腐れ外道と




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「花宮くんってかっこいいよねぇ」「頭良いわ顔良いわ優しいわ、文句なし!」「バスケ部のキャプテンもやってるんだよね?今度見てみたいなあ」「私この前体育のとき少し喋ったんだけどマジやばかった!」「えー、ずるーい!」「抜け駆けか〜?」

前の席に集まってる何人かの女子たちの、聞いてくださいと言わんばかりの馬鹿でかい声で繰り広げられる会話に耳を傾けつつ携帯を弄って、必死に笑いを堪える。何がマジやばかったのだろうか。あの性悪花宮に夢中になってるお前らの頭の方がマジやばくね?そんな台詞を吐いたらきっと女子たちの所謂ヒソヒソ話の新しいネタにされるんだろうけどネタ提供する義理もないので私は黙ったままアドレス帳を開く。彼女たちは花宮の目がどこまでも冷たく非道徳的な闇を渦巻いていることに気付かないのだろうか。もし気付いてないのなら手遅れだ。もう完全に蜘蛛の巣に引っかかっている。まあ、蝶っていうより蛾程度の餌食しかいないけど。蛾たちが花宮の話から最近のアイドルの話に話題を変えたところで、私は用済みの男のアドレスを三件消した。



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「先生すいません。気分悪いんで保健室行ってきます」

何度目だかわからない科白を使って狭い教室から逃げ出した。廊下に出た瞬間、愉快になった。どうやら気分が悪かったのはあの教師に問題があったらしい。まあ元々保健室に行く気なんてなかったので、私は緑色の手摺りが付いた、あまり掃除が行き届いていなさそうな階段をゆっくりと上がる。一番上の階まで来て屋上に出るドアを開けた。視界の大半を占める灰色の空。雨が降り出しそうな空の下に花宮がいた。

「花宮じゃん」
「…何だよ、お前かよ」
「何してんの?」
「次の対戦相手潰す方法考えてる。楽じゃねんだよ、主将っつーのも」
「相変わらずゲスいね。一緒に考えてあげようか?」

私の親切には答えずにフェンスを背にして座り込んでイヤホンをつけながら対戦相手の資料らしい紙を退屈そうに眺める花宮の隣に私も座る。潰す方法、ねぇ…。花宮の言うそれは正統的なバスケの試合での作戦ではなくて、試合中に相手に怪我させるような、所謂ラフプレーだ。スポーツマンシップもクソもないこんな発言をできる奴がキャプテンだと言うのだから、私はここのバスケ部が心配でしょうがない。花宮は普通にバスケが上手いのに、全く本気で熱くなり滝のように汗をかくような試合をしたことがない。でもその非道な行為に少しばかり恍惚としてしまう。汗をかいて何かに夢中になって青春を捧げるなんて馬鹿馬鹿しい。努力、仲間、信頼、夢…。そういった類の暑苦しい言葉は私も花宮も嫌いだった。

「今日クラスの子たちが花宮の話してたよ。かっこいいって、マジやばいって。人気者ですね〜花宮くんは」
「うるせーよ。ブスに興味ない」
「そのブスを何人不登校に追い込んだ?」

そう言うとギロッと花宮が睨んできた。爬虫類みたいな目に気味の悪さを感じる。花宮は女との関わりについて、少し、かなり問題があった。女ったらしとかヤリチンとかそんな低脳でかわいいものじゃない。もっとむごくてえげつなく、人の心をズタズタに引き裂くようなものだ。花宮は自分を好きな女子に対してすごく優しくする。相手が両想いだと思って当然のようなことを平気でする。そうやって楽園に招待したところで一気に突き落とす。恋する乙女が精一杯に勇気を振り絞って花宮に想いを伝えた瞬間に花宮は笑いながら言う。誰がお前みたいなブスと付き合うかよバァカ。俺一言も好きとか言ったことないだろ?何勘違いしてんだよ。だから頭悪い奴は嫌いなんだよ。一生俺に話しかけんな。多分そんな感じの、ナイフ、いやもう爆弾のような言葉をお構いなしに投げつけるのだ。大好きな花宮くんにそんなことを言われてしまった女子たちはもう立ち直れない。そういえば、花宮が女子にキスをしようとして、相手が目を閉じもう少しで唇がつくところでそのような言葉を言ったこともあるらしい。清々しいくらいに最低で笑いたくなる。傑作だよ。こんな最低なのに特に花宮に対して嫌悪感を抱かないのは、私も似たようなことをしているからかもしれない。

「人のこと言えねえだろうが」
「私はそんな悪趣味な振り方しないわよ。もっと優しい」
「それも貢がせたのか?」
「ああ、ネックレス?誰だったっけなあ。サッカー部のキャプテン?他校の人?」
「お前も十分えげつねーよ」

そんなやり取りをして二人で笑った。決して穏やかで優しいそれではなくて、もっと醜い、悪代官様のような笑み。シルバーの華奢なネックレスを触りながら思う。男はなんて愚かで正直なんだろう。少し優しくすれば、少し触らせてやれば、こんなにも忠実に私に尽くしてくれる。もうこのネックレスをくれた男の顔も思い出せない。そんな自分を汚いと非難して一瞬で別に私は悪くないと開き直る。私はただ面倒で効率の悪いことが嫌いなだけだ。時給900円のコンビニのバイトでせっせと稼ぐよりは、太ったお財布を持った男や、そうでなくても女の前で見栄を張りたがる幼稚な男に股を開いて、その代償として現金であったりブランド物のバッグであったりお高めのアクセサリーであったりをありがたく頂く方がずっと楽だと私は思う。だけど花宮と同じにされては心外だ。私はしっかりと身体で応えている。男は性の捌け口が欲しいわけで、私はお金が欲しいんだから、利害関係は一致しているはずだ。
そこまで考えたところで、何だかとてつもなくくだらなくなってきて笑った。何を競っているのだろう。どう考えたって花宮も私もクズだ。それでも思う。さっきの女子たちやこのネックレスをくれた男たちに比べて、私たちは生きるのが上手だと。
ぽつ、ぽつ。弱い雨が降ってきてコンクリートに染みを作るのをしばらく眺めてから、私たちはまたあの退屈で鎖に雁字搦めにされた世界に戻った。


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「あのさ、ちょっと聞いてもいい?」

廊下を歩いているときに、何か不振そうな顔で私に話しかけてきたのはクラスメイトの女子だった。一人ではなくて、二人。二人ともクラスの中心にいて、おしゃべりが大好きそうな、いかにも女子高生って感じの。

「何?」
「あー、ここだとちょっと話しづらいからトイレ行こうよ」
「うん、そうしよ」
「え」

勝手にトイレへ向かうその子たちに舌打ちをしたい気持ちを押さえて嫌々ついて行きながら、何を聞かれるのだろう、と考える。廊下で話しづらいということは、まあ、あまり良くない内容なのだろう。別に特に不安にはならない。男に媚びて金貰ってんの?そんで貢がせたらすぐ捨てるって本当?あんた最低だね!…こんな内容だと予想してみる。上手く返せる自信はある。あんたらブスは男に貢がせることもできないんでしょ。女子トイレに入るときにもう一つだけ想像した。花宮くんと仲良いの?付き合ってるの?そう聞かれたらどうしよう。仲良くないし付き合ってるわけでもないからそのままのことを言えば良いのだけれど、目を泳がせてしまいそう。それが何故だかはわからない。
さすがに個室には入らずに、手洗い場の鏡の前に来て、私は少しだけ緊張していた。背の低い方の女子が口を開く。

「噂だから違ったら否定してくれて良いんだけど…山内先生とできてるって本当?」
「…え?」
「本当いきなりごめんね!結構噂広がってるみたいだよ?」

深刻そうな表情の中に好奇心が見え見えの彼女たちがあまりにも予想と違ったことを聞いてきたことに対して、驚いたような、呆れたような、落胆したような、安心したような、混沌した気持ちになった。山内山内山内…隣のクラスの担任だ。この学校にいる教師にしては若い、数学担当の山内だ。山内と私ができている?なんでそんなつまらない噂が流れているのだろう。関わった覚えなどない。そう思っていたけれど、あの教師の顔を思い浮かべているとだんだん関わったことがあったような気分になり、そういえば前に一度だけ寝たことがあったと思い出した。お小遣いをくれた。私の数学の成績は上がった。そういえばそうだった。こんなことですぐできているとか言い出す女子高生たちの脳みそは何でできているんだろう。私の目の前にいる二人は典型的な例だ。おもしろい。
私は下を俯いて、目の周りの筋肉に力を入れる。出ろ、涙。私はゆっくりと口を開いた。

「……違う」
「え?」
「先生に無理矢理強要されて…私、怖くて…」

せっかくだから彼女たちが望んでいる面白い展開を卓越した劇的なエピソードにしてやろうと思って、私は口角が上がりそうになるのを堪えながら涙目でフィクションを語る。彼女たちは驚きつつ、やはり好奇心は増大したようだ。さりげなく詳しく話を訊いてくる。ああ、滑稽。私の吐く嘘を美味しいと言って頬張るこの女子たちはなんて俗っぽく、頭が悪いんだろう。そして私はどうしてこうもくだらない嘘を吐いて餌を与え、彼女たちの頭の悪さを確認することで自分はまともな人間だと言い聞かせているのだろう。私が一番、滑稽だ。
結局一通り私が考えた生々しい話を聞かせた。

「そうだったんだ…全然知らなくて、なんかごめんね?」
「ううん、誤解されてたみたいだったから話せて良かった。でも、お願いなんだけど、誰にも言わないでもらえる?」
「うん!当たり前じゃん!」
「絶対言わないよ」
「ありがとう」

嘘つけ。絶対に明日にはクラス中、学年中に広がっている。それをわかっていて、私は誰にも言わないでなんて言った。もちろん本心ではなくて、彼女たちの噂を流したくなる欲を駆り立てる目的だ。話してくれていい。学校中に知れ渡って、教師の間でも話題になって、あの男が大変なことになれば、少しはこの憂鬱な退屈をしのげるんじゃないか。そんなことを考えていた。
私は一度微笑んでから個室に入って、彼女たちが去って行ったのを把握してまた出た。鏡を見ると私は確かに泣いていた。涙というのはこんなに軽く安いものなのか。私はもしかしたら女優になれるんじゃないか。どうでもいい空想をして自嘲してから私は軽く化粧を直した。


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思っていた通り、私が教師とできている、正確に言うと私が教師に強姦めいたことをされたという噂は学校中に広まった。広まったけれど、特に大きな問題にはならず、私もあの教師もいつも通りの学校生活を送っていた。当然教師たちの間でもこの噂は耳に入ったのだろうが、さすがに現実味がなかったのかもしれない。ちょっと話を大袈裟にしすぎたなあと後悔した。その噂もやがて消えた。私のことを変な目で見てくる連中も消えた。本当に学校というのは不思議な場所だ。たくさんの組織があって、その組織が集まり更に組織を作っている。いつでも根も葉もないメディアに踊らされている。きっとみんな退屈で、だからクラスメイトと教師ができていたら…みたいなドラマのような現実を望んでいて、その渇望の塊が噂を生んでみんなでそれを回し食いしてる。飽きたら新しい餌を探すだけだ。私はそんな生き物を軽蔑する。ここにいる人間を全員見下す。ただ一人、みんなの中に入っていない人を思い出した。そういえば最近話していない。深い意味はないけれどなんとなく会いたいという気持ちがこみ上げてきて、授業中だけれども、私は手を挙げた。

「先生、調子悪いので保健室に言ってきます」


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スクールバッグに忍ばせていた板チョコを片手に教室を飛び出して、階段を上がり、屋上に続く重いドアを開けたらいつもと同じ光景。泣き出しそうな空は、やっぱり花宮とよく似合う。フェンスに寄りかかっていた花宮は私に気付いたようでこっちを向いていかにも嫌そうな顔をした。私は花宮の元まで歩く。広いな、ここは。学校で一番好きな場所だと私は思っている。

「花宮、久しぶり」
「ようゲス」
「ゲスにゲスって言われたくないんだけど」
「つうかお前あの噂何?どんだけ話盛ってんだよ。どうせお前から仕掛けたんだろ」
「さすが花宮!鋭いね」
「バカじゃねーの」

別に隠す気なんか無いし、きっとバレてると思っていたけど、花宮には何でもお見通しだ。やっぱりゲス同士通ずるものがあるのかね〜?と冗談を言おうかと思ったけれど、よく考えたら私は花宮の考えてることなんかわからないし、結局花宮が頭良いだけなのだと気付く。
片手に持った薄っぺらい板チョコの銀紙の包みを音を立てながら開けて口に運ぶ少し手前で止める。

「食べる?」
「要らね。カカオ100パーセントしか食わねぇよ」
「…それもうチョコじゃなくてカカオじゃん」

つれない花宮を横目に私はチョコの端を舐める。甘い。溶ける。甘い。地球がチョコレートでできていれば良かったのに。吐きたくなるほど甘くてベタベタした溶けかけのチョコレートでできた地球なら今より幾らか楽しく生きることができたような気がする。
そういえばすっかり忘れていたけれど数分前の私は花宮に会いたくて仕方がなかった。花宮とくだらない話がしたかった。一緒に誰かを馬鹿にしたかった。違う、多分、ただ本当に会いたいと思ったことに理由はなかった。チョコレートが私の身体に染み込んでゆく。自分でも恐ろしいけれど、まさかと思っても、いやいやまさかと思っても、ひょっとしたら私は花宮の蜘蛛の巣に足を踏み入れてしまったのかもしれない。でも私はあの馬鹿な蛾たちとは違う。引っ掛かる振りをして喰らいつく。

「ねえ、花宮。付き合いたいんだけど」
「はあ?」
「花宮と付き合いたいんだけど」
「ふはっ!意味わかんねぇよ。お前俺を騙せると思ってんのかよ」
「思ってないよ。騙せるわけないし。花宮こそせっかくブスがたかってるんだからいつもみたいに優しくしたら?」
「お前みたいな奴じゃつまんねーよ」
「私多分花宮が好きなんだよ」

珍しく花宮が驚いたような顔をして私を見た。自分でもなんでこんな告白してるのかわからなかった。なんでこんな性格の悪い男に、私に貢いでくれない男に。そう思う反面、花宮が好きだということにやっと自覚を持った。いや正確には、好きな気がする、という曖昧な感覚。だってわからない。男は単純で馬鹿で幼稚な生き物だから、私は男というものを軽蔑しながら利用して生きてきた。だから本気の恋愛なんてしたことないし、本気の恋愛をしている周りの連中を恥ずかしい奴らだと考えていた。私が好きなものはお金とシャネルとチョコレートで、そこに人間の名前が入るわけなんてなくて、それなのに今、薄く浮かび上がった綺麗な名前から私は目を逸らせずにいる。
花宮が一歩私に近づいて左手をフェンスにかけた。

「俺が好きだって?」
「多分ね」
「じゃあ目閉じろ」

何を言ってるのだかよくわからず私は目を閉じて花宮の手が私の後頭部を押さえて、一秒目にキスされるんだと予測したけれど、二秒目にはこれはキスに見せかけて唇が触れる直前に花宮は顔を離し大笑いしていつかの花宮に恋した女の子のように私を陥れるんだと確信して、でも三秒経つ頃には、私の唇は確かに誰かのそれに塞がれていた。それから私はそのキスに夢中になっていた。無意識にチョコレートを落とした手で花宮のYシャツを掴み、苦しみと幸福が波になって押し寄せてくるのを精一杯に受け止めていた。

「甘ぇ…」

花宮が口を離して、やっと十分に呼吸ができるようになったのに私は花宮を見つめながら寂しいと思っていた。物足りない。もっと、もっと欲しい。そう思っていた。そんな自分に驚いた。私は今まで男の人に求めるのはお金やいつかゴミになる高級なアクセサリーやらバッグやらだけで、心だったり身体だったりを求めたことなんて一度もなかった。だって無価値なのだから。誰かの心や身体を手に入れたところで私の欲は満たされないと思っていた。今、私は花宮を欲しいと思っている。花宮は私の醜い姿を知っているのだから騙されてくれるわけがない。使えない。なのに私は花宮が欲しくて欲しくて仕方がない。お金なんて要らない。アクセサリーもバッグも買ってくれなくていい。だけど愛されたい。花宮だけには愛されたい。

「もう一回して」
「は?」
「軽いので良いから」

めんどくさそうに眉を歪めた花宮は今度は触れるだけのキスをしてすぐに離した。私は花宮の目をずっと見ていた。花宮の目はどこまでも冷たく非道徳的な闇を渦巻いていて、でも、今初めて知ったけれど、その闇の奥にどこまでも人間らしい熱が宿っていた。花宮は人間だ。私も人間だ。可笑しい。こんなの、全然駄目じゃないか。何が生きるのが上手だ。私や花宮より、今まで私たちに騙されてきたクラスの女子たちや馬鹿な教師の方がよっぽど生きるのが上手だ。私たちは下手くそだ。粗末な脳と貧弱な心がずっと私と花宮を鎖に繋いでいた。ああ、雨が降りそうだ。

「花宮」
「次は何だよ」
「こういうのってさ、」
「早く言え」


「……なんか嫌だね」



チョコレゐト



song / ピノキオP

20120708