「やっばい…超綺麗!」

真っ黒な空を突き刺すように流れては消えていく幾つもの星を眺めていた。隣にいる先輩はガキみたいに目を輝かせて口を開いて、空に向かって手を伸ばし掴む動作を繰り返す。が、勿論その手が流星を掴むことはない。俺はこの人に誘われて、というより半強制的にここに連れて来られただけで、特に流星群が見たかったというわけではないから、まあ綺麗やけど見飽きるわ、と正直な感想を呟きながら空を見る。学校の屋上からでもこんなにはっきり見られることには感心をする。眠い、だるい、帰りたい。

「ちょっと願い事するわ!財前もよーく拝んどきなよー!」

そう言うと先輩は目を閉じて両手を合わせる。拝んでどうすんねん、というツッコミは星とともに流れて消えた。流れ星に願い事をしてそれが叶うなんて今更信じていない。叶わなくても良いけど叶ってほしい小さいことを幾つか思い浮かべてみる。あのバンドのライブ、チケット取れますように。全国大会優勝できますように。願わなくても余裕やけどな。あとそれからついでに、どうでもええけど、この先輩がもう少しだけ報われる恋ができますように。そんなことをふざけ半分で願う俺の隣で先輩が強く願っていることが何か手に取るようにわかったので、俺は星に願うのをやめた。

「何願った?」
「先輩は?」
「全国制覇!あとテニス部のみんなが怪我しませんように!それからもう一つは…秘密!」
「へえ、」
「ねえ、財前の願い事も教えなさいよー!」
「アホでうるさい先輩が静かになりますように」
「…嫌な後輩」

先輩が一瞬口を尖らせてからすぐにまた柔らかく笑った。そしてもう一つ願いたいことを思い出す。…身長伸びますように。そこまで気にしているわけではないが、男として170は越えたいと思う。出来れば白石部長や謙也さんくらいの身長になりたい。そう考えた瞬間自分があの人たちに少しでも、身長という要素だけでも、憧れているという事実が発覚し恥ずかしくなった。実際身長だけではないけれど、そういったことを考えれば考える程、俺らしくなくなるので考えない。先輩に憧れてるとか尊敬してるとか、俺の柄ではない。生意気で毒舌な後輩。それが俺のポジション…て、何くだらんこと考えとるんやろ。

「先輩、そろそろ帰ってええっすか」
「え、あ、うん!ちゃんと願い事したしね!帰ろうか!」
「別に先輩と帰る言うてへんし」
「かわいい女の子一人で夜道を歩かせるって言うの?」
「かわいい女の子?え、どこにおるんですか?」

先輩が鬼の様な面で俺のことを睨んでくるから思わず笑ってしまった。めっちゃ不細工。写メってブログに載せたいっすわ。そう口にしたら軽く足を踏まれた。
結局先輩と帰ることになった帰り道。どうしてこうなんねん。案外辺りは暗くて先輩の言ってた通り、かわいい女の子を一人で歩かせたら危ないかもしれない。先輩はかわいくないから平気。不審者にグーパンチかましそうやから平気。むしろ不審者逃げて。超逃げて。
先輩のローファーと俺のスニーカーがアスファルトに足音を響かせていく。気が付いたら先輩の家の前まで来ていた。送る気なんてなかったけれど、残念なことにここを通らないと俺ん家へ帰れない。

「財前、今日は付き合ってくれてありがとね」
「白々しいっすわ。強制的に屋上まで拉致ったくせに」
「あーもううっさいな!素直じゃないんだから!私は財前と流星群が見れて嬉しかったの!」

俺で良かったんすか?本当は一緒に見たかったのは俺やなくて…そんな言葉が喉まで来たところで、きっと言ったら先輩が困った顔をしながら笑うだろうと思ったので口には出さなかった。危なかった。毒舌というのは難しい。限度を見抜かなくてはならない。俺が笑えないような毒を吐くのは駄目だ。馬鹿馬鹿しい。
俺が俺の中でささやかな葛藤を繰り広げている間に先輩は玄関のドアに手をかけ、家に入ろうとする。

「先輩」
「ん?」
「願い事叶うとええっすね」
「うん。そーだね!」
「ま、頑張って」
「…ありがと財前」
「それじゃあ」
「またね」

俺のスニーカーが再びアスファルトに足音を響かせる。さっきより少しだけ速い。早く家に帰りたかった。ずっと地面を見て歩く。夜空を見上げたら吸い込まれそうな気がした。怖かった。俺は女子か。それでは俺がチキンみたいで嫌だったので思い切って空を見上げる。別に何も変わらない。吸い込まれるわけなどない。手を広げたら飛べそうな気がする。何やこのメルヘン思考、俺は女子か。気分が更に下がったのでもう夜空のことを考えるのは止める。
頑張って、この言葉は正解だったろうか。…もうええわ。めんどくさい。どうでもええ。はよ帰ってシャワー浴びて寝よ。
そう思って夜空から先輩から自分から逃げるように帰路を急ぐ。




「やっぱり蔵ってなんかこうめちゃくちゃかっこいいんだよね。いや顔がとかじゃなくて、まあ顔もなんだけど、なんていうか蔵って本当かっこいい」
「何回同じこと言うてるんすか。仕事しろや、このエセ委員長」

先輩は深く溜め息をついた。いや溜め息つきたいのはこっちの方や。いつも図書室で委員会の仕事をしてるとき、この人は俺と二人になると白石部長の話を一方的にしてくる。うざい。むっちゃうざい。好きなんはようわかったから口閉じろ。一冊一冊、本についてるラベルの確認をしながら思う。先輩はずっと部長に片思いしている。毎日部長のことで一喜一憂している。俺は部長のことで悩む先輩が嫌いだ。断言するが嫉妬ではない。白石部長には好きな人がいる。俺もテニス部部員も、多分先輩も、みんな知ってることだ。部長を見てればわかる。付き合ってはないが、きっと、多分、恐らく、両思い。それなのに諦めない先輩が嫌いだ。1パーセントにも満たないようなわずかな可能性を信じて一途に部長を想い続ける先輩が嫌いだ。見ていて痛々しい。これ以上好きでいたって辛いだけなのに、なんでそんな普通に笑って好きだと言えるんだろう。俺には理解できない。まるで傷付くために恋をしている先輩が俺は大嫌いだ。

「財前はさー、彼女とかいないのー?」
「いてませんけど、今は」
「えー!ありえなーい!めっちゃいそうなのに!あ、もしかしてやっぱり謙也とそういう関係?…良いと思う!性別の壁に負けるな!」
「きっしょ!やっぱりて何やねん。謙也さんと付き合うくらいならまだ白石部長と付き合いますけど?」
「それは困る!」

生憎そういった趣味はないので謙也さんとも白石部長とも付き合うことなど、ピンクのぜんざいが誕生するのと同じくらい有り得ない。ぜんざい食いたい。困る言われても。俺が部長と付き合うどうのこうのとかいう気色悪い空想の前に、実際、部長好きな人おるやん。そっちの方がずっと困るやん。
ラベルを確認し終えて本棚に本を入れていきながら、俺はなんでこの人の恋愛についてここまで考えなきゃいけないのか、わざわざ流れ星に願い事しなきゃいけないのか、諦めろと思いながらもなんで密かに応援しているのか、と自問する。先輩がいつも自分の片思い奮闘記を俺にべらべら話してくるのが悪い。たまたまマネージャーと部員という関係で、たまたま委員長と副委員長という関係で、たまたまちょうど良い距離にいたのが悪い。

「先輩」
「うん?」
「辛ないんすか」

何聞いとんねん俺のアホ。

「…ぜーんぜん!私は楽しいよ?」
「へーえ」
「私頑張る。諦め悪いのは生れつきなんだよね」

先輩が歯を見せて笑う。その笑顔ムカつく。もう何言ったってこの人は白石部長のことが全力で好きなんだ。頭悪いから。クソポジティブだから。
手が滑って本が床に落ちた。外国の恋愛小説だった。どうでもいいのになんとなく気になってパラパラとページをめくる。少年の片思い。相手は学校のアイドル的存在。同じバスに乗り合わせて仲良くなる。それから少しずつ接近していって、泣いて笑って悩んで、告白。はいはい、ハッピーエンド。自分の速読に才能を感じながら、小説を棚に戻す。とあるアホな先輩の片思い。相手は学校のアイドル的存在。部活をきっかけに仲良くなる。それから少しずつ接近していって、泣いて笑って悩んで悩んで悩んで、告白。はいはい、バッドエンド。そんな物語をすぐに頭の中で組み立てた自分を先輩はどう思うだろう。先輩の方をちらっと見る。やっと仕事を始めたらしい。平気だ、俺の考えてることなんて知られていない。
ただ、嫌な予感がした。




白石部長に彼女ができた。例の好きな人だ。相手から告白されたらしい。誰もが思った通り両思いだった。リア充乙。俺はリア充には冷たい。ま、知り合いには無条件で冷たいけど。
その話を聞いたときに真っ先に思い浮かんだのはやっぱり先輩のことで。先輩の片思いにハッピーエンドは用意されていなかったらしい。先輩の恋は小説なんかじゃない。もっとリアルで苦いものだ。

部活が終わって部室で着替えてるときに、謙也さんが白石部長を冷やかしまくってた。きっと謙也さんは羨ましがってるだけなんやろなーって俺以外の部員も思ったに違いない。その光景を見てより現実味を覚える。
着替え終わると俺は図書室に向かった。委員会の仕事はない。今先輩はあそこで泣いている。鼻水垂らしながら世界一不細工な顔で泣いている。そんな気がした。俺が行って何をすれば良いのかはわからない。失恋した先輩を笑えば良いのか。慰めれば良いのか。ただ黙って傍にいれば良いのか。むしろ行かない方が良いのかもしれない。それでも俺は階段を上る。どうせ先輩と会ってもなんか気まずいだけだ。それでも俺は図書室のドアを開けた。

「……」

想像してた通りだった。図書室の一番端の席に座っている先輩はただ下を向いて泣いていた。先輩の呼吸の音とか鼻を啜る音が聞こえてくる。先輩が小さく見える。普通の女の子に見える。いつも強気でうざいくらい明るい先輩が、今にも崩れそうなくらい弱々しく見えて、不安になった。俺はどうすれば良い。何て声をかけたら、

「…財、前?」

先輩は俺に気付いたらしく顔を上げて俺の方を見た。あー、思うてた程不細工ちゃう。何や、つまらん。先輩は涙でぐちゃぐちゃで、顔も耳も真っ赤だった。学校終わってからずっとここで一人で泣いてたのだろうか。俺たちが練習してるときも、白石部長が冷やかされてるときも、ここで誰にも知られずに泣いてたのだろうか。今俺はびっくりするくらい先輩に同情している。嫌味も皮肉も混じっていない、純粋な同情だ。

「先輩、ここ本読む場所やで」
「私に、ちょっかい、かけに、来たの?」
「ええ、まあ」
「はは…、本当嫌な後輩」

先輩が笑う。だから、その無理な笑顔がムカつくっちゅーねん。しばらくすると先輩はまた下を向いて泣いた。そういえば泣いてるとこを見たのは初めてだ。先輩はいつも笑って白石部長の話をしてた。そうだ、まだ可能性があったからだ。明日はどうなるかわかんないじゃん?そう言って笑ってた。今はもう僅かな望みすら消えて、先輩の世界は光を無くしたみたいに暗い。先輩の泣き声が響く。図書室に響くんじゃない、俺の脳に響く。

「無理だってさぁ、わかってたんだよ。わかってたよ。でもさ、でも好きで、それだけいいって。蔵が幸せならいいって。だけど、いざこうなってみると、なんか、なんか苦しいよ。私も…愛されたかった、よぉ!」

何度もつっかえながら先輩が言った。唇を噛み締める。耳を塞ぎたくなった。なんでこんなに悲しいんだ。
別にええやないですか。先輩には高嶺の花て最初からわかってたやん。ちゅうか、あんな絶頂部長のどこがええねん。失恋して正解っすわ、絶対すぐ襲われるで?いやまあそれは冗談やけど。他にもええ男たくさんいてるやろ。ほら、テニス部とか。謙也さん…は、ヘタレやからなあ。千歳先輩は放浪僻激しすぎるし、ユウジ先輩小春先輩はありえへんし、師範はええ人やけど、ちゃうよな。金ちゃんは弟っちゅうかもはや子供みたいな感じで。副部長て誰やっけ。あー、じゃあ先輩にはもったいないけど、俺とか?
浮かんでくる台詞はどれも無意味な気がして、口にすることはできずに小さく消えてゆく。ちゃう、俺が言いたいのはこんなんとちゃう。どうにか先輩の世界を明るくできるような言葉を探すが見つからないまま、俺は図書室のドアの前で突っ立ってることしかできない。

「財前」
「はい?」
「ごめ、ちょっと…一人にさせて」

来るべきではなかった。時間を巻き戻したくなる、俺にしかわからない恥ずかしさから逃げるように黙って図書室を出た。閉めたドアを背に俺は情けなく座り込んだ。胸騒ぎがする。体が熱い。余裕がない。衝動。ドアの向こうではまだ先輩が泣いている。どないすればええねん。ホンマめんどい。しばらく目を閉じた後立ち上がり、さっき上ってきた階段を更に上る。一番上の階のドアを開けたら広がる空。もう暗くなった空に釣られるように屋上に出た。いつだったか先輩と見た星は流れていない。あの時全部流れきってしまったのだろうか。あのとき先輩が願ったこと。俺はわかっていたつもりでいた。白石部長と結ばれますように。そう願ったに違いないと思っていた。もしかしたら先輩は、白石部長があの人と結ばれますように、と願ったのかもしれない。アホな先輩だから有り得る。もしそうだとしたら、俺は何て願えば良かったのだろう。答えは見つからない。この空が隠したのかもしれない。なんで俺が胸糞悪い気分にならなアカンねん。先輩がいつもみたいに笑ってたら良かったのに。一人にさせて、そう言われて本当に先輩を一人にさせた数分前の自分を憎む。どこまでも捻くれてる自分を恨む。本当は、ホンマは、気になって気になって仕方なかった。先輩の恋が終わるのを恐れていた。ハッピーエンドでもバッドエンドでも、怖かった。先輩の恋が終わった瞬間、俺は先輩を好きになる。そう思ってた。そして先輩の恋は終わった。無理矢理終わらせられた。俺は今、多分先輩が好きだ。
深呼吸をする。よし。もう一度図書室に戻ろう。文句言ったる。うざいねん。いつまでピーピー泣いてんねん。とっとと新しい恋しろや。俺がおるやん。全部言ってやる。再びドアを開けたところで、最後に振り返り空を見る。

先輩の流す涙が誰にも拭われないまま凍りついてしまう前に、行こうか。真っ暗なこの空に黄色いクレヨンでもう一度、星を描こうか。




ダ 

 ス



song / クワガタP

20110720