゅっと握り締めた。
「増える前に退治しとかな、」
バシン!!
いきなり目の前が真っ暗になった。ああ、俺寝とったんか。ゆっくり目を開けると、白熱灯の光が目にしみた。
「ふあ…俺どれくらい寝とったんやろ…」
「結構寝てたよ。涎垂らしながらね」
「ほんまに?うわ恥ずかし」
…………ん?今俺誰と会話したんや?ふとベッドの前にある机に目をやると、そこには女の子が座っていた。長い黒髪で、目も真っ黒、ワンピースも真っ黒。唯一白い肌がよく映えた。ここらじゃ見ない顔をしていて、まあ一言で言うなら美人。ていうか、この子誰やろ。俺女の子家に連れ込んだ覚えはないで。
「………え…君だれ?」
「寝るならさあ、ちゃんと布団被ったほうがいいよ」
「あ、ああ。スマン」
て、話きいとらんし。彼女はス、と立ち上がり、俺の方へ近づいた。ワンピースから伸びる、すらりとした真っ白な足が目に入る。うわ、キレーな足。侑士が見たら喜びそやな…
「ちょっと、どこ見てるの?」
「えっ、あ、スマン」
「ところで、学校はどう?」
「…………は?」
「友達できた?」
頭のなかが混乱した。まずこの女の子の登場事態俺を混乱させたのに、この子の質問内容も大分おかしい。なんて答えればええんや
「…まあ、友達はできたけど…」
「そっか、ならよかった。楽しくやってるみたいね」
「はあ…」
なんなんやろこの会話。おかしいにも程があるわ
「でも一人暮らしってどうなの?」
「え?」
「謙也はどっちかというと、一人は苦手でしょう?」
「え…まあ…」
「寂しくないの?」
どき、と心臓が揺れた。こいつは一体なんなんや。得体がしれないし、話の内容が嫌だ。核心を突くような内容ばかりで窮屈な気持ちになる。
「さ、寂しいわけあるか!」
「………………」
彼女はニコっと笑うと、再び立ち上がり、部屋を眺めはじめた。散らかってるな、と小言を言いながら部屋に散らばった本を片付ける
「あんまり触らんといて」
「ふ、エロ本でもあるわけ?」
「な…!あるわけないやろ!」
ほんまになんなんこいつ!イライラと恥ずかしさで顔が真っ赤になってしまう。そんな俺の様子を見て、ニヤリとする女。
「相変わらずだね、謙也は」
「な…なんやねん」
「ふ、溜まってるなら抜くの手伝ってあげてもいいよ」
「な…!あほか!」
彼女は急に俺に近づいてきて、股関を服の上から撫でる。変態か!彼女を振り切ると、けらけら笑う彼女。…なんでやろ、こいつ始めて会ったようにおもえんわ
…相変わらず?
「なあ、俺お前とどっかであったか?」
「んー?」
彼女は再びニヤリと笑みを浮かべて、俺の方へ近づいてきた。
「…ずっと知ってるよ。謙也が高校生になったくらいから。勉強してる姿も、昼寝してる姿も、彼女とセックスしてる姿も、一人で抜いてる姿も、全部見てきたからね」
ぞくっ
鳥肌がたつのがわかった。こいつ、なんなんや。一体誰なんや。だらしないかもしれんけど、怖いと思ってしもた。
「ねえ、一人の嫌いな謙也君」
「や、やめろやその言い方」
「さみしがってるのは謙也だけじゃないよ」
「…え」
彼女は窓を開けて、空を眺めた。真っ黒な夜空に、真っ黒な彼女は飲み込まれてしまいそうだった。唯一、月明かりだけが彼女の存在を映し出していた。
…綺麗な女やな
「ふふ、何見てるの?」
「べっ別に」
「…もういかなくちゃ」
「…へ……」
「謙也が元気そうでよかった。ずっと君を見てきたから、少し心配だったの。急に一人暮らしするって言い出してさ。でも安心したよ。今日、謙也と話せてよかった」
まるで遺言みたいなことを言いだす彼女と、その内容に不信感を覚えた。こいつは何を言っているのか。まるでずっと俺のそばにいたような、言い草。
「こっそり鞄に忍び込んでついてきたけど…それももう終わりね」
「…は…?」
「じゃあね」
彼女はくる、と俺に背をむけ、窓へと向き合う。
「あたしがこれだけ心配してるんだ、親御さんはもっと心配してるだろうよ、早く連絡してあげなよ」
「………………」
「ふふ、何その顔」
俺はいまどんな顔をしているか、わからない。だけど心の中には、なにか理解した気持ちがあった。
「…なあ、どこいくん?」
「――天国」
「だって謙也は私を殺したから」
はっ
目を覚ますとそこにはいつもの部屋が広がっていた。今のは夢か…
ふと机をみると、散らばっていた本が積み重ねられている。ああ、夢じゃなかったのか。おれはゆっくりと立ち上がり、電話を手にとって、慣れた番号を押す
「あ、おかん?謙也やけど――」