▼ Cyclamen / シクラメン : 緻密な判断 1/3
きっともう二度と彼女の笑顔を見ることは叶わない。
誰よりも大切にしたいと思っていた、あのはにかんだ笑顔を。
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「最近の銀さん気持ち悪いですね」
「いつもより顔がダルダルになってるアル」
そんな声が居間から聞こえた気がした。腹痛でトイレに篭る俺に対してとは思えないほど、随分辛辣な発言だと思う。
「オイ、お前ェら、聞こえてっかんね?悪口は本人がいないとこでするもんだかんね」
「だってここ数日の銀さん、ちょっと変ですよ」
「何かいいことあったアルか?」
「ねェよ」
「逆にその即答が怪しいんですけど…」
はぁっ、と大袈裟にため息をついて、社長椅子に座り込む俺をジト目で見つめる新八と神楽。
…ガキっつーのは、変に勘が鋭いっつーかなんつーか。
「なまえとなんかあったアルか?」
「ちょっと待って神楽ちゃん、なんでお前がそれ知ってんの?オイ、新八テメェ」
「僕は何も言ってないですよ!神楽ちゃんも薄々気付いてただけですって!」
「銀ちゃんはすぐ顔に出るからわかるアルよ」
「…別に、なんかあったわけじゃねーよ。ただ、まぁ、その」
ガキ共に詰め寄られながら、若干の居心地の悪さを感じた俺は、徐に後頭部を掻き毟る。その視線から逃げるように立ち上がった。
「…ちょっとジャンプ買ってくらァ」
「ちょ、待っ…銀さん!?」
「銀ちゃんん!?!」
…悪ぃな、神楽に新八。上手くいったら話してやるから、それまで待っとけ。そんなことを心で独りごちながら、俺はある場所に向かった。
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「…銀時様は恋をしておられるのですか?」
「こら、たま。よしなよ、いくら相手が銀時だからって野暮なこと聞くもんじゃないよ」
「お気を悪くされたなら、申し訳ありません」
「…いや、いーんだけど」
どーせ今日もババア一人かと思って勢いよくスナックお登勢の戸を開けた先には、ババアとたまの姿があった。開けた戸を閉めることができずに、結局ババアとたまに相談に乗ってもらうことになっちまった。
「なァ、たま。恋って何なんだ」
「私のデータには恋とは異性に特別な感情を抱いて、思い焦がれること、とあります」
「…特別な感情、ねぇ」
「男のくせにいつまでもグズグズ気持ち悪いやつだねぇ全く」
「っせーよ」
はあっとため息をついた俺に、何だと言いたげな表情で見つめるババアに、口を尖らせて愚痴をこぼした。
「普通の恋って、何だろーな」
「…普通?何だいそりゃ」
「普通の恋がしたいんだとよ」
…俺らの関係は、確かに普通の恋とは、違う。それでも、たまの言うような感情を抱いて、彼女に恋焦がれて、それだけじゃ不十分なのだろうか。
「どの恋愛だって、本人たちには普通に見えても、端からすれば異端なことだってあるもんさ」
「…あ?」
「大体その普通っていうのは、何を基準にして普通と呼ぶのか、教えて欲しいもんだよ」
フンと鼻で笑うババアに、恐らく俺はとんでもなく間抜けなツラを晒してしまった。じんわりと言葉の意味を理解した俺は、少しばかり救われた気持ちになった。
「お登勢様の言う通りです。恋というのは、そもそも理屈が通るようなものではありません。時には感情的に、行動してみるのもいいと思います」
続けてたまはそう言葉を繋いだ。たまなりに励ましてくれているのだろうか。俺は何も言えない代わりに、ふっと微笑んでおいた。
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