※『恋する十四松』ネタ


 真冬の夜の海は、ただただ不穏だ。誰かの死を待つようなその雰囲気に、緊張感と気鬱を覚える。
 風の冷たさに震え、鼻を啜ったら、潮の匂いも一緒に吸い込んだ。確かにあるはずの水平線は、どれだけ眼を凝らしても、もう見えない。深い闇に溶けて消えてしまった。
 ……寒い。帰りたい、すごく、とても。そんな願望を込めて、私よりもずっと波際にいる黄色を見る。彩度も明度も高いその色すら暗闇に飲み込まれてしまいそうで、私は瞬きを諦めて十四松の背中から目を離さなかった。表情を確かめたいと思ったし、死んでも見たくないとも思った。静かに波が押し寄せる。十四松の足を濡らしていく。ただでさえ薄着なのに、冷たい波が彼の体温を足先からどんどん奪っていく。十四松はその波に何も反抗しなかった。ただ、見えない水平線を見据えていた。

「十四松」

 絞り出した声はちっとも届かない。十四松は探し物をするのに夢中だ。もうここにはないのに。破片すら落ちていないのに。ただ体温を奪われるだけなのに。そんなことには気付かずに、十四松はいつまで経ってもあの子の影を探している。胸の奥が痛い。風が吹いているせいで、瞳が渇き、涙を求めた。
 私だって。幼稚な言葉が頭に浮かぶ。私だって、十四松が波に飲まれて死にかけていたら全力で助けたよ?私だって、十四松の言動や行動が全部大好きなんだよ。私だって、十四松がいれば幸せになれるのに。そんな傲慢はすべて貝殻のように粉々に割れて砂浜に埋もれた。彼の足裏を傷つける凶器に変わってしまった。
 十四松が一歩海へ踏み出した。私は焦慮する。いやだ、そっちにいってはいけない。いっちゃだめだよ。いかないで。

「十四松!」

 さっきよりも余程大きな声で彼の名を叫んだ。冷たい空気を裂いて、それは十四松の耳に届く。振り向いた十四松の表情は、いつもと変わらない。明るい狂人の顔だった。

「呼んだー?!」

 そのまま、私がいる砂浜の方へ引き返す。十四松の黄色がだんだん鮮やかになる。私は巻いていたマフラーをほどきながら、十四松に歩み寄った。

「もう帰ろうよ。風邪引いちゃう」
「大丈夫大丈夫!僕めっちゃげんき……ふ、ふぇ、ふぇっくしょん!」
「…ほらね」

 鼻水を垂らし、肩をすくめた十四松の首にマフラーを巻く。私の意地だ。奪われた体温を取り戻したかった。私の熱を分けたかった。それでも潮水に濡れた足元はきっと冷えたままだ。
 十四松は「あんがと!!」と言って笑顔を見せる。このままマフラーを彼にあげようと思った。理由は優しさなんかじゃなくて、醜い支配欲だった。

「今度、もっと暖かい日に来ようよ、太陽が昇ってるときに」
「うん!そうしよ!!」
「この後うちおいで。鍋にさ、コンソメスープ、あるから。温めて食べよう」
「マジで?!いいッスか?!食う食う!いただきマッスルマッスル!ハッスルハッスル!」

 テンション高く飛び跳ねるようにして歩く十四松の濡れた靴下は砂がはりついて汚れている。早く新しいのを履かせなくちゃと、親のような気持ちになりながら出口に向かった。どんどん闇が遠ざかっていく。歩道へと続く階段の途中で、私は振り返り、海を眺めた。ただの黒が広がっていることを確認して、再び階段を上る。逃げるような気持ちだった。
 きっと冬の夜が悪いんだ。こんなに寒くて暗いから、十四松がいなくなってしまいそうになるんだ。体温は奪われて、空と海の境界もわからなくなって、消えてしまいそうになるんだ。だって、こんな場所、異常だ、人が生きるのに相応しくない。誰かの死を待っているだけの、奈落の底ではないか。十四松はこんなところにいてはいけないに決まってる。
 夜が明けてすべてが正常に戻るのを待とう。水平線がくっきりと見えるようになれば、十四松だって迷うのをやめるだろう。自分があるべき世界に気付くだろう。私はそれをじっと待っていよう。十四松のためのスープを温めながら。


最果ての温度
20160205