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壊れてしまえばいいのに。

確かに今、私はそう思ったのだ。遠目に見えた彼とあの子の姿に、胸の中に渦巻いていた黒い塊がぱちんと音を立てる。
放課後の教室で、窓枠に身を乗り出す私の視線の先には失恋相手の男と、彼女の姿。ひどく優しげな表情で笑う彼の姿を私は見たことがない。一番近くに、一番長くいた筈なのに。結局幼なじみというやつは、家族にしか見られないのだ。私は一度だって家族として見たことはなかったのに。何年も前からずっとずっとあいつだけを見てきたのに、今隣にいるのは私じゃない。幼なじみという関係を壊してしまうのがいやで伝えられなかった私は臆病者だ。震えそうな肩を抱いて少し深呼吸する。ひゅ、と喉を掠めた風が妙に染みてなんだか泣きそうになった。


「…ばー、か」


それはお似合いだなあなんて思った自分と、あいつに向かって吐いた言葉。ぱちん、ぱちん。水面下に沈んだ塊が散っていく。潤んで歪む視界に呆れたように笑ってこつん、と頭をついた。先にいる筈のあいつはもう、こめつぶみたいに小さくなっていた。まるで今の私たちの距離みたいだなあなんて自分で思って、自分で傷つく。私、何がしたいんだろ。あんなに幸せそうな二人に一人で嫉妬して、ばかみたいだ。


「ばか、みたい」

「…誰が?」


やんわりとした優しい声が聞こえて、ぴくりと肩が跳ねる。振り返ることもせずにいると、小さく溜め息が聞こえて隣に同じように身体を乗り出す雪男が視界に映った。


「……笑いにきたの」
「どうしてそう思うの?」
「だって雪男は、気づいてたんでしょ?」


鈍感なあいつは、きっと気づいていないから。私が家族以上の想いを抱いているなんて。良かったねって、ひきつった笑みを浮かべてた私を、燐は絶対知らない。


「………」
「…私ね、壊れちゃえばいいのにって思ったの。…だってそうでしょ?ずっとずっと見てきたのは私で、絶対あの子より、好きな自信、あるのに、」


私を見て欲しいって、自分の気持ちを伝える勇気すらなかったのに、想いだけは大きくて。本当は、嫌いになれる筈もないのに。あんなにかわいくて心がきれいな子を、嫌いになれる訳ない。壊れちゃえばいいのにって思った時、瞬間に後悔した。私は燐の幸せを願わなきゃいけないのに、壊れることを望んでしまったから。


「わた、し…わたし、」
「…名前、もういいよ」


はらはら、重力に従って落ちてくる滴をゆっくりと拭ってくれた雪男は、とても寂しそうに笑っていた。


「兄さんが羨ましいよ。…本当に」
「ゆき…?」
「僕も、そんな風に思われたかったな」


そう言ってふわりと私を抱き寄せた雪男は一言だけ、泣いていいよ、と呟いてさらさらと私の頭を優しく撫でた。その優しい手つきに、私は身体を震わせて彼に縋り付いた。情けない泣き声が教室に響いて鼓膜を犯していく中、背中に回された腕がとても痛く、死にそうな程切なかった。





壊れてしまえばいいと思った。彼女が兄を想う気持ちなど、粉々に消えてなくなってしまえばいいのにと。無理をして笑う姿に胸が痛み、目を赤く腫らす姿を見る度にどうしようもない気持ちに苛まれた。
家族として見たことなんか一度だってない。いつだって彼女は一人の女の子だった。彼女が兄を一途に見てきたように、僕もひたすら彼女を追ってきた。だから、兄が妬ましくて、同時に羨ましかった。


「(…好きだよ、名前)」


決して口には出せない言葉を何度こうやって胸に呟いてきたのかわからない。言い出せないのは怖いからだ。臆病者の意気地無し、こうやって心配する振りをして近づかなければ触れられない、なんて。


「(…苦しい、)」


まるで底の見えない海の中へ投げ出されたみたいに息が詰まる。
誰か、助けて。そう叫んでも口から溢れていくのは粗い水泡だけ。

ぶくぶく、ぶくぶく。深い水底に落ちていく。苦しくて、辛くて、必死にもがいても水面上には上がれない。

僕はただ、落ちていくだけだ。




2013/02/10
不完全燃焼…