待っていようね。/暗千(?)
※死後の話

「なんだこれ」
気付いたら草原の上に寝転がっていた。

上半身を起こしてからきょろきょろと周りを見回しても知らない景色。そして思い出せない直近の記憶と身体の節々に感じる痛み。さっきまで何をしていたかが全く覚えていなくて、おかしいなと思いつつため息をついた。視界に入った格好は普段の仕事着で、私はどんなに酔っ払っても人生でそのまま寝たことはなかったはずと冷や汗をかいた。
「…泥酔したかな?」
いつもみたいにバルでホルマジオやプロシュートあたりとベロベロになるまで酔っ払って帰ろうとしてこんなところに来てしまったのだろうか。にしても体の節々…というか間接が痛いのはなんでだろう。我慢できないくらいではないけど、幼いころになった筋肉痛のようだ。霧が少し晴れて、見知った後ろ姿を見つけた。

「あ」
ホルマジオだ。噂をすればなんとやらってやつかもしれない。少し遠くの草原の真ん中で、私と同じように目を瞑り寝ていた。駆け寄り声をかけるが起きる気配はなく、静かに寝息を立てる姿は酔っているようにも思えなかった。こんなに熟睡しているのも珍しい。ふと寝顔の彼を見て、ムカつくことや辛いことがあったときに飲みに誘って励ましてくれたのは彼だったと思い出しホルマジオの頬を撫でてから指を離した。そのまま草原に座っていると少し離れたところで何かに太陽の光が反射して目を瞑る。

反射したものが気になり、眠っているホルマジオから離れて反射物を見に行けば割れた鏡の破片がなぜか落ちていて、自身の顔が写ってた。いつもよりも血の気の引いた青白い肌が不気味で、貧血なのかと勘違いしてしまうほどだ。
「ん?」
鏡の中、私に背を向け座りこんでいる見覚えのある後姿。
「イルーゾォ?」
その姿に何故か懐かしさを感じる。おかしいなほぼ毎日会っているのに。彼は鏡の中で私に背中を向けている。割れた鏡の破片を持ちながら回り込むように移動すればイルーゾォも目を瞑りこちらを見ることはなかった。不思議な状況だ、会う知人全てが目を瞑りこちらに反応を示さないなんて。イルーゾォが許可してくれない限り鏡の中には入れない。
そういえば彼ちはよく言い合いになったなぁ。小さなことで突っかかってくる彼は私に言い負けると鏡の中に篭って謝っても出てきてはくれなかった。それなのに数時間後くらいには何もなかったように顔を見せ「あー…茶でも飲みに行くか」と誘ってくれるのだ。しかも支払いは先に済ませてくれる男前なところも見せてくれた。そんな彼も目を開けてくれない。渋々とそのまま鏡の破片を手に持ってあたりをうろちょろと歩いてみる。

視界一面は景色の変わらない草原が広がっていて穏やかな空気に目を瞑り、深呼吸をしてみる。まるで山岳地帯の丘のようだ。一度、ギアッチョと仕事に向かうのに電車に乗り間違えてこういうところまで来た気がする。ふふ、懐かしい風の匂い。ひんやりとした風が頬を撫でた。ああ、そうそうこの冷たさ。ギアッチョが乗り間違えた私に怒ってスタンドで喧嘩しそうになったなぁ。懐かしさに目を開き、遠くを見つめればきらりと何かが光ったのが見えた。少し距離はあるけど衝動的に行かなくてはいけないと思い、光ったものへ足を進め近づく。10分ほど歩いただろうか、大きな氷が地面から氷岩のように生えていてその中には見知った男がいたのだ。

「…ギアッチョだ」
震えた声で彼の名前を呼び、息を飲んで、背筋が冷える。彼は何をしているんだろう。これはどういうこと?ばくばくと鳴る心臓がこの状況についていけない証拠だった。氷に触ってみればひんやりとしていて冷たい。眠るように目を伏せ氷漬けにされているギアッチョに数度声をかけるが瞼が開くことは無かった。

「ひゃっ!?」
足元を何かが通り、びっくりして下を見ると1匹の蛇が足の間を通り過ぎ後方へと向かっていく。立て続けに起きる奇妙な状況に困惑をしながら、蛇が行った方向を見るとまた見慣れた人影が倒れている。
「メローネ!?」
蛇がメローネの首に絡みつき赤い舌をチロチロ出しては、くりくりした目で私と視線を合わせた。蛇を追い払いメローネの上半身を抱き上げる。浅く息を吸っているのを察して安堵し膝に頭を下ろした。少し離れたところでシャーッと私に威嚇のような鳴き声をあげる蛇が気味悪い。まるでメローネを渡さないとでも言っているようだ。ああ、これだから私は心底蛇が嫌いなのだ。ニンゲンに媚びるような可愛い目をしているくせに、獰猛な牙や隠し持つ毒が性悪な女に似ていると毛嫌いしていた。メローネにそう言えば目を丸めながら「…そういう考え方もあるか、相変わらず面白い見方をするんだな」と笑った。膝に乗せたメローネの額を撫でて、状況を整理する。起きないホルマジオと、鏡の中にいるイルーゾォ、氷漬けのギアッチョに、蛇にやけに懐かれるメローネ。理解できない出来事に胃がキリキリと痛んだ。

「あ、もしかしてこれ夢かも」

摩訶不思議なことばかり、きっとこれは夢なのだ。みんな出てくるとか私みんなのこと大好きすぎない?職業病かな。はは、ウケる。友達いないしな確かに。なんて自笑気味に思いながら、ここまで来たら全員夢の中で出したい、と決意して立ち上がりキョロキョロと周りを見渡す。メローネの倒れていた近くには池と大きな樹があって、池にはペッシが仰向けで海水浴よろしくばりに浮かんでた。ペッシか、よくプロシュートに叱られて落ち込んでいたのを飲みに誘ったなぁ。甘い酒しか飲まないけど、最後までよく付き合ってくれたしきちんと家まで送ってくれた。私も教育係がプロシュートだったから厳しさはよくわかっているつもりだったし、慰めようとするのにペッシはなんだかんだプロシュートの言いたいことを理解していたいい奴だったのだ。

池の近くの大きな樹の下ではソルべとジェラートが引っ付きながら中身の無い額縁を抱いていた。2人は私の入りたての頃から夜な夜なドライブに連れてってもらってヤバい地域で美人局みたいなことをやってたなぁ。金を脅し取る時の生き生きとしていた2人は楽しそうだったし、美人局で稼いだ金でヴェネチアに行っては3人でカジノで大負けして明け方の街中を酒瓶片手に闊歩したのもよくある日常だった。私の入る隙間もなく、2人が寄り添って寝ているのでジェラートの横に座って肩へと頭を預ける。視界には池に浮かぶペッシ。どうも不気味な雰囲気なのに、みんなが出てくるものだから面白くなってきてしまった。

ああ、あとはリゾットとプロシュートか。
私が最も信頼しているリーダーのリゾットと、入った時に教育係として付いてくれた先輩であるプロシュートが出てこないのは些か笑えてしまう。とぼとぼと行くあてもなく歩来続けると気づいたら海辺に来ていた。
なんで海?私は海のない内陸育ちなのに。
首を傾げたところで不釣り合いな電車の音が聞こえ振り返る。浜辺から少し離れたところに電車が止まっていて、そのアンバランスさに笑いがこみ上げた。計画性の無い夢だ、海のすぐ近くに電車が来るなんて、線路もないし。止まっている電車は「フィレンツェ行き(急行)」と書いてあり、変なところだけリアリティを作るんだからと、面白くなりながら車内に乗り込んだ。

乗客のいない静かな車内を歩いていくと、ある車両の後部座席側、ちょうど車輪の上あたりだろうか、そんな座席にプロシュートは座っていて目を瞑っていた。憎たらしいほどの長い足は綺麗に組まれていて、優雅に座っている姿はなんとも絵になって少しだけ腹が立った。寝ているくせに絵になるなんて、きっとこの人だけなんだろうな。私が知る限りでは。
「プロシュート」
ボックス席だったので向かいの席に座り声をかけるけど反応はもちろん無い。彼は長い金糸のようなまつ毛を伏せ、眠っているようだ。(彼が眠っているのを私は見たことがないからきっとコレは私の想像なんだろうけど)

「寝ていたらなぁ…綺麗な人なのに」
よくちんちくりんだとバカにされた。未だに私はそれを根に持っている。でも初めて一人で仕事をこなした時に、頭をぐしゃぐしゃに撫でられて「よくやった」と褒められたのもずっと忘れないくらい嬉しい出来事で忘れないと思う。彼の心底嬉しそうに歯を見せてニカッと笑いながら頭を撫でる仕草に、私は危うく恋に落ちるかとも思ったのだから。きっとそんあことは彼は知らないのだろうけど。プロシュートの顔を眺めながらふふ、と笑った。

起きないプロシュートに別れを告げて電車を降りる。なんでみんな寝てるんだろう?目の前に広がる海と、浜辺を見ながらなかなか目覚めない感覚と、不思議な雰囲気に少しだけ恐怖を覚えた。
「ここにいてもつまらないし、もう少し探索してみよう」
とりあえず浜辺に行ってみよう。石畳の階段を降りて白い砂浜に足をつければ、砂のしゃりしゃりとして感覚が足裏に感じてこれまた妙なリアリティに目を丸めてしまった。海に近づけば波が寄ってきては引いていく。さっきも言ったけど私は内陸育ちなので海には強い憧れがあるし、楽しくなってきてしまった。誰もいないこの夢の中なら死んでしまうかもしれないという恐怖を捨てて海を泳いでいけるかもしれない。『死んでしまう』そんな言葉が妙に引っかかるが気にもせず引いていく波を追いかけるように駆け出した。海に沈んで、落ちていけばこの奇妙な夢から目が醒めるかもしれない。少しだけ不安なこの夢から早く抜け出したいと、膝まで海に浸かったところで腕を引かれて誰かに抱きしめられたのだ。

「!」
「なまえ」
「…っリゾット!」
低い声が耳元で私の名前を呼び、振り返ると抱き寄せた男は唯一会っていなかったリーダーであるリゾットでその顔は強張ったように真剣だった。ぱっと腕を離されて「どうしたの?」と聞くと少し間を置いてから「海に、消えるかと思ったんだ」と言った。

「海に消えるって…人魚じゃあないんだから」
くすくすと笑いが漏れれば目をぱちぱちとさせて微笑んだ彼が今度はゆっくりと私の手を引いて抱き寄せられた。ハグはたまにするけれどこんな恋人や、家族のようにするようなハグはしたことがない。少しだけ寂しさを埋めるような接触に私も答えるように目を瞑って腰に腕を回した。
「夢の中だから許してあげるよ、でもセクハラだよ」
「夢?」
「え?」
「何言ってんだなまえ」
「…え?」
じっと至近距離で見つめる黒い瞳が、息を飲むほど真剣で、私の呼吸が止まる。フラッシュバックのように、ホルマジオと飲みに行ったこともイルーゾォと喧嘩の後にカフェに行ったことも、ギアッチョと名も知らぬ丘に行ったことも、メローネとソファで話をしたことも、
ペッシを慰めるためにご飯を食べたことも、ソルベとジェラートとカジノで遊んだことも、プロシュートに初めて褒めてもらったことも全てが映像のように流れていき。血まみれになっていった。ハッとして顔を上げれば、リゾットが眉間にしわを寄せて「お前もここに来るのが早すぎなんだ」と何故か自然に涙に濡れた私の目元に唇を寄せたのだ。

「死んだんだ、みんな」
「…そうだ」
「終わったの?私たち」
「ああ」
「…そっか」
胸が締め付けられて、ぼろぼろと涙が溢れていく。そうだった、輪切りにされたソルベも窒息死したジェラートも、ほぼ焼かれた同然の遺体だったホルマジオも、遺体すら残らなかったイルーゾォも、欠損したプロシュートも、バラバラになったペッシも、蛇に舌を噛まれ死んだメローネも、首に街灯が突き刺さったギアッチョも私は見てきたのになんで忘れてしまっていたのだろうか。目を瞑りリゾットの胸へ顔を押し付け息を殺して泣いた。

最期に彼の穴ぼっこになった身体に群がるカモメを追い払いながら遺体を回収したのも私だ。そのあとは…そうか私もそのあとすぐにボスに殺されたのだった。息を引き取る時にみんなに会いたいと思ったのがこんな形で叶うとは思わなかった。私の頭を撫でるリゾットの手が止まる。
「なまえはすぐ目が醒めてくれた、きっとみんなもじきに目が醒めるだろう」
「…また賑やかになる?」
「ああ、だからもう少し待とう」
「そうだね」
天国も地獄もあるのかはわからないけど、ここに留まっているということはそういうことなのだろう。リゾットと私に残された選択肢は、みんなが目醒めてまた笑い合えるように待っていることなのだ。
「少し長くかかるかもしれないね」
「それでもいいんだ、みんなでまたサッカーでも見よう」
「ふふ、サッカーやってるのかなぁ」
「なんでもいい、くだらないことで話せばいい」
「そうだね、何ももうしがらみがないんだから」
「ああ」
リゾットの胸に寄り添いながらみんなでサッカーを見たり、酒を組み合した日々を思い出す。小さな安息がこれから永遠とでもいうほどに続くのだ、喜ばざるおえない。それの下準備で待つくらいどうって事ない。私たちはたくさん枷をつけられて生きてきたのだから。
「待っていようね、みんなが集まるまで」
「ああ」
これでよかったのだと、今は思いたい。