「私は将来、いろんな人に必要とされるような人になりたいです」

小学生の頃、授業参観の日にみんなの前で将来の夢というテーマで書いた作文を発表したのをふと思い出した。ああ、あの頃はきっと明るい未来が広がっていた。作文を読み終えた後の周りからの拍手も、後ろで観ていたお母さんの嬉しそうな顔も、今は思い出したくない。クソ喰らえ。
そんな夢を持っていた少女が、こんな、家の外へ全く出ず、人と向き合うことを拒み、パソコン画面の中で秒刻みに行われているどうしようもない会話をただ眺めているだけの、堕落しきった生活を送る大人になるなんて。
社会は冷たかった、なんて酷い言い訳。私が甘かった。あの頃の私が今の私と出会ったらきっとこう問いかける。どうして大人なのに働かないんですか?どーして世の中の役に立とうと思わないんですか?生きてて楽しいですか?あなたは社会のゴミですか?こんな大人にはなりたくないと思う。絶対嫌だ。こんな、情けなくてみっともない、恥ずかしい大人。
いろんな人に必要とされるような人になりたかった、これは本当だ。ねえ、私を必要としてくれる人は何処に?

玄関のカギを開ける音、続いて玄関のドアを開ける音が聴こえた。この部屋に住んでるのは私と彼だけだから誰が帰ってきたかは見なくてもわかる。もうそんな時間かー…。今日もどうでもいい一日を過ごした。

「ただいま」

おかえり、と聴こえるかわからないような声で呟いた。私の視線は相変わらず、テーブルに置かれた目に悪そうな液晶画面の向こう。顔も知らない誰かと、名前も知らない誰かの口論。
謙也はいつものようにスーツの上着を脱いでハンガーにかけネクタイを外す。そして冷蔵庫から缶ビール、食器棚からはグラスを取って私の右隣に座った。

「何見とるん?」
「別にー」
「せや、次の木曜休みやねんけどどっか行かへん?」
「うーん」
「ずっと部屋ん中おるのもしんどいやろ?それに俺、最近自分のこと一人にさせてしもてるし」

そう言い謙也はグラスにビールを注いだ。謙也は優しい。一人にさせてるなんて、そんな。謙也はちゃんと仕事してるんだから仕方ないじゃない。私が勝手に一人になってるだけなのに。ていうか、一人でも大丈夫だよ私。優しい。彼といるときの自分はさらに駄目な人間に見える。ゴミだ。燃えないゴミほど邪魔なものはない。
私を必要としてくれる人は何処に。

「謙也はさ」
「ん?」
「なんで私と一緒に居てくれるの?」
「は?急にどないしたん?」
「答えて。なんで私みたいなのと一緒に居てくれるの?」
「…そんなん、す、好きやからに決まっとるやん。そうゆう言い方やめろや」

謙也は優しい。こんな恥ずかしい人間を好きだと言って傍に置いてくれる。謙也がいなかったら私はもう本当にひとりぼっちだ。謙也がいなくなったら、私は生きていけない、きっと。彼が必要だ。そっか、必要とされる人ってこういう人なんだ。
馬鹿な質問だってわかってるけど謙也は?私が必要?

「でもさ、私がいなくても生きていけるでしょ?」
「なあ、ホンマに何かあったん?」
「違う。ただ気になっただけだよ。ねえ、謙也は私がいなくなっても生きていけるよね?」

最低。一生懸命働いて疲れて帰ってきた謙也にこんなくだらない質問をして困らせている自分が最低すぎる。これでは私はもう、いなくても良い存在どころか、いない方が良い存在になってしまう。不要なんじゃない、邪魔だ。
答えなんてわかる。優しい彼だからそれとは違う答えを答えたとしても、わかる。謙也は私がいなくても生きていける。余裕。むしろ今よりずっと楽に生きていける。
当たり前に自分のせいだけど、頭の中がぐちゃぐちゃになって、劣等感と彼に嫌われたんじゃないかという自分勝手すぎる不安で涙が出てきた。嫌になる。
謙也が私の頭を撫でた。そのまま顔を覗き込まれる。汚い水で視界が滲んでいるせいで目が合っているのかわからない。

「必要やで」

謙也が少し困ったような笑顔をつくりながら小さな声で呟いた。その言葉にまた涙が溢れてくる。私が夢見ていた“必要”と謙也が口にしたそれはきっと違う。これは謙也の優しさだ。優しさが私の欲しがる言葉をくれる。それでも安心してしまう。救われてしまう。ずっと夢だったの、誰かに必要とされることが。
謙也が抱き寄せてくれた。その腕の中で泣いた。

「…ごめん、私も謙也が必要だよ、超必要」
「おおきに。も、大丈夫か?」
「うん、ごめんね」
「ええよそんなん。あー、晩飯作ってくれへん?むっちゃ腹減ったわ」
「うん」

謙也が自分のお腹をさすった。ようやく涙を流しきった私は液晶から目を離し立ち上がってすぐそこのキッチンに向かう。料理だけは毎日私が作る。見た目も味も微妙で、決して食欲が沸くようなものではない。メニューだって大体同じようなものだ。栄養バランスだとかそんなことちっとも考えてない。それでも謙也は毎日残さず食べてくれる。だから私は作る。

「はい」
「いただきます」

私の作ったご飯を食べる謙也を見て少し思ったこと。謙也って外食して帰ってきたことが全然ない、一度もない。飲み会とかないのだろうか。会社での付き合いとか。社会生活を放棄した私はそんなことも知らないけど。放棄したなんて言い方はおかしいか。私は社会に切り捨てられただけ。必要とされなかっただけ。
謙也が私の作る料理とも言えないような料理を食べてくれるなら、必要としてくれるなら、絶対に私は明日も明後日も作る。もしもっと美味しいものがいいならネットでレシピの一つや二つ、調べてみようか。目に悪い液晶画面も少しは役に立つだろう。
少女が憧れていた生活はこんなのじゃなかった。でも、いろんな人に必要とされるより、自分の一番必要な人一人に必要とされる方がずっと良い。そう思うのはただの負け惜しみ?それでも構わない、お願い、ずっと必要としていて。

「謙也」
「んー?」
「動物園行きたい、木曜」
「動物園?何や意外やな〜。ええよ、行こか」
「お弁当作るから」
「おー、楽しみにしとるで!」



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20110317