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…ついに、やった。
ぐっと拳を握り締める私の顔は今世紀最大とも言える程に緩んでいるだろう。


「ついに…!」


何がついになのかというと、今私がこの手に持っているものがそうなのだ。

――柳蓮二マル秘ノート。

そう綺麗に書かれたノートが今、私の手に握られている。
昨日の放課後、たまたま委員会で居残っていた私が教室へと入ると、柳の机の上にノートが置いてあった事が始まりだ。柳と私は所謂腐れ縁とでもいうのか、中学三年間同じクラスだった。が、はっきり言おう。私はあいつが嫌いだ。毎朝教室で会うたびに「背は伸びたのか?」と鼻で笑い、時には「ああ悪い、小さくて見えなかった」とわざとぶつかって来たりもした。ちなみに私は中学生の平均身長程であり低いと言われる筋合いは一ミクロンたりともないが、如何せん奴は巨人族。身長にものを言わせやたらと言動でばかにされたのだ。そんな嫌がらせ紛いな事を受け早三年目……私は最早世界を手に入れたと言っても過言ではないだろう。


「柳の弱みゲット!」


そう、この柳のデータノートが今、私の手の中にあるのだ。机の上にあるそれを見た瞬間、思考よりも早く手が目にも止まらぬ速さで動いたのは言うまでもない。
奴はテニスや日常あらゆる所でこのノートを綴っている。人の弱みや性格、細かなプロフィールだったり…端から見れば悪質なストーカーだが。
それを今、私が(以下略)
まあもちろんそれを悪用したり掲載しようなどとは思っていない。実際中身は見ていないし、人のプライバシーを侵害するような真似はしたくない(柳は知らないが)。ただ、私はこの三年柳に頭が上がらなかったのだ。言うならば何もかも上がらなかった訳だけれども。はっきり言おう、私はその柳が地に這いつくばり私を見上げ懇願する様が見たい、のだ。我ながらどこぞのSMだとは思うが、一度でいいから柳を見下げてやりたい。願う事ならあほうと罵ってやろうじゃないか。…と、いう訳で私は頬のにやつきを抑えながら放課後の教室で呼び出した柳を待っていた。


「名前?」


…キター!
がらりと扉を開けて教室へと入って来た柳に私のテンションは最大値。そんな私に柳は首を傾げてつかつかと近くまで寄ってきた。


「用とは何だ?」
「ふふふ…」
「…ふむ、朝から可笑しいとは思っていたが、牛乳の所為で頭までカルシウムに犯されたのか?」
「はあああ?意味わかんない事言わないでよ!第一私牛乳嫌いだし!」
「知っているさ」


ふ、と鼻で笑った柳にイッラァと堪忍袋の緒が切れてしまった私は前置きもなく手に持っていた柳のノートを突き出した。


「…!それは、」
「頭のイイ柳くんならこの意味、わかるよね?」


フフン!とドヤ顔で言ってやると、柳はわかりやすく表情を歪めた。うわあ楽しいどうしよう。


「…何が言いたい」
「私は別にこれを悪用したい訳じゃないんだよ?ただ、柳が返して欲しいんなら返してあげようかなーって」
「なら返せ」
「…え?今なんか言った?これ拾ってあげたの私なんだけどなあ〜…」
「……っ」


ちらり、と柳を見上げてやると悔しそうに唇を噛み締めて細い目で私を睨み付けている。


「…わかった」


え?と柳の言葉に聞き返すと、柳はいつの間にか片膝を床に付いていた。流石の私でもそれは焦る。確かにさっきまで跪けとか言ってたけど、プライドの高そうな柳がまさか私の前で片膝付くなんて…


「ちょ、柳、そんな事までしなくても」
「…っ、」
「え?」


「…く、くく、」


は、と身体の動きが止まった。目の前で俯きがちになっていた柳が、肩を震わせながら笑っていたのだ。え、え、と混乱する私に柳はスッと綺麗な動作で立ち上がると、私の腕を掴んで素早く床に押し倒した。


「…った、」


背中を床にぶつけたのかじんじんと痛む背中に薄らと目を開けると、面白そうに口元を歪めた柳がひらひらとノートを手に持って笑っているのが視界に入った。…ノート取られた。


「なかなかだっただろう?名前」
「は、」
「俺の演技は」
「……」
「まんまと騙されてくれて気持ちが良かった」


ひくり、口元が引き攣った気がした。そして途端に羞恥心に似たものが込み上げてくる。「顔、真っ赤だな」なんて笑い声が聞こえて更に恥ずかしくなった。


「…このノートは、お前に拾って貰う為に置いたんだ」
「……え?」
「俺がデータ収集をしている事を知っているなら、中身は見ない筈だと思ってな。そうだろう?」


その問いにこくん、と頷くと柳は笑ってノートの中身をパラパラと捲り始めた。……が。


「…うそ、」


そこには文字ひとつ書かれていなかった。私の言葉に柳はくく、と喉で笑うとそのノートを後ろへぽいっと投げ捨ててしまった。ぱさりとどこかで音が聞こえる。


「お前ならあれを利用して何かしらしてくると踏んでいた。それが放課後である事も、な」
「…なんで、」
「何故、か。…わからないか?」


俺がこんな遠回しで面倒な、誰の得にもならない事をした理由が。
柳の手がするりと私の頬へ伸ばされる。まるで壊れ物を扱うような、手つきで。


「…名前」
「……っ、」


耳元で名前を呼ばれてどき、と胸が跳ねる。至近距離に柳の綺麗な顔があって、息ができない。あれ、私なんでこんなにどきどきしてるの?相手は柳なのに、なんで。


「…好きだ」


薄い唇から紡がれた言葉が、頭の中で何度も反響した。
どくん、どくん。柳を待っていた時間に立てていた鼓動とは違う速さで心臓が動いている。まさか、いや、そんなわけ…ぐるぐる回る言葉たちに私は視線を泳がせながらこう言った。


「とりあえず、退いて」


今更な言葉に吹き出した柳が少しだけ可愛いとか思ってしまった私は、多分おかしくなってしまったんだと思う。

ちなみに後日、「ノートを拾ってから俺の事しか考えられなかっただろう?」とドヤ顔で言い放った柳に私が一週間口を利かなかったのは言うまでもない。…だって実際、そうだったのだから。
結局私はいつまで経っても柳には勝てないのだと、私より数倍大きな手を握り返しながらそれこそ今更ながらに思った。



※ポーカーフェイスから
2013/02/23 加筆