アネモネ.03


イギリスから帰国して6年が過ぎた。
ディオは、ジョナサンの愛犬ダニーを殺した後から怖いくらいにジョナサンに優しくなった。皆は何も思わなかったけど、私にはそれが仮初のものにしか見えず、一抹の不安を覚えながらも日本へ帰国したのだった。

その後6年間、私は彼らに手紙を出し続けたけれどディオは3通に1回くらいしか返してはくれず、その反面、ジョナサンは毎度丁寧な文字で返事をくれた。

1888年、私は高等女学校(※現在の中学校と高校に似たもの)を卒業した私は、父に頼み込みイギリスへ再度の留学を頼んだ。父はあっさりと了承し、私はイギリスの地へ再び足を踏み入れることができた。父も薄々イギリスへ私の想い人がいるのを知っていたのだろう、きっとこの留学が終わる頃、私は父の勧めた人間と結婚することになる。


彼らと実際に会うのは6年ぶりで、ジョナサンが手紙に書いていた身長にとてもびっくりしたのを覚えている。195cm、日本では絶対にお目にかかれない身長だ。

40日ほどの航海を終え港へ迎えに来てくれた馴染みの運転手へ挨拶をすれば、ジョジョとディオの通っている学校へこのまま向かうと言ってくれた。ジョースター卿には乗合馬車(オムニバス)で行きますよ、とお伝えしたのにも関わらず「一条のお嬢さんに何かあっても大変だからね」と、
丁寧に迎えを出してくれるのだから彼は人望も厚い貴族なのであろう。

近年はノルマントン事件もあってイギリス人と日本人の間に亀裂もあるが、私はどうもこの国が嫌いになれない。馬車に揺られ流れていく風景を見ながら目を瞑った。

「桜お嬢様」
「…!」
「ジョナサン様、ディオ様の大学に到着いたしましたよ」
「あ、りがとうございます…」
どうやら40日の長旅(といっても高速船)は思っていたよりも疲れたようで馬車の中で寝てしまっていた。起こされてからすぐに馬車のドアを開けば大きな大学が目の前に広がっていた。

「す…ごい…」
「お2人はラグビーの試合が終わったところですので少々待つことになりますが…いかが致しますか?」
「ラグビー!?2人ともそんなに屈強に育ったのね…」
あまりにもびっくりすることが多くて寝起きの呆けた頭には刺激が強すぎる。くらくらする頭を抑えて椅子へ腰をかければ、遠くから賑やかな声が聞こえた。

「桜?」
「…!」
「ジョナサン!ディオ!」
人の集団がこちらに向かってくると思ったら、たくさんの人たちに囲まれた目当ての2人が中心にはいた。久々に会えた嬉しさにはしたないが右手を上げて手を振る。ジョナサンが優しい笑顔で近づいてきたので挨拶としてハグをした。ソレを後ろからじっと見ていたディオの顔は少しだけ怖くて、首を傾げる。

「あ…あぁ、桜、久しぶりだな」
「ええ!ディオにとても会いたかったのよ」
「そんなこというなよ、嬉しいじゃないか」
ワンテンポ遅れてディオは6年前と同じ、本心ではない言葉たちを口にしながら、違和感のある笑顔で私に近寄った。違和感を言葉には出さずにハグをすれば恋しくてたまらなかった男の匂いに胸がぎゅっと握り締められた。

その後ジョースター邸に行く間にジョナサンから「手紙にも書いたけど…父さんの体調があまりよくないんだ」と言われ、鞄から1つの薬を出す。
「父が持たせてくれたの、漢方薬だって。とても心配していたわ」
「ありがとう!風邪を拗らせただけだとは言っていたんだけど…」
「…心配だよなァ…」
眉を八の字に下げ、心配だ、と顔をするディオに目を疑う。彼が?他人を心配だって?衝撃的な言葉にディオを見れば「なんだよ」と言うかのように睨まれた。その場では口を噤み、大人しくジョースター邸に着くのを待った。


ジョースター邸について荷物をおいてからすぐにジョースター卿の部屋へ向かう。ベッドに座るジョースター卿にお辞儀をすれば嬉しそうに微笑んだ。
「遠路遥々ありがとう…大きくなったね桜」
「お久しぶりですジョースター卿…」
「こんな姿で申し訳ない…」
「大丈夫ですよ…お加減はいかがですか?」
「うむ…最近はまた良くなってきてはいるんだがどうもね…」
「そうですか…先ほどジョナサンに父から預かった漢方をお渡ししましたので、是非飲んで下さい」
「ありがとう」
弱々しい表情は今にも死んでしまうのではないかと思うほどで、心中穏やかにはいられなかった。そのまま少しだけお話をして、ディオとジョナサンも入ってきて今日のラグビーの結果を話す。パッとみれば仲睦まじい家族の団欒なのに私の心には違和感が重くのしかかっていたのだ。

部屋に戻る際に再度執事には「何かの病気ではないの?」と聞いたが皆口を揃えて「病名はないのです」とばかり言う。おかしな話だ。こんなにも医療が発達している世の中なのに。


「…何の用なのディオ」
部屋に入り扉を閉め、用意されたベッドに腰掛けるとノックが3回鳴りドアが開いた。許可も取らずに入るなんてディオしかいない。何の用か、と冷たく聞けば少しだけ面を食らった後にディオは口角を上げ笑った。
「久しぶりの再開なのに冷たいことを言うじゃないか桜…」
「ディオの方からは会いに来てくれなかったじゃない…ねえ、私は貴方がしたことを全部覚えているの」
「したこと?ああ、あの頃はまだ若かったからな」
「正直に答えて、ジョースター卿の体調不良、貴方の仕業でしょう」
「…そんなわけないだろう」
その瞬間ゆっくりとドアを閉め、かちゃんと鍵が閉まる音がした。その音に俯いていた顔を上げディオを睨めば、とても愉快そうな顔でベッドに座る私へと近づいてくる。いとも簡単に押し倒され、私に馬乗りになったディオは顔を歪めた。
「貴様は何も出来ない!それにこのディオとの約束を忘れた貴様に価値など無いッ」
「…っ」
なんで、そんな顔するの。
ディオの整った顔は息苦しいように歪んで、私を見下ろしていた。必死にも見えるその顔は6年前と変わっていない小さな子どもに見え、つい手を伸ばして頬に触れた。

「忘れてなんかいないよ」
じんわりと暖かい頬はキメ細やですべすべしていた。白い肌にかかる金獅子のような金髪を耳にかけてあげる。
「ッ…どの口が言ってるんだ」
「貴方がここで止めるなら、私は約束どおり一生貴方と共にいれるようにする」
父は許さないだろうけど、家を捨ててでも貴方と共に入れるようにするつもりだ。
「自分にそんな価値があると思って話してるのか?」
「ディオ」
「うるさいッ!」
一喝され、口を開くのをやめてじっと彼を見つめた。目線を合わせず歯を噛み不機嫌そうにする姿も子どものころと変わりない。この駄々っ子のような顔に女は…いや、私は昔から弱いのだ。頬や耳に触れていた手を首に伸ばし抱きつけば、いとも簡単にディオは私とともにベッドへ倒れこむ。彼を胸に抱いてゆっくりとわがままをいう子どもを慰めるように撫でれば、何も言わずに私に腕を回した。

「…許したんじゃあない」
「うん、わかってる」
「馬鹿な女だ」
「そうだね」
「やめないからな」
「とめてみせるよ」
ぽつぽつと言い合う言葉に耳を傾け目を瞑った。
ディオが起き上がりもう一度私に馬乗りとなり、唇を一度重ねる。ちゅ、と小さい音を鳴らしてベッドから起き上がった後、何も言わずに部屋から出て行った。

その後姿を見つめながら、自分の罪が重くなるのを私は感じまた神へ懺悔した。


その日の夜、ディオはジョースター卿の薬を毒薬に変えたところをジョナサンに見られる。
ジョナサンは毒薬の出所に解毒剤を貰いに行くといいロンドンへ、その間ジョナサンには『ディオが父さんの部屋に入るのを阻止して欲しい』と頼まれた。了承し、もちろんディオを部屋にいれるようなことはしなかったが、ディオ自体がそもそもジョースター卿の部屋には寄り付かず、邸にもあまり居つかなかった。

「こんな日が来るかもしれないと、思っていたんだ」

「ジョースター卿…?」
「ああ、いや独り言だよ…とても綺麗な紫色の花だね」
「紫のアネモネです、花言葉は『信じて待つ』…ジョナサンもディオのことも信じて待ちましょう」
ジョナサンが無事帰ってくることも、こんな馬鹿なことをディオがやめてくれることも、私には信じて待つ他ないのだった。

「そうだね、キミには申し訳ないがこのタイミングで来てくれて本当に良かった」
ジョースター卿の申し訳なさそうに笑って言った言葉に胸が痛む。ディオを完全に止めれない私はいてもいなくても一緒なのではないだろうか。ベッド横の花瓶に花を生けたところで執事が慌てたように部屋に入ってきた。

「ジョースター卿!坊っちゃんが戻られました!」

ジョナサンが帰ってきた。どちらにせよ、もうすぐ結末を迎えることになる。