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わたしの前に居る真田くんは、蓮二くんに気づいていない。
「みょうじ?」と真田くんがわたしの名前を呼んだ。蓮二くんは跳ねるように肩を揺らして、踵を返して歩いていく。
『…て。待って…蓮二くん!』
掴まれていた腕を振り切って、わたしは教室を飛び出した。後ろから「蓮二!?」と真田くんの驚く声が聞こえたけど、振り返ってる暇はない。
わたしの歩幅の比じゃない大きな歩幅が、まるで心の距離を表してるみたいで、怖かった。
『待って…っ、蓮二くん!』
声を上げると、漸く蓮二くんは足を止めてくれた。走っていたわたしは、はあはあと息を整える。蓮二くんは振り返らない。
「…何故、俺を追い掛けてくるんだ?」
『な、ぜって…』
「追い掛ける相手が間違っているだろう」
いつもより低い声が、冷たく感じる。蓮二くん、と名前を呼ぶわたしに彼はすまないと口にした。
「本当は今日、話そうとした事があったんだ」
『……うん、』
「だが、その必要は無くなった」
『え…?』
「お前は、弦一郎が好きなのだろう?」
『……!』
どうして、蓮二くんが知ってるの。息を呑むわたしに蓮二くんは言葉を繋ぐ。
「知っていた。お前が一年の頃から弦一郎を想っていた事は。…あの時も、本当は弦一郎に告白するつもりだったのだろう?」
『…それ、は』
「…間違いでも、良かった」
『蓮二、くん?』
「たとえ俺の独り善がりであっても、俺はお前が好きだったからだ」
『……っ!』
蓮二くんはまだ、わたしを見ない。嬉しさと苦しさと、切なさが入り雑じったこの感情が、わからない。
「…すまない」
『なん、で、謝るの』
「…お前を沢山、傷付けてしまった」
そんな事ないのに。わたしが、蓮二くんをいっぱい傷付けた筈なのに。
「もう、終わりにしよう」
ゆっくりと振り返った蓮二くんは、笑っていた。とても悲しそうに、辛そうに。そんな顔を、わたしがさせている。
「これは、本当に渡したい奴に渡してやれ」
見慣れた封筒が、蓮二くんから手渡される。あの時、彼に渡す為だけに書いた、ラブレター。
「安心しろ、中身はそのままだ。開けてしまってすまない」
『……っ、』
「…弦一郎は良い奴だ。少しばかり堅いが、お前を幸せにしてくれる」
『……れん、』
「…さよならだ」
風に乗せられて届いた言葉は、すんなりと心に響いていく。背中を向けて去っていく彼に手を伸ばしても、その手が彼を掴む事はなかった。
糸が切れたようにへたりと廊下に膝を付くわたしの後ろで、真田くんが名前を呼んでいる。
蓮二くんの背中が目の前から消えしまっても、わたしは目を離す事が出来なかった。ツゥ…と頬を流れる涙が、皺だらけな手紙を濡らしていく。
「みょうじ…」
『…っ、ふ、ぅ…』
ポタポタと廊下に水溜まりを作るこの涙は、止まる事を知らない。
徐に頭を引かれて、暖かい何かに触れた時、ぎこちなく頭を優しく撫でられた時、思い出すのは目の前の彼ではなく、わたしにさよならを言った彼だった。
『ごめ、なさ…ごめん、なさい…っ』
わたしは今、誰に、何に謝っているの。
謝罪しか出てこない自分が、腹立たしくて仕方がなかった。