▼ しつこいアイツ 1/2
「ったく、たまに仕事してたらこれかよ」
「たまには相手してくれたっていーだろォ?」
団子を片手に自宅の長屋の屋根の上に寝そべる私と全蔵は、大きく開いた天井から覗く空を眺めていた。私と全蔵が付き合っていた頃は、まだここは完全なる閉鎖都市だった。まさか、二人で空を眺めることができるなど、思ってもいなかった。いい意味で、この吉原は変わったのだ。…無論、私たちの関係も変わってしまったのだけど。
「…なァ、」
「無理。より戻すとか一ミクロンもその気ない」
「…まだ何も言ってねェだろ」
ぐわっと起き上がり私の顔を覗き込んだ全蔵の顔をジト目で睨みつける。先ほど月詠が言っていたように、こいつはブスッ娘のキャバ嬢と浮気をしたのだ。この男はどのツラ下げて、より戻したいとかそんなことを言えるのだろう。本人は何度も誤解だと喚いていたが、ホテルから出てきた現場を目撃した月詠と私に、なんの言い訳も立たなかったのだから。
「お前の顔だけは、この手で崩したくなっちまうんだ、こんな気持ち初めてなんだよ」
「知るか、ボケ!せっかく整ったキレーな顔を崩すんじゃねェ」
むにぃと両手で私の頬を引っ張ったり潰したりする全蔵に、私はもはや殴りつける気も起きなかった。こいつは昔から私の顔を見れば、同じことを繰り返した。…褒め言葉としてとっていいのだろうが、何故かいい気がしない。
「お前さんだって、俺のことまだ好きなんじゃねェの。俺と別れてから、浮いた話一つ聞かねェ」
「ってお前に言われたくねーよ!どう考えたってお前のせーだろ!」
「…なァ、なまえ、もう一回だけでいいからよ。俺にチャンスをくれねーか」
顔の大部分を覆う前髪から、チラリと青い瞳がこちらを覗く。私は昔からその瞳に捉えられると、何も言えなくなってしまう。当時は惚れた弱みかと思っていたが、今となってはそうじゃない。蛇に睨まれた蛙のように、ピクリとも動けなくなってしまう。…そう、まるで獣のような瞳。
「…なまえ」
全蔵は小さく私の名を呼ぶと、そのまま顔を近づけてきた。何かもう、流されてもいいかも。なんて思ってしまった。目を瞑り、全蔵の唇を受け入ろうとした瞬間、私の瞼に何故か浮かんだ一人の男。
『お前もな、なまえ』
…フワフワとした銀色の髪の毛に、眉を上げて笑いかける、男の顔が。
「何でだァァァァァ!!!!」
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