傷つけ傷つけられ




ロードとしばしのお茶会を楽しんだ紗雫は、ロードに連れられ自分が寝ていた部屋へと戻っていた。
起きてからちゃんと見ていなかったが、必要最低限のものはすべて置いてある、完璧とも言えるその部屋。
紗雫が着ていた団服はきちんと洗濯され、クローゼットにしまわれている。
誰が選んだのだろうか、女物の服もいくつか入っており、紗雫はそれらを見て深く溜め息をついた。

「…待遇、良すぎる…」

誰が選んだのかはわからないが、女物はすべてドレスともとれるものばかりだった。
紗雫が普段好んで着ているようなシンプルで動きやすいものなど一つとしてない。
自分が今着ている服も、たまたま一着だけあった白のパンツに薄い青のシャツである。
それ以外、紗雫が好むものはなかった。



部屋を探索し終わり、紗雫はゆっくりとベッドの縁に腰掛ける。
数時間前に、千年伯爵に言われたことについて考え始めた。






ロードに聞いた話だが、先日の方舟での戦いでスキン・ボリックというノアが死んだ。
"怒"のメモリーを内に秘める彼は、エクソシストの誰かの手によって殺されたという。

ノアは本来、死んだら誰か他の人に転生し、覚醒する。
それは例外なく行われ、転生したその誰かがまたノアとして目覚めるのだ。
そして、千年伯爵と共に世界の終焉を目指す者としてエクソシストを倒す者となる。

しかし、ノアのメモリーの転生はそう易々と行われるものではない。
メモリーはノアの資格を持ちうる人間を探し、転生を果たすのだ。
スキンの持っていた"怒"のメモリーも、いつ目覚めるのかわからない。
だが、今回は例外が起ころうとしていた。
ノアの力を持ちうる存在である紗雫の存在がそれである。


『僕ね、紗雫の夢の中で紗雫がスキンと対面してるの、見たんだぁ』


勝手に人の夢の中を覗かないで欲しいとその場で紗雫は呆れたが、よくよく思えば紗雫はたしかに金の鎧を纏う彼と夢の中で会ったような気がした。
話していたことなんて覚えてはいないが、今までそんなに深く考えたことがなかったのだ。
それに、ロードは夢の中で紗雫の肌が褐色に染まっていたのだと、そうも言っていた。
信じられないことだが、所詮は夢の中の出来事なのだと紗雫はロードの言葉を否定したのだが。

「…エクソシストである私が、ノア…か…」

エクソシストである自分がノアとして覚醒したら、もしかしたら咎落ちが起こるかもしれない。
それ以前に、自分の命を繋いでいるかもしれないイノセンスが、繋がりを断って紗雫を殺してしまうかもしれない。

紗雫は、それが怖かった。
世界を受け入れる覚悟はできたのに、エクソシストとして生きる道を選んだはずだったのに、自分は今ノアの家にいる。
その事実に、紗雫の心は悲鳴を上げていた。

仲間達に、アレンやリナリー、ラビ達に会いたい。
そう思っていた時だった。



コンコンッ




控えめに扉がノックされる。
紗雫が黙って扉を見つめれば、勝手に扉が開け放たれた。

「…なんだ、いたのか」
「…何の用だ?」

そこに立っていたのは、ティキだった。
無表情で入口に立つティキは、何を考えているのかわからない。
さきほどのこともあり気まずさを感じた紗雫はティキから視線を逸らした。
コツリコツリと、ティキの足音が響く。
それは、紗雫の目の前で止まった。

「…紗雫、さっきの話なんだけど」

目の前に立つティキを、紗雫は直視できなかった。
低い声でそう言うティキは、じっと紗雫を見下ろしている。
その視線が、紗雫にとっては痛かった。

「…俺さ、やっぱあの言葉無しにするわ」
「…? 何を…――」



一瞬後。

ずぶりと、ティキの腕が紗雫の体に埋まった。
痛みの伴わないそれに、紗雫の目が見開かれティキを見上げる。
それでもなお、ティキは無表情で紗雫を見ていた。

「ノアになんなくていいよ。俺にはもう、紗雫はいらない」

その言葉と共に、ティキは紗雫の心臓を掴む。
ドクドクと鼓動を刻むそれを、ティキは少しずつ圧迫していく。
そんな中で、紗雫はティキに言われた言葉を思い返した。


――私は、いらない…。


この世界に来て、初めての拒絶だった。
圧迫される心臓も気にせず、紗雫はただその事実に顔面を蒼白にさせた。


アレン達黒の教団の人達は、みんな仲間なんだと、ホームにみんなで帰ろうと言ってくれた。
ロードは、エクソシストである自分に家族になろうと言ってくれた。

握られている心臓よりも、なにより心が痛かった。
気づいたら、紗雫の頬には涙が伝っていた。

「…っかく……のに…」
「…っ、紗雫…?」
「…せっかく、世界を受け入れたのに、な…」

呟いた紗雫の声で、ティキの手が止まる。
聞こえてきた言葉に、紗雫の頬を伝う涙に、ティキは一瞬にして青ざめた。


――俺、何して…っ


紗雫に拒絶され、もうどうでもいいと紗雫を手にかけようとしていた自分に寒気がした。
あとほんの少し遅ければ、ティキの手は確実に紗雫の心臓を握りつぶしていただろう。

ティキが我に返って手を引き抜けば、紗雫は唐突に立ち上がるとティキに背を向け、そして。


「…お世話に、なりました」


ベッド際の窓に触れた紗雫は、いつの間にイノセンスを発動させていたのか、窓を一瞬で砂に変えて窓そのものをなくした。
窓の縁に足をかければ、呆然としているティキを見もせずに、紗雫は窓の外へと出ていってしまった。














「…俺、なんてこと…」

取り残されたティキは、先程の紗雫の顔を思い出した。
傷ついた紗雫の顔が、脳裏にこびりついて離れない。

いらないなんて、本心じゃなかった。

取り返しのつかないことを言ってしまったと、ティキはただ呆然と立ち尽くす。
ふと部屋の入口に気配を感じ、ティキはそちらに視線を向けた。
そこには、仏頂面の(明らかに怒っている)ロードの姿。

「…ティッキーさぁ、デリカシーなさすぎぃ」
「…悪ぃ」
「僕じゃなくて、紗雫に言いなよ。紗雫、ティッキーに言ったこと後悔してたんだよぉ」
「紗雫が…?」

部屋に入ってきたロードは、ティキのことを見もせずに紗雫が先程までいたベッドと歩みを進める。
ティキはティキで、ロードの言った言葉に驚きを隠せなかった。

「僕の部屋でお菓子食べてるとき、紗雫、ティッキーに言い過ぎたって言ってたんだよ。ただの八つ当たりだったって」

ロードの言葉に、ティキはふと先程の言葉を思い出す。


『…せっかく、世界を受け入れたのに、な…』


たしかにそう言った紗雫。
ノアのことも含めてそう思っていてくれたのであれば、自分はとんでもないことをしてしまったのではないか。

「…ティッキー、紗雫はさぁ、この世界で生きる意味を見つけたいんだって言ってたんだよ」
「生きる、意味…」
「ちょっとだけ、前の世界のことを思い出したって言ってたんだぁ。紗雫、家族がいなかったんだってさ」

次々と語られることに、ティキはただ呆気に取られる。
紗雫がロードにそこまで話をしていたことにも驚きだったが、それよりも驚きだったのは。

「家族が、いなかったのか…?」
「小さい時からいなかったんだって。大学に入って一人暮らしを始めたって言ってたよぉ」

いろいろなものを背負って生きてきて、家族の暖かさに触れることができなかった紗雫は、誰よりも孤独を恐れていたのかもしれない。
男らしく見える姿も言動も、そんな弱い自分を隠すためにわざとそうしてきたんだとしたら。


『俺にはもう、紗雫はいらない』


「…っ、俺、紗雫に最低なこと言っちまった…」
「…紗雫、ちゃんと探してきなよ? …話、聞いてくれるかはわかんないけどさぁ」

ロードはそれだけ告げると、ティキに背を向け扉の方へと歩いていく。
そんなロードを、ティキは悲痛な面持ちで見送ったのだった。





拒絶の言葉
(彼女の本心に気づくのが)
(あまりにも遅かったと後悔した)



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