どうやって来たのかわからない。気がついたらここにいた。とっても綺麗な場所。汚れ一つない場所に私はいつも着ている黒くて重い服とは違った、真っ白なワンピースを一枚身につけて立っていた。青い空に白い雲が楽しそうに浮かぶ。思わず私も笑顔になる。これは夢なのかもしれない。ああ、だったら覚めたくない。アラームかけなければよかった。まあアラームかけても起きられなくてよくスクアーロ辺りに怒られるけれど。
もう、何もかも嫌になっちゃったの。私がここにいる理由を問われれば多分そうとしか答えられないだろう。人を殺すために生きている私。誰かの屍の上に立って呼吸する私。考えれば考えるほど、どうしようもなく私は汚い。こんな綺麗な場所にいて良いような存在ではなかった。ここにいると、このワンピースを着ていると、まるで私は純粋で綺麗な生き物なんじゃないかと錯覚してしまう。ずっとここにいたい。任務のことも全部忘れてここにいたい。ここにいられたら私はギリギリ人間でいられる気がする。あっちには何があるんだろう。光の差すあっち側には。良い想像しかできない私は足を動かす。

「センパーイ」

後ろからよく聴き慣れた声がして私は足を止め振り返る。予想通り、お馴染みのカエル帽子。相変わらず無気力そうな顔をした後輩が遠くに立ち、私を見ていた。フランはいつもと同じ黒いコートを着ていて、それがここには不似合いで何だか笑える。フランも遊びに来たのかしら!ご機嫌な私は大きく手を振る。

「フランー!」
「何してるんですかー?」
「わからなーい!」
「センパイはバカですかー?」
「うるさいー!」

大声出さなきゃ届かないだろうと思って叫ぶようにフランに返事するけれど、フランはいつものトーンで返してくる。それがよく響く。フランはやっぱり生意気な後輩だ。生意気で、やる気がない。彼はずっとそこに立っている。そっちはこっちに比べてあまり明るくない。あまり優しくない。それなのにフランは私の方に歩こうとしない。何でだろう。こっちの方が暖かいんだよ。

「フランもこっちに来なよー」
「嫌ですー」
「なんでよ。ほら、もっとあっち行こうよー!」
「何もありませんよー」

フランはあまりにも興味なさそうな顔をしている。私は自分の指差した方向を、まるで片思い中の相手に向けるかのような視線で見つめる。何かあるよ、きっと何かある。素敵な何かがあるのに。きっと優しいオアシスが広がっているんだわ。なんでこんなに欲を掻き立てられるんだろう。無い物ねだりの一種だろうか。私は綺麗な場所で呼吸したことがない。いつも薄暗い場所で血の臭いを嗅ぎながら、誰かに死を与えて生きてきた。思い出したくない。忘れたい。あれは私じゃない。そう思いたい。
その時、どこから来たのか綺麗な蝶が私が向かおうとしている“あっち側”に、ひらひらと導かれるように飛び急いで行った。私も行きたいな、できたらフランと一緒に。

「そんなに嫌ー?ちょっとだけ!」
「寄り道しないでみんなの所に帰りましょうよー。ミーお腹空きましたー」

みんな。暗殺部隊のみんなだ。ボスにスクアーロにベルにルッスーリア。それからレヴィ。私は暗殺部隊の一員だ。どんなに汚れのないワンピースを身につけても、優しいオアシスを夢見ても、こんなところにいたって私はただの人殺し。美しい生き物なんかじゃない。考えていると頭が痛くなってくる。泣き叫びたくなる。あの蝶になりたい。優雅に羽根を広げて華麗に飛びたい。私は蛾にしかなれない。羽根はもうボロボロだ。
みんなのことは好き。好きだけど私、ちょっと疲れたよ。人殺すの怖いよ、ねえ。

「やだ、帰りたくない」
「なんでですかー」
「ここにいる」
「…ミー帰りますよー?」
「え」
「センパイ一人になっちゃいますねー」

普段と変わらないフランのテンション。私は“あっち側”を見てみる。私がずっと望んでいた、すごく素敵な場所。夢に見たような楽園。悲しみも苦しみもなくて綺麗に自由に生きていける場所。だけどひとりぼっちの場所。そしてフランに視線を戻す。私はずっと人殺し。汚れた蛾。でも、みんながいる。みんなが慰めてくれる。私の罪を許してくれる。時々ケンカもするけど支え合って庇い合って笑い合う、賑やかな場所。私にはどっちが必要?

「センパイ、やっぱりミーセンパイがいないのはつまんないんですけどー」
「なんで」
「からかう相手が一人減るじゃないですかー」
「先輩を何だと思ってるの!」
「だからー、センパイも一緒に帰りましょうよー」

フランがコートのポケットに手を突っ込んだままそう言って、首を少しだけ傾げた。その姿が無性にかわいくて笑みが零れる。やっぱり、私の居場所はこっちなんじゃないかって思う。オアシスだって、独りじゃきっと退屈だ。フランの言う理由に少し納得いかないけど、しょうがないなあ。戻るのは本当は少し怖い。もっとここにいたい。夢でしかないけれど、それでも。だけど私はヴァリアーのみんなが大好きだから帰ってあげる。私はフランの方に駆け寄った。

機械的な音が規則正しい旋律でそこに鳴り響いた。

私はゆっくりと瞼を開けた。さっきまでとは違う白く狭い部屋。あれ、楽園は?寝ぼけているのかもしれない。ああ、やっぱり夢だったんだと少しだけ落胆する。口元に感じる違和感は多分この半透明に曇っている呼吸器のせい。一番初めに目に写ったのはやっぱりカエル帽子。フランのやる気なさそうな瞳。いまいち状況が把握できないでいると、スクアーロお得意の大声が耳に入る。

「う゛お゛ぉぉい!意識を取り戻したのかぁ!」
「…隊長うるさいですー。ここ医務室ですのでー」

いつもの風景、確かな空間。当たり前すぎるこの景色が何だか懐かしく感じた。すごく愛しく感じて、涙が滲み出る。ドアが開いて野次馬みたいに、にやにや笑顔を浮かべたベルが入る。「もーう心配したんだからー」と眉毛を八の字にしたルッスーリアも続いて入る。レヴィは相変わらず硬そうな顔をしている。ボスは多分自分の部屋だろうな。確かに、確かにいつものみんなだ。私の大好きなみんなだ。

「センパイ、おかえりなさい」

ただいま、そう言おうとしたけどうまく声が出せなくて息だけがスースーと音を立てた。
後から聞いた話。私は任務のとき敵に攻撃されて意識不明の重体になったらしい。眠っている間ずっとフランが傍にいてくれたとかそうでないとか。それからもう一つ、外に出てまず初めにどこかで見覚えのある綺麗な蝶の死体が目に飛び込んできて吐き気がした。よかった、あのときフランが現れてくれて本当に良かった。きっと私は完全に回復したら当たり前のようにまた任務をこなしていくんだろう。ターゲットをこの蝶の如く、物体に変えてしまうんだろう。それが私たちの仕事だ。私たちがいるのは光の眩しい日なたじゃない。薄暗くて冷たい日陰だ。大丈夫、そこでみんなと生きていくんだ。何はともあれ、ただいま!



居場所は此処だと救い出して



title / エッベルツ
2009XXXX
20111120 修正