「名前さん」
「世一? 駄目でしょ、こんなところにいたらさ」
「名前さんがいないなら俺も来ないよ」
 電子タバコをいそいそと片付けては、女は少年に向き直った。鋭い五感と広い視野、空間把握能力の高さから蚊や雨すらも怖がっていた少年の幼少期を思い出し、パチンコ屋なんかに来させてしまったことを後悔した。女は目の前の少年をずっと昔からそれなりに慈しんでいたし、煙草を吸い始めてからは彼と距離を置いたし、リタイアした老人や勉学をサボる大学生に混じって開店からパチ屋に並ぶような女ではあるが、そうやって苦労してきた少年を傷付けないようにする程度の配慮はあるのだ。ちなみに、少年の年齢は十六歳である。
 ただ、少年はとっくに自分の鋭過ぎる感覚と折り合いを付けていて(煙草だけはスポーツマンとして避けたいと思っているが)、好きな女を地獄の底まで追いかけると決めているだけなのだが。
 少年に声をかけられた時点で店員の呼び出しボタンを押しはしたが、まだ来ない。
「絶対一緒に帰るから。世一は出てな」
「……なるべく早くな、じゃないと引き摺ってでも連れてくから」
 店外へと向かった少年と入れ替わるように店員が来た。店員は女の様子を見ては腕でバツ印を作る。女はコクリ、と頷いて「お願いします」と、口に出した。おそらく店員には届いてないのだろうが。

「あと一分遅かったら迎えに行ってた」
「あー……ごめん。意外と時間かかった」
「持つよ」
「ん、ありがと」
 手持ちの袋にはお菓子、お茶、煙草などがはち切れそうなくらい詰められている。少年は女が以前述べていた「パチ屋に生かされてるわ、アハハ」という言葉を思い出していた。予想より素直に渡された袋は、大分軽く感じた。
「世一。今度から絶対に来ちゃ駄目だよ」
「いやだから! 名前さんがいないなら俺も行かないって」
「世一なら通知切ってないし、連絡くれれば外行くのに」
「その度に外で待たされんの、イヤなんだけど」
 だからって世一が店内まで来るのは色々と……と続けようとしたところで、今日少年に会ってからの違和感の正体に気付いた。女は隣を歩く少年にダダ甘な自覚はあって、実際可愛らしいお願いの大半を聞いて、やること成すことを肯定してきた。それでもパチンコ屋まで自分を迎えに来ることは許容出来なかったし、そもそも迎えに来るったってズカズカと筐体と爺さんと婆さんとおじさんの海をかき分けてやって来たかと思えば隣の席のいきなり腰を下ろしたもんだから、それはまあ驚いた。冒頭の会話は二人で椅子に座りながら、互いに顔を寄せ合って繰り広げられていた。
「世一、ワガママになったねえ」
「名前さんのせいだから」
「いや私のせいというよりは……例の“青い監獄”のせいのような……」
「元々ずっと持ってた感情に名前が付いただけだよ」
「……自分自身を脅しの材料にしなければそれでいいんだけど」
「これが名前さんに一番効くし」
 目を細めながら笑う少年の表情は、付き合いの長い女にも見覚えのないものだ。はにかむというよりは、傲慢で、自分のことしか考えていなくて、それでいて目の前の女を一等愛しく思っていると、誰が見ても分かるような。

「あ、家寄るね」
「なんか忘れ物?」
「そんなとこ」
 十五分程歩いて、隣り合う互いの自宅まで帰ってきた。ご飯うちで食べなよ、お邪魔していいの、母さんと父さんもそのつもりだよ、なんてやり取りをしながら。
「先帰ってな。インターホン鳴らすから」
「いいよ、ここで待ってる」
「ん、すぐ取ってくる」
 開かれた玄関ドアから少しだけ見えた家の中は、俺が“青い監獄”に行く前と少しも変わっていなくて、安心。少年の生来の臆病さが顔を出す。殆ど空の靴箱も、少しだけ埃を被ったフェイクグリーンも変わらないまま。同じ町内の賃貸を引き払って、潔家の隣の土地が丁度空いて、そこに家を建ててから早五年弱。当時女は二十歳。少年は十二歳であった。
 女は本当に景品を置いてくるのと、忘れ物を取りに行っただけだったようで、数分もしないうちに戻ってきた。パチンコ屋の景品と入れ替わるようにそれなりに高級そうな紙袋を持っている。
「おまたせ」
「それは?」
「お邪魔するのに手ぶらで行かないよ」
「……前はそんなことしてなかっただろ」
「結構久し振りでしょ、お邪魔するの」
 だから用意してた、と続けられた一連の言葉に、最後に一緒に夕飯を一緒に食べたのはいつだっただろうかと回想する。“青い監獄”に行く直前だったか。既に“青い監獄”に行くことは伝えてあったから、母も父も名前さんもいつも通り。永遠の別れでもなければ、寧ろ日本フットボール連合に名指しで指名されたのだから喜ばしいことなのだから、と。三人とも緊張などとは無縁の人間故に、少年の高揚と緊張が入り混じる今の感情を正しく理解出来るはずもなく。出立の時もただただ体調に気を付けることと、やりたいようにやりなさいとの言葉をかけられたのみであった。
「世一」
「……あ、鍵開けるね」
 声を届かせる為にほんの少しだけ距離を詰める。女の声が予想以上に近かったものだから、分かりやすく体が反応した。感情の変化が分かりにくいこの女の、唯一自分のことを呼ぶ時だけ声音に楽しげな響きが含まれるその事実が、少年を昂らせる。
「……確信犯?」
「それ誤用だけど。まあ、そうかも」
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