▼ 子鹿を見守るアイツら 1/3
風を切りながら通い慣れた道を一心不乱に走る私の脳裏には、溢れ出しそうなほどたくさんの思い出が駆け巡っていた。
…ねぇ、銀時。初めて会った日のこと、お前はまだ覚えてるかな。吉原を救った救世主だなんてどんな豪腕な野郎かと思えば、二人の子供を連れただらしのないシルエットの変な男。そんなのが第一印象だった。物珍しい銀色の髪にけだるそうな喋り方、重たい瞼がかかった瞳。ぐるぐるの天然パーマが可笑しくて。その時はまさかお前とこんなことになるなんて少しも思ってなかったよ。
何度となく顔を合わせても掴み所のないその性格は、気を使うこともなく最初からありのままの自分をさらけ出せていたように思う。月詠が銀時のことを好きだと気付いた時、私はなぜか胸が痛んだのをよく覚えてる。今思えば私はあの時にはもう既に、銀時のことが好きだったんだろうな。
「……、…っ」
溢れ出る涙が止まらない。何事かと道行く人が振り返っていることに気を止めることなく、町を走り抜けた。未だ頭には鈍痛が残っているし呼吸が苦しい。脇腹も痛いし、今にも吐きそうになる。それでも足を止めることができない。
ねぇ、銀時。私たちを地雷亜から、あの過去から救ってくれてありがとう。もう訪れると思っていなかった幸せをくれてありがとう。色んなところに連れ出してくれて、たくさん知らないものを見せてくれて、たくさん知らない感情を教えてくれた。私はいつしか銀時がいない人生なんて考えられなくなってた。銀時、お前がいなきゃ何も楽しくないんだよ。何も美味しくないんだよ。お前がいなきゃ、私の世界に色がなくなってしまうんだよ。
早くそれを伝えたい。忘れてなんかないよ。私の身体の中はこんなにも銀時で溢れてる。
「…あっ!」
不意に足がもつれて思い切りすっ転んだ私は、地面に擦れた膝の痛みを感じながら、懲りずにまだ涙を流していた。…痛い。血が滲んでるし、足首捻ったし、何かみんなすげー見てるし、恥ずかしい。それでも擦った膝より捻った足より、ずっとずっと痛いところがある。
「……ぎん、とき……っ」
お前がいなきゃ、こんなにも胸が痛いんだよ。
ごめんね。私がもっと強い心を持てていれば、お前を悲しませることなんてなかった。お前を傷つけることなんてなかった。廃倉庫で見た銀時の悲しげな顔。夢の中で見た涙。何度思い出しても胸が締め付けられたように軋み出す。…ごめんね、銀時。
好きだという感情が溢れ出して、うまく息ができない。人を思うということがこんなにも苦しくて、満たされて、幸せなことだなんて知らなかったよ。
必死に涙を拭いながら痛む足を奮い立たせてどうにか立ち上がった。もう少し、あと少しで万事屋に着くというのに、足が痛みに震えて上手く動かない。二、三歩駆け出しても、またすぐに膝から崩れ落ちて立つことすらままならない。最近毎日夢見てたから、寝不足だったしなぁ。今日は朝から色んなことがあって、身体が限界なんだろう。気持ちばかりが先走って、身体がついてこられていないのだ。また自分の情けなさに、涙を流して歯を食いしばった。…あと、少しなのに。
「何してんださっきから。生まれたての子鹿かテメーは」
「なに昼間っからこんな公共の場で痴態晒してんでさァ。公然わいせつ罪でしょっぴきますぜ」
ざり、と音を立てて私の前に立ちはだかる男たちを見て、顔を歪めて涙を流した。
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