「生きてたんだ」
「僕があんな男に殺られるはずがないでしょう?」

そう言って整った顔を崩さずに微笑む彼を見たのは、随分と久しぶりのことだった。過去の世界では彼は冷たい牢獄に閉じ込められ、そして今私たちの居る現在ーー未来の世界では、たった一人でミルフィオーレの本部に乗り込みボスに葬られたと聞いていた。私は存外、冷め切っていた。本来ならば、逢いたかったと言って泣きながら彼に抱き着くのが私の役目だろうか。冷静に考えるものの、そんなことをする気にはとてもなれなかった。私はただその左右非対称の奇妙な瞳を懐かしげに見ていた。

「クフフ、あまり嬉しそうではありませんね」
「そんなことないよ」
「随分見ない間に冷たくなりました」

骸が吐いたその科白に妙な怒りが込み上げてきた。何を言ってるんだ。それはあなたが随分見なかったのがいけないんじゃないか。そりゃあ長い間姿を見せずに何のやり取りもせずにいたら冷たくもなるよ。でもそれは私に問題があるわけじゃない。ずっと骸がどっか行ってたのが、いけないんだ。そうだよ、全部。全部あなたが悪い。そうやって頭の中で骸を責め続ける私の涙腺は驚くくらいきつく渇いていた。恋人に泣いてもらえないなんて、可哀想な人。

「なんで死ななかったの?」
「おやおや、僕が生きてることがそんなに不満ですか」
「不満だよ、不満で不満で仕方ないよ」

そう抑揚のない平坦な口調で言うと骸は微かに弱ったように、ほんの少しだけだけど顔を歪ませた、ような気がした。虫唾が走る。そんな顔をされると、私は悔しくなる。この人はきっとわかっている。私の気持ちなんて全て見透かされているに決まってる。昔から、そうだった。
ねえ、骸。私がどれだけ、どれだけ不安になりながらあなたを待っていたと思っているの?ううん、待っていたのは途中までで、それからは諦めていた。もう会えないと決めつけて、さっさと記憶の中から追い出そうとしていた。それなのにしぶとくてなかなか消えてはくれない。私をずっと苦しませ続けることができる唯一の人間。今回だけじゃない。いつもそう、いっつもそう!急に現れては急に消えて、そんなイリュージョン嬉しくない。私たちがピンチの時は呼ばなくても勝手に来るくせに、自分が死にそうなくらい傷を負っている時は助けを一切呼ばない。ヒーローにでもなったつもり?心配で、怖くて苦しくて、胸が張り裂けそうになりながら祈り続けなきゃいけないこっちの身にもなってよ。やっと念願の再会を果たした今だって素直に喜ぶことができないのは、すぐに骸が消えてしまうからだ。すぐいなくなってしまうんだ、この人は。だって、もしそうじゃなかったら私はとっくに抱き締められながら、一つや二つ、愛の言葉でも囁かれてる。ところが、今、彼は私に触れようともしない。そんな男なんかのために泣くものか。

「すみません」
「死ねばよかったのに」
「ええ」
「そうすれば私も解放されたのに」
「すみません」
「謝るなら、死ね!」

思わず叫んだ。骸は驚いた表情をした。奇跡的に生きていた骸に、こんな暴言を繰り返すのは、常識的に間違っているのだろう。だけど、そんな台詞しか口をつかなかった。本当は、生きてて良かった、もうどこにも行かないでって、ずっと私のそばにいてって、そんな愛らしい言葉をかけたかったのに。私は下を向き震える手で顔を覆う。骸に向かって死ねと言い、初めて涙が出てきたのだ。何に対して泣いているのか自分でもわからなかった。しかしそれは止まらずに流れ落ちる。そうしているうちに、私は誰か、というか絶対に骸から、抱き締められると言うにも及ばないように軽く軽く両手を背中に回された。涙を拭う手を止めて、私は再び骸の顔を見上げる。憎い男の顔がそこにある。

「もう少しですから。もう少しで終わりますから、それまでは捕らわれ続けていてくださいね」

骸は眉を下げ、優しい眼差しをこちらに向けて言った。ほら、また、そんな顔。だから私は逃げられないのだ。不安から解放されることはない。また祈りを捧げ続ける日々を送らなきゃいけないのだ。だんだんと離れていくその手に、遠くなる温もりに、私は口を開く。開くけれど言葉は出てこない。“行かないで”の一言が言えない。気が付けば骸は遠くにいて、それからまた静かに消えてしまった。もうここに、骸はいない。
とうとう我慢できなくなり、私は声を上げて泣いた。私はどうしたら良い。愛する彼の、生と死、どちらを願えばいい?答えなんて明らかであるはずの馬鹿らしい問いに私は悩み続ける。あのオッドアイに捕らわれ続ける。自分がどこまでも無力なことを思い知り、挙げ句の果てにはまた涙を流してしまうのだ。



現状074A74



title/エッベルツ
074A74=例無し解無し
2009XXXX
20121017 修正