広い広い、青と海。
翌日。
名前はティキと共に外に出ていた。
昨日は兄の残した部屋で寝てもらい、服なども兄の物を使ってもらったのだ。
ちなみに、今着ている白いシャツと黒いパンツも、兄の使っていたものである。
「…悪いね、何から何まで用意してもらって」
「いいんです。それに、全部兄の使っていたものですし」
意外とサイズの合う服に、ティキはおそらく彼女の兄が自分と同じくらいの背丈であったのだろうということを感じていた。
あまり深く聞くことはできないため、憶測に過ぎないのだが。
二人が歩いてきたそこは、デパートのようなところだった。
あまり大きくはないが、自分の世界では見たことのないそれに、ティキはきょろきょろと周りを忙しなく見ている。
物珍しそうなそんな視線に、名前は笑みを零すとティキの手を取りデパートの中へと入っていった。
デパートに入れば、二人はまず服が置いてあるお店へ入ることにした。
メンズ店らしいそこに入ればやはり中は男性ばかりで、名前は苦笑を漏らしつつもティキを連れて一緒に入っていく。
そんな名前に彼は申し訳なく思いつつも、ただ彼女についていった。
「お金はちゃんと用意してあるので、遠慮なく選んでください」
「…いいのか? どんだけ滞在するかもわかんねぇのに」
「いいんですよ。それに、やはり兄の物を使わせてしまうのはなんだか申し訳ないですし」
そう言いながらもお店の中へと入っていく名前。
ティキがその後ろをついていくような形で歩いているため、ティキからは彼女の表情は一切見えない。
しかし、どこか切ないような、そんな感情をティキは感じ取っていた。
「…じゃ、お言葉に甘えて少し買わせてもらおうかな。お嬢さん、よかったら俺に似合いそうなの選んでよ」
「え、わ、私がですか!?」
しけているのは性に合わないし、だからといってこんなとき上手い言葉をかけられるわけでもない。
そう結論付けて、彼は名前の横へと並ぶとそう言って微笑んだ。
ぽんと軽く肩を叩けば、彼女は驚いた表情でティキを見上げてきた。
「私、そんなセンスとかありませんし…ティキさんが選んだ方がきっといいのが…」
「俺はお嬢さんに選んでほしいんだけどなー」
ダメかなー、と笑うティキに、名前は慌てた素振りで首を振った。
頑なに拒むような様子ではないが、自分では無理だと思っているらしい。
自信なさげに視線を彷徨わせる名前に、ティキは唐突に彼女の手を掴んだ。
「…じゃあさ、俺と一緒に選んでよ。それならいいっしょ?」
名案だと言わんばかりに、彼は彼女の手を引くとそのまま店の中を歩き出す。
そんなティキに、名前は動揺しながらもどこか嬉しそうな顔で、彼の後ろを歩き始めたのだった。
どんな色が好きですか、柄物は好きですかといろいろ問いかけてくる名前に、ティキは満更でもないなと思っていた。
なにせ、今までの女性との付き合いといえば、黒い自分の時の舞踏会やパーティーくらい。
まともに女性と付き合っていたわけではなく、ましてや自分の容姿を気にせずに傍にいてくれる人など今までのいなかったのだ。
真剣に服を見て悩む彼女を見ながら、彼女の元に来れてよかったと、ティキは心の底からそう思った。
結局、名前が選んで買ったのは白のパンツに黒いVネックの七分袖だった。
ティキもそれに満足してか数枚のシャツ系の服とTシャツを買い、二人はそのままその店をあとにした。
その後、二人が行ったのは雑貨屋。
必要そうなものを揃え、最後に食料品の買い物を済ませ。
二人は並んで帰路についていた。
「…結局、いろいろ買ってもらっちまったな」
「いいんです。お金ならそれなりにありますから。それに…」
「それに?」
不思議そうに首を傾げるティキ。
そんな彼に、名前は嬉しそうに笑った。
「それに、楽しかったです。こんな風に人とお話しながら買い物したことなんて、なかったので」
その言葉に、彼はきょとりと名前を見下ろした。
嬉しそうにニコニコ笑う彼女は、そんなティキの視線に気づいていない。
おそらくは、そんな深く考えずに出てきた言葉なのだろうが、ティキにとっては考え込むは十分な言葉だった。
有り余るくらいにあるという、お金。
なんでもソツなくこなし、一人で暮らしている彼女。
兄は亡くなったと聞いたが、両親がどうしているのかは知らない。
彼女は、実はいろいろな思いを背負っているのではないのかと、ティキは複雑な気持ちになった。
「…ティキさん? どうかされましたか?」
「…っ、いや、なんでもない」
気がつけば、名前が不思議そうにティキを見上げていた。
ティキはそんな彼女に曖昧に笑い返せば、空いた片手でわしゃりと名前の頭を撫でた。
撫でられた名前は驚いたように目を丸くさせて彼を見上げるが、しばらくするとクスクスと笑った。
「…なんだか、ティキさんが兄になったみたいです」
「兄ちゃんって柄じゃないんだけど…」
「そんなことないと思いますよ? 手が、優しいんです」
彼女の言葉を聞いて、ぴたりと手が止まる。
優しいなんて言われるなんて、思いもしなかったのだ。
これまで、この手で何人のエクソシストを殺してきたのだろうか、と。
なんてこともなくそのまま歩いていれば、ふと見えてきたのは海。
行きには見なかった光景に、ティキが彼女を見れば、名前は楽しそうに微笑んでいた。
「息抜きにどうかなぁって、思いまして。ずっと気を張っていらっしゃるように見えたので」
「…そんな風に見えてた?」
はい、と、名前は微笑んだままに頷いた。
知らない間に心配をかけてしまったのだろうかと、ティキは申し訳なさそうにぽりぽりと頬をかく。
そんなティキに気づいてか気づいていないのか、名前は履いていたサンダルをおもむろに脱ぐと、そのままバシャバシャと海に向かって歩いていった。
「海は広いですね」
「…そうだな」
「いつか…きっと、帰れますよ」
世界はどこかで繋がってますから。
そう言って笑みを浮かべた名前。
確信めいたその言葉に、どこか安堵にも似た感情が心に染み渡るのを、ティキはたしかに感じていた。
―――ほんと、調子狂うな…。
それでも、それが嫌でないと思う自分がいて。
海のように広く透き渡った彼女に、心の中でそっと感謝した。
そして、そんな自分にティキは楽しげに笑うのであった。
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