そっと優しく包んで、
彼と私の出会いは、突然のようで前から会ったことのあるような、そんな感じのものでした。
とある企業の企画課に勤める私は、姉一人とその結婚相手である義兄、そしてその子供の四人で暮らす、ちょっと変わった家族で暮らしていた。
三歳になる子供の由子(ゆず)ちゃんは、今年から保育園に通うことに。
共働きだった姉と義兄にはそれがとても助かって、一つの問題でもあった。
そう、お迎えにいけないのである。
警備会社に勤める義兄も、病院で看護師をしている姉も、あまりにも不定期な仕事をしていた。
そこで問題を解決するにあたったのが、私、名前。
『…迎えに行けない日なら、私が行くよ?』
姉曰く、私のこの言葉はものすごく助かるものだったらしい。
まあ、結局ほぼ毎日私がお迎えに行くことになってしまうのだけれども、それから私にとって新たな生活が始まるのだった。
誠凛高校の近くにある、小さな保育園。
今日も今日とて、私は由子ちゃんを迎えに来ていた。
とは言っても、今日はプレゼンの打ち合わせが遅くなってしまって、いつもより20分くらい遅刻している。
車に乗り込みながら慌てて保育園へと電話をかければ、優しそうな男性の声で「待っていますね」と言われ、私はホッとしながらも車を走らせて保育園へと向かった。
「――す、すいません、名字由子を、迎えに来ました…!」
車を走らせ数十分、軽く帰宅ラッシュの渋滞に嵌りながらもなんとか保育園に着いた。
慌ててお迎え口の方へと走れば、たまたま近くにいた人が、こちらを振り返る。
水色の短髪がやけに綺麗で、思わず一瞬見とれてしまった。
それが、私と彼の初めまして。
「…お疲れ様です、由子ちゃんが待ちかねていますよ」
「ご、ごめんなさい、もう少し早く来るつもりだったんですけど…!」
「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。由子ちゃん、いい子にして待っていましたから」
優しく微笑むその青年は、恐らく私と同い年くらいだろうと思った。
なんとも安心させてくれるようなその笑顔に、私も思わずホッとする。
すると、パタパタとした走る音が聞こえてきて、由子ちゃんが部屋からひょっこりと顔を出した。
「名前ママ、おしごとおつかれさま!」
「ごめんね由子ちゃん、遅くなっちゃって」
申し訳なさげに笑いつつも、しゃがんで手を広げる。
勢い良くダイブしてくる由子ちゃんをちゃんと抱き締めてあげれば、由子ちゃんは嬉しそうに笑いながらもすりすりと頬ずりをしてきた。
本当の親じゃない私をママなんて呼ぶなんて、ほんと可愛い子に育ったものだ。
「…じゃあ、くろこせんせー、さようなら!」
「さようなら、由子ちゃん。また明日も一緒に遊びましょう」
「ありがとうございました」
由子ちゃんの言葉に一瞬何かが引っかかるものの、「早くお家に帰ろう!」と手を引っ張ってくる由子ちゃんを放っておくわけにもいかず。
私は、そのまま由子ちゃんと一緒に保育園をあとにした。
あの保育士の青年が、多大な誤解をしているとも知らずに。
あのあと、何度かあの青年を見かけることはあっても、私から話しかけることはなかった。
由子ちゃんに聞いたら、彼は黒子テツヤという名前らしい。
由子ちゃん曰くいたりいなかったりする不思議な先生で、バスケが好きなのだと。
なんだかよくわからない人だというのが印象的で、いつの間にやら私は、興味からなのか、はたまた違う理由なのかはわからないけど、彼のことをよく探すようになっていたのだった。
それから、数日経ったある日のこと。
土曜日で仕事が休みだった私は、ふらりと自分の出身校へと足を運んでいた。
そう、誠凛高校に。
久しぶりだなぁと、そんなことを思いながらも校内へと進む。
昔私の担任だったおばあちゃん先生が今年で定年らしいと聞いたので、ついつい遊びに来たのだ。
先生は相変わらずで、年を感じさせないくらいに元気だった。
1時間くらい話をしていれば、先生が呼ばれてしまったため、キリもいいからと先生に別れを告げる。
なんとなく校内を探検したくなってしまって、近くにいた他の先生に許可をもらうと、私は校内を歩き出した。
卒業した五年前のことを思い出しながら、廊下をゆっくり進む。
自分が使っていた教室は昔と何も変わらなくて、なんだか笑みが溢れた。
「…ほんと、懐かし…」
高校時代は、バレーボールをやっていた。
とは言っても学業推薦で入学したために、ほとんど部活に出ることはできなかったけれど、まあそれなりに楽しい高校生活だったのではないだろうか。
みんなとやったバレーは、いい思い出の一つである。
最後に体育館へと向かえば、ダムダムと特有のドリブル音が聞こえてきて、私はこっそり体育館を覗いてみた。
そこにいたのは、部活をやる学生に紛れて、赤髪の大きい青年に、もう一人見覚えのある人が。
「…黒子、先生…?」
部活をやっていたのは、男子バスケ部だった。
かつて名を馳せていたこの部活は、私が在学していた頃に凄まじい成長を見せ、好成績を収めていた、らしい。
詳しいことなんて忘れてしまったけど、それよりも、私は彼がここにいることの方が驚きで、思わず影に隠れてしまった。
どこかで見たことがあると思ったのは、たぶん同級生だったからなのかもしれない。
なにしろ、あの赤髪の青年には見覚えがある。
帰国子女の、火神君だ。
なぜ私が彼のことを覚えているのかと言えば、一度先生に頼まれて彼の補講を手伝ったからだったりする。
しばらく練習風景を眺めていれば、ふと黒子君と目が合ってしまった。
ほんとに一瞬のことだったので気づいていないかも、なんて思ったりしたんだけど、彼は近くにいた火神君となにやら少し話をして、私の方へと走ってきた。
「…こんにちは。まさか貴女がここにいるとは思ってもみませんでした」
「え、と…お久しぶりです、黒子先生」
「ここは保育園じゃないので、先生はやめてください。照れてしまいます」
さっきまで動いていたせいで流れ落ちる汗を、彼は持っていたタオルで拭う。
なんだかその仕草にすらドキドキしてしまって、私は思わず視線を逸らしてしまった。
そんな私に彼は困ったように笑うと、近くに置いてあった折りたたみの椅子へと案内された。
部活をやっている他の生徒の子達は私達のことなど見もせず、真剣に部活に取り組んでいる。
「…名字さん、誠凛出身だったんですね」
「そうなんですよ。それに、火神君とは一応面識があるんです」
私の言葉に、彼はきょとりとしていた。
まさか同学年だとは知らなかった、という顔である。
私も私でさっき思い出したのだと告げれば、彼は照れくさそうに微笑んだ。
「そうだったんですね。…でも、驚きました。同級生がもう結婚しているなんて」
「…えっ?」
「あれ、もしかしてシングルマザーというやつですか?」
「えっと、違いますよ、黒子君」
突拍子にとんでもない発言をされて、思わず固まってしまった。
驚きながらも首を振れば、彼は不思議そうに私を見つめてくる。
そこでふと、この前由子ちゃんが私のことを「名前ママ」と呼んでいたことを思い出した。
「たしかに、由子ちゃんは私の家族も同然ですが…あの子は姉の娘なんです」
「えっ、そうだったんですか?」
「義兄が婿養子に来ているので、姓がそのままなんですよ」
軽く家族のことについて説明したら、彼はホッとしながらも納得したようだった。
そこでふと、膝に置いていた手をそっと握られる。
びっくりして黒子君を見れば、彼はどことなく嬉しそうに微笑んでいた。
「…それを聞いて、安心しました。ボクにもまだ、チャンスがあるということですね」
「…へっ」
「結婚されているというならお伝えするつもりはなかったんですが…お恥ずかしいことに、どうやらボクは、貴女に一目惚れをしてしまったみたいです」
取られた手を優しく握られ、にこりと微笑まれる。
その手が、その表情が、私を全て包み込んでくれるようで。
私が、完全に恋に落ちた瞬間でした。
そっと優しく包んで、
(それから私と彼が付き合い始めるのは)
(そう遠くない未来のお話)
(幸せな日常の、始まりでした)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初黒バス、そして初黒子夢でした!
敬語で紳士な彼が好きです(*´ω`*)
一目惚れしたけど、結婚してると勘違い…からの、実は未婚でしたっていうお話が書きたかったのです(笑)
prev next