愛しき人よ | ナノ

 
その日は、僕の中で忘れられない日になった。

苗字さんの元へと駆けつけた時、彼女は胸から血を流し亡くなっていた。
その時何を思ったかはわからない。

ただ、抑えられない怒りと悲しみに頬を濡らした事は覚えている。



「……雨か」



窓に視線をやれば、夕立に濡れる景色が目に入る。それは僕に彼女を思い出させた。
…もう彼女が居なくなって数ヶ月も経つのに、胸の痛みは一向に良くならない。



「…そうか」



きっと、あの人もそうなのだ。辛くて悲しくて、怒りに苛まれているに違いない。…でも、果たして彼女はそれを望んでいるのか?



「…ねぇ、苗字さん。僕は貴女が好きだった」



しとしとと降り続く雨に、僕はそう言った。
貴女とフェレス卿が、愛し合っていた事は知ってる。
けど、そんな貴女に僕は惹かれていた。…憧れだった。争いを好まず誰にでも手をさしのべる貴女が。



「だからもう…泣かないで」



窓を伝う滴は、まるで彼女の頬を流れる涙のようで。締めつけられる胸に自然と顔を歪めた。



「あの人は…フェレス卿は、きっと大丈夫だから」



もう、泣かなくていいんだよ。

人一倍優しくて綺麗な貴女だから。
自分をどうか、許してあげて。



「…忘れないから」



雨の滴る空に向かって微笑むと、彼女が小さく笑った気がした。



胸の痛みは、いつの間にか消えていた



2012/01/28