優しいキスを
「…あれ、骸さんは?」
「バカ女と一緒にどっかに出かけたぴょん」
外は快晴。
せっかくだからとみんなの洗濯物を一気に済ませ、部屋の中へと戻る。
出迎えてくれたのは犬くんで、その顔はとてもではないがご機嫌とは程遠かった。
千種くんは台所で料理をしている途中らしい。
この匂いからすると、お昼は炒飯かなーなんて思いながら、洗濯物籠を定位置へと戻した。
洗濯物をベランダに干しに行く前、つまり十分前くらいまではたしかにリビングにいたはずなのに、彼は忽然と姿を消していた。
一緒にいた筈の凪ちゃんもである。
でも、いつものことなので何ら慌てることもない。
不貞腐れて明らかに「オレ不機嫌!」っていうオーラを醸し出してる犬くんに、私は思わず失笑するしかなかった。
数年前、だいぶガタがきていた黒曜ランドからおさらばし、並盛町の外れにある少し大きめのマンションへと移ってきた私達。
骸さんの弟子だったフランくんは、それと共にヴァリアーへと入隊した。
残った私と骸さん、犬くんに千種くん、それに凪ちゃんは、こうして今もまだ一緒に生活している。
「…ったく、ほんとずりーぴょん! 骸さん独占しやがって」
「まあまあ。それにほら、もしかしたら綱吉くん達に会いに行ったのかもしれないよ?」
「…犬、静かにしなよ。めんどい」
憤慨だと言わんばかりに、絨毯の上をゴロゴロ転がる犬くん。
さっき掃除したばっかりなんだけどなぁ、なんて思っていれば、ちょうど千種くんが炒飯の盛り付けられたお皿を持ってリビングへとやってきた。
彼の料理は、いつ見てもとても美味しそう。
いや、実際すごくおいしいんだけど。
ついさっきまで不貞腐れていた犬くんも、いつの間にかスプーンを持って食べ始めていた。
ほんと、現金なものだ。
でも、はっきり言って機嫌の悪い犬くんを相手にするのは骨が折れるので、助かるの一言に尽きる。
午後は片付けをしてのんびりかなーなんて思いながらも、とりあえず千種くんが作ってくれた炒飯を食べ始めたのだった。
食器洗いを済ませテーブルを拭き終わると、一段落したなーと思いながらリビングのソファーへと腰を沈める。
日当たりの良いこのソファーは、私のお気に入りの場所だ。
引越し当初、よく日の当たるこのソファーに寝転がる私に、「光合成してるみたいぴょん!」と犬くんがよく笑っていたのはいい思い出だったりする。
「…骸さん、まだかなぁ…?」
彼が何も言わずに出ていくことは多い。
ましてやそういう時はだいたいボンゴレ関係の仕事についていて、絶対に凪ちゃん以外の私達はついていかない。
いや、ついて行けないんだ。
骸さんがダメだと言ったわけじゃない。
だけど、いつの間にかそれが暗黙の了解と化し、私と犬くん、千種くんはこうしてマンションで二人の帰りを待っている。
私は、みんなみたいに戦う術を持っていない。
だからこそ、こうやって待つことがすごくすごく怖い。
ソファーに常備してある毛布を引っ掴んで頭ごと被る。
さっきまで外に干してあったそれは、ほんのりお日様の匂いがして、なんだかホッとする。
早く帰ってきてほしいなぁなんて、ぎゅっと目を閉じれば、ふと頭に重みを感じた。
犬くんや千種くんとは違う、彼の手だとすぐにわかった。
「…あなたまで不貞腐れているのですか、名前」
「…違います」
「困った人ですね。犬の方がまだ素直でしたよ」
落ち着いた、低い声。
部屋に入ってきたことすら感じさせなかった彼は、忍者かと思ってしまうくらい。
ほんと、つくづくタイミングが悪いと思ってしまうのは私だけだろうか。
「顔、見せてくれないんですか?」
「…いや、です」
毛布を持つ手に力がこもる。
別に、本当に嫌っていうわけじゃない。
むしろ、おかえりなさいって言ってあげたいし、彼の顔だってちゃんと見たい。
頭に乗る手は優しく私の頭を撫で続ける。
優しさに、甘えたくなってしまう。
「…骸さん」
「…なんですか、名前?」
「なんで、私だったんですか」
私のその問いに、骸さんの手が止まった。
ずっと気になってた、私が彼の傍にいられる理由。
私はかつて、孤児院のようなところで過ごしていた。
生まれた時から親がいない、そう言われ続けて育ってきた。
そのままそんな生活を受け入れ、なんとか高校を卒業したある日、私は彼と――骸さんと出会った。
その町には珍しく、酷く霧の濃い日だった。
「…おや、こんな時間に人がいるとは」
「……?」
霧の濃い、早朝。
たぶん四時とか五時くらいだったんじゃないかと思う。
高卒で就職した先が借金発覚で倒産し、当時ろくな貯蓄すらしていなかった私は、路頭に迷っていた。
ばったり出くわした骸さんに驚いたのは事実だったし、こんな風に優しく話しかけてくれた人が初めてで、最初はすごく困惑したのを覚えてる。
「なんでも、ないです。ただ、歩いてただけ」
「…そうですか」
出てきた自分の言葉は、あまりにも素っ気なかった。
というよりも、孤児院での生活はこれがほとんど当たり前だったから、それはそれで仕方なかったかもしれない。
もちろんその時の私にそんなことを考える余裕なんてなかったけど、確かにこの時、骸さんは微笑んでいた。
「居場所がないなら、与えてあげます」
「…えっ?」
「一緒に来ませんか? 少なくとも、退屈はしませんよ」
そうやって連れてこられたのが、黒曜ランドだった。
まだあの時はフランくんもいて、すごくすごく賑やかだったし、骸さんの後ろ髪も今みたいに長くなかった。
ほとんど無口であんまり会話をしてくれない千種くん、片や騒ぎすぎてて何を言ってるのかさっぱりわからない犬くん。
凪ちゃんと打ち解けるのは、割と早かったかもしれない。
たまに来るM・Mさんはいつまで経っても慣れなくて、よく骸さんが仲裁に入ってくれたっけ。
思い出せば、すべてがすべて楽しい思い出ばかりだ。
でも、どうしてあの時、骸さんは私なんかを拾ってくれたのか、いつも不思議で不思議で仕方なかった。
骸さんの手が止まって、全く動かなくなってしまった。
もしかしてすごく困らせてしまったんじゃないかと思い、そっと頭を毛布から出してみる。
そこから見えた骸さんの表情は、困ったような、そんな笑みだった。
「…参りましたね、そこまで心配にさせてしまっていたとは」
「骸、さん…?」
さっきまで頭を撫でていてくれたであろう手が、私の頬にそっと触れる。
いつもと同じように、少し冷たいその手。
その手が僅かに頬を撫で、不意に骸さんの顔が私の顔へと近づいた。
今までこんなこと一度もなくて、驚いてろくに動けない私、微笑む骸さん。
そうして距離が零になり、彼の唇が私の唇にそっと触れた。
あんまりにも優しくて、私にとって初めてのキスだった。
「…貴女に一目惚れだったんですよ、名前」
あまりにも綺麗に微笑んでくれるものだから、私は恥ずかしさのあまり、再び頭から毛布を被ることとなったのだった。
優しいキスを
(おかえりなさい、そう呟いた私に)
(ただいま、と優しく囁かれた)
(暫くは、まともに彼の顔を見れなさそうだ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初骸さん夢。
大人骸さん美人過ぎて好きです。