天気は晴天だが、時折強い風が髪を揺らす。春だ。今日は高校の入学式がある。新たな生活が始まる。特に期待に胸を膨らませることはなく、緊張や不安に手が震えることもなかった。今日のラッキーアイテムであるけん玉をしっかりと左手に持ち、透野の家の前で彼女が出てくるのを待っていた。腕時計を見ると約束の時間を2分過ぎている。たった2分、されど2分だ。あと1分待って出て来なかったら先に行ってやる。大体何故俺があいつと仲良く登校しなくてはいけないのか。不満に思う。しかしながら、透野が天性の方向音痴だということは中学時代から把握しており、そんな彼女を置いて一人で行くのは胸が痛む。俺にだってそれくらいの良心は、ある。
 とにかく、あいつにはおしるこの一本はおごらせてやろう。なんてことを考えていたら、ドアが開いた。出てきたのは、見慣れない、紺色のセーラー服に身を包んだ透野だった。透野は、俺を視界に入れた瞬間、アホのように笑顔になった。

「わあ、緑間くん学ランだ!似合う!うん、すごく似合ってるよ!」
「3分遅刻だ」
「いいじゃんそれくらいー」
「よくない。3分あれば何本シュートを撃てると思っているのだよ」
「試合中じゃないもん」
「それに、何だその髪は……寝癖か?」
「巻いたんですー!」

 透野は俺を睨み、頬を膨らませて、自分でわざわざ焦がして巻いたという長い髪を弄った。中学時代から彼女の髪は細くてつやがあって綺麗な印象があった。触ったことはないし、触りたいと思っているわけでもないが、きっと柔らかいのだろう。「乙女心わかってないんだから」などと不平を口にする透野に詫びもせず「行くぞ」と言って歩き出せば「ま、待ってよ…!」とこれまたアホらしい声を上げて俺についてくる。本当に、騒がしい、小動物みたいな女だ。
 しばらく学校に向かって歩いていると透野は携帯を手に持って立ち止まった。もちろん無視して歩き続けるとすぐに後ろから駆けてきて俺の腕を掴み「緑間くん見て!」と得意気な表情で携帯を差し出してきた。ストレスが溜まるのを感じながら、仕方なくそこに目を向ける。

「さっちゃんが送ってきたの。二人とも似合ってるね!」

 携帯画面に映っていたのは、目新しい制服を着て機嫌よくピースサインとウィンクを決めている桃井と、その横で桃井に引っ張られ億劫そうな表情を浮かべている青峰だった。あいつらも今日が入学式なのだろう。桃井については特に意見ないが、青峰は帝光の上品な制服が面白いくらい似合っていなかったため、高校の新しい制服が似合っているように感じる。少しルーズすぎる着こなしが頂けないが。

「ねえ、私たちも撮ろうよ写真!」
「嫌なのだよ面倒くさいのだよ」
「さっちゃんが見たいって言ってるから〜緑間くん〜」
「引っ張るな!」

 ――カシャッ。
 不意を打つようにシャッター音を鳴らした透野の携帯で撮影された俺たちの写真は、桃井と青峰の写真と呆れるほど全く同じ構図となった。
 春風が吹き、桜の花びらが舞い落ちてくる。今日から俺たちが通う秀徳高校の校門は、もう、すぐそこにあった。



 入学式が終わり、クラスでの短い集会も解散した。透野とはクラスが違ったが、俺のクラスには彼女並みに騒がしい奴がいた。高尾という男だ。高尾とは、春休み中からバスケ部の練習に参加していて顔を合わせていた。今日も教室に入って目が合うなり下品に吹き出し「やべー…緑間クン、クラスまで一緒かよ!部活もだし、俺たちニコイチじゃん!仲良くしよーぜ!」と馴れ馴れしく肩を組まれた。まだよく知っているわけではないが、現段階では“チャラい”という言葉がよく似合う、やたら軽薄そうな男だ。もしかしたら透野とは相性が良いかもしれない。というか、頭のレベルがきっと同じだ。

「緑間くーん」

 教室を出るとすぐに廊下で待っていたらしい透野に捕まった。何がそんなにおかしいのだか、へらへらとした笑顔を貼り付けている。「一緒に帰ろう」と歌うように声かけられ、どうせ無視しても行きと同様に俺の後ろをついてくるだろうと予想できたから、あえて無視をした。残念ながらその予想は的中して、一緒に下校するはめになる。
 帰り道は他愛ない会話を延々とした。会話といっても透野が9話すのを俺が1返しているようなものだ。

「緑間くん友達できた?」
「下僕ならできたのだよ」
「…もう、またそういう言い方するー。緑間くんって本当にさぁ、」
「ところで、お前はいつ入部届を出すのだよ」

 俺への小言を遮るようにして話題を出した。バスケ部の推薦枠で秀徳に入った俺は既に入部届を出していた。一般受験で入った透野はこれから提出するはずだ。尤も、彼女にマネージャーを続ける気があるのなら、だが。

「今日はまだ受け付けてないでしょう?明日緑間くんが部活行くとき一緒に行って出すよ」
「本当に入るのだな。帝光と同じかそれ以上に厳しくなるぞ」
「わかってるよ?それに続けろって言われたし」

 その言葉に嫌悪を感じ、家へと向かう足を止めた。早歩きをして必死に俺の歩調についてきていた透野も立ち止まり、隣から不思議そうに俺の顔を覗き込む。こいつはすぐこれだ。主語が抜けていても、誰にそう言われたのかはすぐわかる。いつだって彼女は、赤司の言葉に縛り付けられて生きているのだ。

「確認しておくが」
「なあに?」
「俺が秀徳に入ったのは、あいつらと戦って勝つためだ」
「…わかってるよ」
「不本意ながらお前も同じチームメイトとなるわけだ。足は引っ張るなよ」
「もう!わかってるってば!私だってキセキのみんなに勝ちたいって思ってるもん!」
「赤司もいずれは倒すのだからな」

 その名を出せば、膨れっ面をしていた透野は一瞬で怯えたような顔になり、俯いて静かに頷いた。全く扱いづらくて仕方ない。普段目障りなほど明るく図々しく何も考えていないような振る舞いをしているくせに、こうなってしまったときの彼女は脆いガラス細工のおもちゃみたいだ。繊細で今にも壊れてしまいそうで、危なっかしい。何故ここまで豹変するのか。赤司の何がこいつをそうさせる……?
 考えるのが面倒になり、紛らわすために眼鏡のブリッジを上げ直した。どうでもいい。赤司と透野のことなど、俺には関係ない。巻き込まれてはたまらない。俺はただ、バスケにおいて、自分の人事を尽くすのみだ。

「わかっているなら良いのだよ。三年間人事を尽くすぞ」
「…はい!」

 透野はすぐにいつもの頭悪そうなへらへらした笑顔に戻った。俺はその笑顔にどこか安堵を覚えて、再び歩き出す。話し飽きないのか、透野がまた一方的なマシンガントークで俺の鼓膜を煩わせる。これから毎日こうなのかと想像するだけでげんなりとしてしまうが、それ以上に、早く秀徳のバスケ部として俺と同じくキセキと呼ばれたあいつらを倒したいという意欲が湧いてきて、柄にもなく口角が上がった。
 ふと自動販売機が視界に飛び込み、また立ち止まる。

「今度はなに?」
「おしるこを買うのだよ」
「どうぞ?」
「俺ではなくお前がだ」
「へ…?」
「さっき遅刻した罰だ」

 俺の言葉を聞いた彼女は、ポカンと口を開けて今日一番の間抜け面をした。


20150207