びびび


まさにそんな音をたてて私の小さなハートに電流が走るのを感じた。高校三年生、もしくは受験生、またの名をラストJKに上がって新しいクラスになり、用意されていた席の、隣の席に座る男の子を視界に捕らえたときのことだ。明るくて少し猫毛の髪、ほんの少しだけ着崩された制服、高い鼻にアーモンドのような目、退屈そうに肘をついているその横顔、それはどんな少女漫画に登場する男の子よりも魅力的で、私は思わずじっと見つめていた。一瞬だった。本当に一瞬、天の声が聴こえたのだ。この人は私の王子様だと!そして次の瞬間、彼がこっちを向き目が合った。天の声は本当だったのだ。しかも正面から見たら想像以上の美少年。背景には薔薇が咲き乱れた。そして私の脳内にあの有名なヴィヴァルディの『春』の優雅なバイオリンの演奏が流れた。王子様だ。この人こそ私の王子様だ。私は何か言わなくては、挨拶をしなくては、と焦燥していると、王子様が先に口を開いた。「…よろしく」静かにそう言われ、自分の頬が紅潮していくのを感じた。声まで美声なのだ。何故私は今録音していなかったのだろうと深く後悔の念に苛まれた。そして私は「よろしく」と、単語というよりは平仮名一文字一文字をやっと並べたというような感じで返事をした。王子様は少し不思議そうな顔をしてすぐに机に顔を伏せ、腕を枕にして眠りにつく気満々で目を閉じた。

これが王子様こと宮地くんと私の運命の出会いだった。

宮地くん。宮地清志くん。この学校の優秀なバスケットボール部のレギュラー。191センチという高身長に77キロというモデル顔負けのスタイル。これはバスケ部マネージャーの子から密かに聞き出した情報である。知れば知るほど私は宮地くんに夢中になっていった。一目惚れなんてありえない!そう思っていた時期もあったけれどこれは例外。だって宮地くんは私の王子様なのだから。宮地くんのことを考えるとご飯がお腹に入らない。まあ食べるけど。夜も眠れない。まあ眠るけど。それにしても、これは恋だわ!私は兎にも角にも宮地くんに全力でフォーリンラブしていた。宮地くんのことを想っては授業中にポエムを綴る日々。まさに桃色片想い。私はとてもいきいきとしていた。
そして宮地くんはこのルックスにして現在彼女がいないと判明。やっぱり運命だ!これを逃してしまったら私は童話のお姫様にはなれない!そう熱いものを胸に宿して、私は毎日必死に、そう、それはもう超必死に、そして健気にアプローチをしていったわけだ。

「宮地くん今日もかっこいいね」
「はは、ありがとう、轢きてぇ」
「轢いて」
「気持ち悪い。本気で気持ち悪い」
「宮地くん気持ち悪いの?大丈夫?一緒に保健室行く?」
「あー、遠慮しとくわ。つうか気持ち悪い原因お前だからね?何マジで心配してますみたいな顔してんの?」
「宮地くん良い匂いする」
「先生今すぐ席替えしてくださーい」

私の努力の甲斐あってか、宮地くんと私は笑顔でこんな会話をするまで仲良くなったのだ。宮地くんとお話しようとすると緊張していつもお天気の話題くらいしか出せない。「いや今思いっきり良い匂いするとか言ってたけどね」どうやら宮地くんは私の心が読めるらしい。以心伝心、相思相愛とはこのことだ。「全部口に出てんだよ馬鹿」宮地くんの言葉に私は慌てて手で口を塞ぐ。やだ、私ったら好きの気持ちがあまりにも大きすぎて心に留めきれなくなったみたい。隣の席の宮地くんは大きく溜め息を吐いた。照れ屋さんなところも好きだよ。「照れてんじゃなくて引いてんだよ。お前ほんと疲れる。轢く気力すら湧かねえ」

と、まあ、こんな感じで私の恋はなかなか順調だった。もうすぐ私たちは恋人になる予感がする。恋人、という言葉に一人恥ずかしくなる。アダムとイヴ。彦星と織り姫。ミッキーとミニー。その仲間入りを果たすのだ。はあ、と思わず幸せな溜め息が出る。今こんなに幸せなのだから、もし宮地くんとお付き合いでもしたらどうなってしまうのだろう。融解して死んでしまうんじゃないか。



ある日の放課後、私は英語の補習を受け終わり、かなり疲れ果てて薄暗い廊下を歩いていた。眼鏡をかけて首には大きなパールのネックレスをしたお姉さんと言うには無理がある年齢の先生にひどく怒られたのだ。私は頭が悪い。勉強ができない。宮地くんのことを考えると勉強が手につかない。というのは少し責任転嫁で、私は去年も一昨年も補習常連なのである。もう暗いから早く帰ろうと早歩きをし始めたときに耳に届いた音。だんっだんっ。ボールが強く弾む音だとすぐ分かった。そしてそれは体育館から聴こえてくる。私は赤い上履きの向きを変えて、体育館まで歩いた。大きなドアの外からちょこっとだけ顔を出して中を覗いた。私は圧倒された。真っ先に目に映ったのはドリブルをする宮地くんの姿。いつもよりずっと真剣な表情に、汗がきらきらと光っている。恋とか好きとか抜いて、ただ単純に、かっこいい。そう思った。
私は時間を忘れてそこからずっと宮地くんを見ていた。広い体育館に宮地くん一人だけが練習をしている。私はバスケはあまり詳しくない。セーラームーンは見ていたけれど、スラムダンクは見ていない。でも、それでもわかる。宮地くんのドリブル、シュート。やり込まれている。きっと何度も何度も練習を重ねたんだろう。いつも感じる桃色の恋情とは少し違った熱が胸を貫く。もしかしたらこれは二度目の一目惚れかもしれない。
宮地くんは練習を切り上げるらしく、スポーツタオルで額を拭いながらこちらへ向かって来た。私は気がついたらちょこっとどころか思いきり開いたドアの真ん中に立って眺めていたため、ばっちり目が合ってしまった。宮地くんは眉をひそめる。

「宮地くん」
「げ、なんでお前ここにいんの」
「英語の補習で、帰ろうとしたらボールの音聴こえたからなんとなく来てみたら宮地くんがいたの」
「ああ、お前補習受けそうなキャラだもんな」
「宮地くんは補習ないの?」
「残念、満点でしたー」
「すごーい」
「…なんか大人しいねお前」

宮地くんが疑り深そうな顔をしてそう言い、私も不思議に思った。いつも宮地くんと話すときはもっとテンションが上がって訳わからないことを口走ってしまうのに。さっきの宮地くんがバスケをする姿を見てから何かがおかしい。何だか宮地くんと初めて会ったときのように、私は物静かになってしまう。新しい宮地くんを見つけてまた恋をしたみたいに。

「宮地くん毎日一人で練習しているの?」
「いやいつもは一人じゃねぇんだけど、今日一年校外学習とかで居ないからな。良いよな一年はお気楽で。こっちは受験だってのに」
「私、毎日宮地くんが練習するの見てて良い?」
「嫌だよ。ストーカーじゃねーか。つうかお前部活は?」
「宮地清志を見守る部部長です」
「今すぐ廃部にしろ」

少しだけいつもの調子に戻ってきたのは、宮地くんがいつもの調子で接してくれるからだ。私はまじまじと宮地くんの顔を見る。この甘いマスクの王子様が、さっきまであんな激しいバスケをしていたのだ。また好きの気持ちが溜まっていく。コップでは足りないからバケツを用意したのにやっぱり溢れ出してしまいそうになる。やっぱり宮地くんが好きだと思う。

「さっきの宮地くんすごくかっこよかった」
「見んなよ」
「ダンクシュート?だっけ?あれすごい」
「あんなの誰だって出来っから」
「できないよ!私はできない!」
「そりゃお前の身長じゃできねぇよ。バスケやってる奴なら大体できるって話」
「私ができないことができる宮地くんはすごいよ」
「……」

だあいすき!そう言って思わず抱きつこうとしたら素晴らしいほど華麗にかわされた。反射神経もすごい。宮地くんはすごい。「暗いからとっとと帰れよ」宮地くんの言うことに従って私は早々と校舎を出た。確かに夕日がちょうど沈んで辺りは暗くなっていた。今日また宮地くんのことを知った。また好きになった。それが嬉しくて私は鼻歌でカノンを歌ってスキップしながら家まで帰った。




それからというもの私は毎日宮地くんが練習しているのをこっそり見ては(いつもバレるけど)相変わらず恋わずらいをしていた。本当に患っている。恋の病重症だと思う。それは授業中に綴ったポエムに更に音までつけて曲にしてしまうくらいだった。


「宮地ってさー、顔良いのに彼女つくらないよねー」
「ああ確かに最近いないね。いたのいつが最後だっけ?去年の夏?」

お昼の時間に友達のこの会話を聞き、私はピンクのお箸で掴んだタコさんウィンナーを落としそうになってしまった。友達はつまりその、宮地くんの恋の話をし始めたのだ。私ははっとした。そういえば私は過去の宮地くんについて何も知らない。宮地くんの身長も体重も知っているにも関わらず、宮地くんが今までどんな恋をしてきただとか、何人恋人がいただとか全くノーマークだったのである。恋する乙女として大失態だ。だけどその失態にショックを抱くより、二人の会話が気になりお箸を止めて、耳を傾けた。「確か宮地振られたんだよね」私は耳を疑った。あんな王子様を振る人なんてこの世に存在するのだろうか。

「振られた原因って部活じゃなかった?」
「そうそう。でもあれは宮地が悪いよ。彼女ずっと放置でバスケバスケだもん。どんなイケメンでもさすがに冷めるって」
「だよねー。でもそれから告られても断ってるっぽいよね」
「どうせ放置するからじゃない?バスケが恋人なんだよ。引退したら多分つくるって」

その話を聞いたら胸がいっぱいになり、私はお弁当を半分残した。何故だかとても悲しかった。真っ黒のぐちゃぐちゃした塊が頭の中でぐるぐるもやもやしていた。宮地くんに恋していてこんな気持ちになったのは初めてだ。驚くことに、元カノに対するやきもちよりも、宮地くんに対する同情のような気持ちの方が強かった。宮地くんの頑張る姿を見てしまったからだろうか。

その日は夜もずっともやもやしていた。いつもの三倍くらい長くお風呂に入った。ご飯を一口も食べなかった。宿題をするのを忘れた。最後のはいつも通りだけど。とにかく落ち込んで、自作のラブソングを口ずさむ気にもなれなかった。
ベッドの中で宮地くんのことを考えていた。宮地くんが愛した女の子のことも。宮地くんはバスケに夢中で夢中で夢中すぎて彼女に振られた。今も彼女をつくらないのはバスケを一生懸命やっているから?その考えはわかる。わかるけれど、否定したい。だってそれじゃあ、誰が頑張った宮地くんを褒めてあげるの?誰が疲れた宮地くんを癒やしてあげるの……。
私はバッと起き上がった。明かりをつけて、なかなか使われない勉強机についた。いちごモチーフのレターセットを引き出しから出して、シャーペンを立てて、私は初めてのラブレターを書いた。宮地くんに宛てた手紙を書いた。



次の日、快晴だった。私は掃除の時間にこっそり宮地くんの下駄箱にラブレターを入れた。ラブレターにはいろんなことを書いた。宮地くんを初めて見たとき世界が輝いたこと。宮地くんと毎日お話できて仲良くなれて幸せなこと。宮地くんのバスケをしている姿が泣けるくらいかっこいいということ。宮地くんが、宮地くんと、宮地くんに、宮地くんの……。宮地くんが大好きだということ。
最後に、放課後屋上に来てくださいと書いた。言葉でこの気持ちを伝えきれるわけがなくて下手くそでどうしようもなくて、でも精一杯のラブレターだ。
そして放課後になり、屋上で一人宮地くんが来るのを待っていた。しかし、重大なことに気づいてしまった。私はラブレターに自分の名前を書くのを忘れていたのである。自分の不甲斐なさに溜め息をついたとき、屋上のドアが開く音がした。やってきたのはお目当ての宮地くんで、それは予想よりもずっと早い登場だった。私に向かって歩く宮地くんの右手にはいちごモチーフの封筒。そしていつものように眉間にしわを寄せた素敵な笑顔。

「これ書いたのお前だろ」
「なんでわかったの?愛の力?」
「一行目の“絵本から出てきた白馬の王子様へ”って文で即お前だってわかったから」
「そっか、愛だね」
「人の話聞けよ。焼くよ?」

いつも通りの会話を繰り広げているけど、宮地くんは当然ラブレターを読んだわけで、そう思うと恥ずかしくて怖くて泣きそうになった。でも私はこれからもっと恥ずかしくて怖いことをする。人生で初めての、本当に大好きな人にちゃんと告白をする。

「あのね、宮地くん。手紙にも書いたけど、私、宮地くんのこと好きだよ。だから、結婚してください」
「却下」
「じゃあ、結婚を前提にお付き合いをしてください」
「それも無理」
「どうして?!こんなに好きなのにおかしいよ?!」
「知るか!……悪いけど今、彼女つくる気とか本当ねぇからさ」

宮地くんが目を合わせずに言ったその言葉で、私は友達の会話を思い出した。彼女つくらなくなった。どうせ放置するから。バスケが恋人だから。この言葉が頭に張り付いて離れない。

「それはバスケが大事だから?」
「お、わかってんじゃん。ならこんな恥かくだけの告白すんなよ」
「私、バスケの次でいいよ」
「みんな最初はそう言うんだよ。でもいざ付き合ってみたらやっぱ耐えられないってよ。まあほったらかしてる俺が悪いんだけど」
「…誰かにそう言われたの?」
「もしお前が俺と付き合っても、いつか絶対同じこと言うよ」

鼻で笑うようにしてそう言った宮地くんに、私は史上最強の怒りを覚えた。宮地くんはかっこよくてかわいくて優しくて努力家で私の王子様で運命の人だけど、それでもこれだけは我慢できない。
私は宮地くんのYシャツを掴んだ。本当は胸倉を掴んでやりたかったけれど身長的に叶わなかった。驚きを露わにする宮地くんの顔を必死に睨みつけ、私は大きく怒鳴る。

「ふざけんな、宮地清志!!」
「……え?」
「別に私のこと好きじゃないなら振ってもいいよ。でもね、勝手に私がそんなやつだって決めつけないで!私の愛を見くびらないでよ!そりゃあ最初は見た目から入った恋だけど……でも、私はバスケしてる宮地くんが一番好きなの!大好きなの!耐えられないなんて言うわけないでしょ!決めつけないでよ。そんな傷ついた顔で、自分を責めないでよ……」

はあはあ、と息を切らした。私きっと今すごく恐い顔をしていると思う。自分でもびっくりしている。もっと女の子らしいかわいい告白をするつもりでいたのに。これじゃ宮地くんも引いてしまうだろう。でも、それでも、どうしても言いたかった。宮地くんが“自分と付き合ったら相手が傷つく”って、そう思っているのが辛かった。
宮地くんは怯んだような顔をした後に私から離れて、ゆらっと折れるようにしゃがみ込んだ。

「……ああ、クソ。ムカつく。本当ムカつく。轢くだけじゃ足りねぇ。射殺してぇ。何なのこいつ。本当何なの……。こっちの気も知らねえでよ。せっかくスタメンになれたっつうのに。構ってやれないに決まってんじゃん馬鹿かよ……」

顔を地面に向けながら宮地くんは独り言のようにボソボソと呟いた。その姿が弱々しくて私は急に愛しさと衝動に駆られ、自分も立て膝をつくようにして宮地くんを抱きしめた。このときばかりは下心なんてなかった。優しさをあげたいと思った。宮地くんのママになったみたいだ。

「何してんの。離せ」
「宮地くん好きだよ」
「何回目だよ。手紙もらう前から知ってたし」
「宮地くんは私のこと好き?」
「……」
「私は宮地くんが大好き」
「……好きだよ」
「……え?」
「んだよ、好きじゃ悪いかよ」

私はパッと体を離した。今、宮地くん、すきって言った?すきって、好き?スキーじゃなくてすき焼きでもなくて、好きって言った?
宮地くんはまだ目を合わせてくれない。でも頬と耳がほんのり赤く染まっていて、私の心臓がせわしく動く。やっぱり宮地くんは王子様だ。運命の人だ。私の大好きな、大切な、宮地くんだ。
私は再び宮地くんに抱きついた。

「悪くない!全然悪くない!むしろ良い!大好き!」
「三秒以内に離れねぇと、焼いて食うぞ」
「宮地くんやっぱり私のこと好きだったんだね!」
「勘違いすんな。俺はただ、お前の被害者がこれ以上出るのを食い止めたいっていう正義感から……」
「やきもちってこと?」
「あはは、だから都合良く解釈すんなって。お前ほんとうぜえ。つうかマジ離して。俺これから部活だから」

宮地くんはすくっと立ち上がり、私は払い落とされた。軽い尻餅をつく。そういえばこの時間は普通部活をやっている時間だ。宮地くんの貴重な練習時間を裂いてしまったことを反省。でもその貴重な練習時間を裂いてまでここに来てくれたことへの感謝感激ひなあられ。
私も立ち上がって真っすぐに宮地くんを見た。今度はしっかりと視線がかち合う。

「じゃあ練習終わるまで待ってる」
「こんなのが毎日続いて良いのかよ」
「良いよ。練習してるキヨくん見てたら時間忘れちゃうもん」
「ちょっと待て。何その気色悪い呼び方」
「付き合ったらキヨくんって呼ぶって決めてたの」
「やめろ、絶対やめろ」
「じゃあキヨちゃん?」
「さして変わんねぇ!あーお前ほんと後で覚えてろよ。炒めるからな」

そう言って宮地くんは笑った。その笑顔はどこのアイドルよりハリウッドスターより素敵すぎて、携帯を取り出しシャッターを切るのも忘れるほどだった。宮地くんと晴れてお付き合いできるようになったのだから、高性能なデジカメを買わなきゃ。今まで密かに作っていたアルバムにはこっそり撮影した宮地くんの写真しか載っていないけれど、今日からは二人の写真を載せるアルバムをつくろう。宮地くんにつられて私も笑い、二人で屋上を後にした。階段を降りるとき、自作のラブソングを歌ったら何故か宮地くんは鳥肌を立てて真顔になり足早に体育館へ行ってしまった。照れ屋さんだなあ、本当好き。パフェのような、ジェットコースターのような恋をしている。私はこれから訪れるであろう幸せの予感に胸を弾ませていた。



素敵な明日の作り方


20121022