日曜日の午後の公園。まるで動物園だった。とにかく大勢の子供たちが高い声を上げて元気に遊び回っている。アスレチックにブランコ、砂場。ここは子供の王国だ。子供のために存在している。若い母親たちは我が子を時折心配そうに、そして愛おしそうに視線を送りながら、所謂ママ友との子育てトークに花を咲かせている。子供たちが王子や王女でも、その親は王や女王ではない。みすぼらしい召使いだ。
子供なんてわがままなだけじゃないか。自分のためにしか動かず、何に対しても独占欲が強い。喜怒哀楽が激しく、騒がしい。人に迷惑をかけたってへらへらしてる。子供なんて、本当にうざったい、クソガキだ。それでも子供は愛される。子供は何をしたって許される。それは子供が可愛いからだ。可愛くて、馬鹿で、無知で、無力な、世界で一番弱い生き物だからだ。親は召使いでありながら、王子や王女の命を握っている。親が食事を与えなければ、オムツを取り換えなければ、子供はやがて死んでしまう。儚い動物なのだ。
親から無償の愛を注がれて子供は育つ。親は無条件に子供を愛する。壁紙に落書きされようが、化粧品を荒らされようが、子供への若干義務でもある愛情というものは消えるはずがない。それはごく普通の、一般的なことである。
私はそんなことを考えながら子供たちが楽しそうに遊んでいるのを、ベンチに座りグレーのパーカーのポケットに両手を突っ込んで眺めていた。隣に座る緑間が何を考えているのかはわからない。

「子供ばっか。うるさいね」
「お前が来たいと言ったのだよ」
「うん。子供が見たかったの」
「馬鹿にしているのか」

緑間は飲んでいた缶のおしるこをベンチに置いた。不機嫌そうな顔をしている、のはいつものことで、しかしせっかくの休日デートにこんなムードもへったくれもない騒がしい公園に文句を言わず付き合ってくれるあたり、心優しい。尤も、彼がこれをデートだと思っているのかどうか、定かではないけれど。
すべり台を下から上ろうとしている男の子。砂場で服を砂まみれにして山を作っている女の子。愛されるべき子供たち。私は今そんな子供たちにどんな眼差しを向けているんだろう。

「緑間って子供の頃からニメートルくらいあったの?」
「そんなわけないだろう」
「そっか。じゃあ可愛かったんだろうね、小さな緑間」
「別に、普通だ」

お互い笑いもせずに、視線をずっと前に向けたまま、淡白な会話をして、私は小学生くらいの緑間を想像してみる。身長は現在の半分くらい。きっとお坊っちゃんな服装をさせられている。今より大きな眼鏡。長い睫毛。人見知りで、見知らぬ人を見ると威嚇しているような目つきをしてしまう。そんな緑間を頭に浮かべた。なるほど、可愛い。
そうしてぼーっとしていたら、目の前にくまのぬいぐるみが飛んできた。地面に叩きつけられ、人工の毛並みが汚れる。どんな風に遊んでいたらぬいぐるみが宙を舞うのだろう。なんとなくぬいぐるみが痛そうにしているように思えた。

「投げちゃえば?」
「ゴールはないのだよ」

ただ二人で足元の哀れなぬいぐるみを見ているとまもなく、女の子がこちらへ駆けてきた。駆けてきたというよりは、怪獣のように大股で出来る限り早く歩いているだけなのだけど。「ころちゃん、ころちゃん」と口にしている。どうやらこのくまのぬいぐるみはころちゃんという贅沢な名前を持っているらしい。ころちゃんの持ち主だと思われるその女の子がもうすぐころちゃんに届くというところで、どてっと盛大に転んだ。あのバランスの悪い歩き方じゃ転ぶだろうと思った。女の子は地面にうつ伏せの状態から肘をついて顔を上げ、当然その大きな黒目から涙は溢れ出し、うわあああああんと豪快に声を上げて泣いた。

「あーあ、可哀相。緑間助けてあげたら」
「子供と接するのは苦手なのだよ」
「まあ緑間みたいな無愛想な大男が行ったら余計泣いちゃうかもね」
「うるさい」

女の子が泣いているとママ友と話し込んでいた母親が気づいたらしく、そう思われる若い女の人が駆け寄ってきて、女の子を立たせ、自分は跪いて女の子の服の土を手で払って落とした。あれだけ派手に転んだというのに、柔らかい土のおかげか、怪我はしなかったらしい。それでも女の子は泣き止まない。母親は焦り出し、女の子を抱っこした。きっと抱っこするにはもう重いだろう。それでも決して離さずに抱きしめる。なんて素晴らしい召使い根性。女の子はまだ泣いているものの声は随分と小さくなった。母親は「いいこ、いいこ」と歌うようにあやして女の子の頭を撫でた。壊れやすい物を触るように、大切に。その光景を見て自分の心がどんどん冷えてもうじき凍りつくのがわかった。

「ああいうの、いいな」
「……」
「ずっと羨ましかった。ママにああやって頭撫でてもらうの。いいこだって優しい声で言われて、そういうのずっと憧れてた」

ああ、どうしよう緑間。私今あの子が憎い。ポケットに入れたままの手を強く握った。どうして目の前にいる女の子と私は違うのか。
目の前の光景はよくある、普通の親子の光景だ。私はこれを何度も目にしたことがある。何度も、何度も。だけど、一度だって自分がこうなったことはない。どうして。どうしてママは抱きしめてくれなかったの。どうして撫でてくれなかったの。
そうだ。子供は何をしたって許される。子供は可愛くて、馬鹿で、無知で、無力な、世界で一番弱い生き物だから。儚い動物だからだ。親から無償の愛を注がれて子供は育つ。親は無条件に子供を愛する。子供は親から愛されるはずの生き物なんだ。
なのに、どうして私は違った?
転んだって起き上がらせてくれなかった。泣いたら殴られた。泣きやまなかったら蹴られた。嫌だ思い出したくない。思い出したくない。でも全部覚えている。濃い化粧をしたママが煙草の火を消して、涙目になりながら叫んだ台詞。「どうしてママの生きる邪魔ばかりするの!」
大好きなママが怖かった。怖くても大好きだった。それはママだからだ。でも私は無条件になんて愛してもらえなかった。悪い子は要らないって。だから、悪い子な私のことがママは大嫌いだった。私は王女になんかなれやしなかった。
ぐるぐるぐるぐると、痛みだらけの過去を思い返して、目眩を起こしそうになっていたら、私の頭の上にぽんっと手が置かれた。それは緑間の左手だった。緑間…?驚く私をよそにその手が動く。本人は撫でているつもりなのかもしれないが、あまりにも機械的なそれは彼が人の頭を撫でるのが不慣れであることを物語っている。がさつで不器用だ。母親の優しい手とはかけ離れている。私はやっと右にいる緑間の方を向いた。彼はずっと前を見ている。ただその表情から照れているのがわかって私は途端に可笑しくなる。緑間の手がそっと離れた。母親と違っても、優しいことには変わりなかった左手だ。

「ふっ」
「笑うな」
「これじゃあ髪乱れるだけだよ」

彼の精一杯の勇気を踏みにじるように、私は手櫛で髪をとかし整える。緑間は笑いも怒りもしない。凍りついたはずの心がゆっくりと溶けてゆくのを感じた。

「ねえ緑間、私いいこ?」
「どう考えても悪い子だ」
「ひどーい。そこはいいこって言ってよ」
「悪い子だ。が、お前は何も悪くない」

相も変わらずこちらには一切の視線を向けずに緑間が放ったその言葉が私の消化不良のお腹にすうっと溶け込んだ。私は悪くない。それはずっと私が求めていた、ママに一番言われたかった言葉だった。私はママに、あの化粧の濃い、香水と煙草の混ざった匂いがする女に、こんな風に愛されたかったんだ。
私は俯いて目を閉じた。緑間に撫でられた頭の感触を思い出す。同じようにママに撫でられるのを想像する。がさつで、不器用な、その手を妄想する。傷だらけの過去を捏造する。ママは、優しかった。ごくんと息を飲んで私は目を開け顔を上げた。

「ありがとう。ね、緑間の頭撫でていい?」
「やめろ」
「嫌だ。撫でる」

緑間の拒絶の言葉にそのままの意味は込められてはいないように思えて、私は立ち上がり緑間の正面に突っ立って、ポケットから手を出し、右手を緑間の頭に乗せた。意外と柔らかいその髪をゆっくり撫でる。緑間が上目遣いに私を睨む。そんなこと構わず手を動かして、どんどん愛情が沸いて爆発しそうになった。愛しい、とても。どうしようもないくらいにこの人が愛しい。
さっきまで泣いていた女の子の笑い声が聴こえる。本当に子供なんて、単純だ。自分勝手だ。だけどもう女の子に対する醜い感情は薄れていた。ただ、足元に未だ落ちているころちゃんの行く末が気になるところではある。
撫でるだけでは足りなくなり、たまらず私は座ったままの緑間を抱きしめた。いつもは私よりずっと背の高い緑間が、座っているために首が低く、小さな子供みたいだ。
ねえ、ママ。悪い子な私はそんなにあなたの生きる邪魔をしていた?緑間のように、それでも受け止めてはくれなかった?捏造しきれなかった気持ちが少しずつ漏れ出す。日曜日の騒がしい子供の王国で、私は世界で一番優しい夢を見ていた。


白鳥のおままごと


20121015