▼ Scabiosa / スカビオサ : 私は全てを失った 1/3
どうやってこの万事屋へ帰ってきたのかも、もはや彼女と何があったのかも、曖昧な記憶となっていた。散々戦場を潜り抜けてきた俺が、女一人相手にこんなにも無残に粉々にされるなんて、誰が想像できただろうか。
寝ているであろう神楽を起こさないように、静かに玄関の戸を引き、靴を脱ぎ捨てた。台所に向かいコップに入れた水を一気に飲み干して、静かに溜め息をついた。
「…何やってんだ、俺ァ…」
「…銀ちゃん?」
聞こえるはずのない声に、俺は暗闇の中大袈裟に肩を揺らした。振り返った先には、ボサボサの寝癖頭に眠たそうな瞼をこする神楽の姿があった。
「んだよ、驚かすなよ。まだ朝じゃねーから、寝てていーぞ」
「…わかってるアル。明日はパーティするから、銀ちゃんも早く寝るヨロシ」
「…パーティ?」
何のことだ?誰も誕生日なんかじゃねェはずだが。訝しげな顔で神楽の顔を見つめると、神楽はにっと歯を見せて笑った。
「新八が言ってたネ。銀ちゃん、そろそろなまえに告白するつもりだって。昨日の夜家出る時様子おかしかったから、多分告白するつもりなんだって、言ってたアルよ」
寝起き故に掠れた声で笑ってみせる神楽の言葉に、俺は何も反応してやることができなかった。表情一つ変えることもせずに、神楽の顔を見つめることしかできなかった。きっと新八と神楽は俺の知らないところで、俺の恋路を応援してくれていたんだと。それなのに、俺は彼女に想いを伝えるどころか、嫉妬に狂い、彼女に乱暴してしまったなんて。…言えるわけがなかった。
「…失恋パーティ、だな」
「え?」
小さく呟いた俺に、神楽は首を傾げて聞き返した。何も答えずに、神楽の頭をポンと撫でて、自身の寝室へと向かった。寝巻きに着替えて、布団に横たわり、今日の出来事をぼんやりと思い浮かべた。
怯えるような瞳。嫌だと叫ぶ声に、大粒の涙。
全てが目に、耳に焼き付いて、離れてくれない。
何故、あんなことしかできなかったんだろうか。
「好きだ」と伝えることは、こんなにも難しいことだったんだろうか。彼女を無理やり抱いたところで、何の解決にもなるはずないのに。せめて彼女の口から、あのマヨとの関係や俺への気持ちを聞くことができたら、どれだけ俺は救われただろうか。例えばそれが俺と同じ気持ちじゃなかったとしても、まだ前に進む余地はあったはずだ。それなのに。
『万事屋さん』
そう俺に向けるなまえのあの柔らかい笑顔を、俺はこの手で奪ってしまった。あれだけ大切にしてきたはずなのに。
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