Ichika -carré- | ナノ


▼ 困ったときのアイツ 1/2



汚いものを見るかのようなその瞳に、息が止まりそうになるのを堪え、私は必死にその着流しに手を伸ばした。届くことなく振り払われたその手は、行き先をなくして宙を切った。


「もう俺はお前に用はねーの」

「待って、銀時!」

「散々振り回しといて、挙げ句の果てには浮気かよ。これだから吉原の女は信用できねェ」

「ごめん、銀時、ごめんなさい…」

「もうお前の顔なんか、見たくねーんだよ。二度と地上に足を踏み入れんな」

「…ごめんなさい、…許して」


私を見下ろすその瞳には優しさや冗談なんて少しも映してはいない。蔑んだ瞳。怒気をまとったその瞳は、もう二度と、私を映すことはない。必死に手を伸ばしても、もう届かない。届かないほどに遠く消えていくその背中を見ているだけで、私はその場から動くことができない。ただ、その名を呼ぶことしか。


「ーーー銀時!!!」


ばちっと瞳が開いた瞬間、目の前に広がっているのは、我が家の天井だった。額が汗でびっしょりと濡れている。肩で大きく呼吸をしながら、状況を理解するのに時間がかかった。…夢か。そんなことを心で独りごちる。あれから布団も敷かずに、畳の上で眠ってしまっていたようだった。窓からは気持ちの良い日差しが差し込んでいる。ようやく呼吸が落ち着いてきたところで、むくりと上体を起こした。それにしても、随分とリアルな夢だった。いや、本当に夢だったのか。あれから銀時がうちにやってきて、そんな会話をしたのだろうか。


「…んなワケねーか」


携帯を開くと時計は正午を指している。随分と眠ってしまっていたようだ。いくら非番とはいえ、これでは体が鈍ってしまう。立ち上がって冷蔵庫に入ったミネラルウォーターを手に取り、勢いよくそれを飲み干した。あー、何だか頭がいたい。

ふと、昨日の目まぐるしい出来事を一つ一つ思い出していた。銀時と別れたこと。全蔵に抱かれようとしたこと。それを拒絶され、諭され、後押しをされ、吉原に戻ったこと。百華の奴らに頭を下げたこと。月詠と互いの気持ちを打ち明け合ったこと。銀時がこの長屋で私の帰りを待っていた形跡があったこと。言葉にしても随分とたくさんの出来事があった。それでいて、私の出来の悪い頭がついて来られるはずがない。


「…あー、頭いたっ」


寝すぎたのはもちろんだが、昨日は1日を通して涙を流しっぱなしだった気がする。鏡に顔を向けると酷く瞼が重たい。心なしか肌もボロボロだし、私自身も少し痩せたような気がする。地上にいたときは食欲がなく、全蔵が作ってくれた料理もほとんど手をつけていなかった。そりゃあ頭も痛くなるワケだし、何も考えられないワケだ。とにもかくにも、何か食べよう。考えるのも動くのも、それからでも遅くはない。もう一度冷蔵庫を開け、山積みになった団子に手を伸ばした。

団子を食べたことにより、先ほどよりはいくらか頭が回るようになってきた。まずは家のことをやろうと、普段使っている部屋はもちろん、物置と化した他の部屋や、台所、厠、風呂場。普段目につかないところまで、これでもかというほど綺麗にしてみた。一通り終わった頃にはもう15時を回っていた。風呂に入り、丁寧に髪を梳かしながら、鏡に映るボロボロの自分の顔を見つめた。ホント、なんつー顔してんだ。くっきりとついた目の下のクマに、風呂に入ったばかりだというのに、ほとんど水分を含んでいない頬。唇の色も随分とくすんでいる。


「……はぁ」


ふと頭に浮かんだのは、いつも花を纏っているような雰囲気の可憐な女。中身はさて置き、外見だけで言えば、私は今まで目にした人間の中で、一番に綺麗な顔をしている。頭に浮かんでからというもの、何となく会いたくなってしまった。帰ってきてから声もかけていない。仕方ない、会いに行ってみるか。そうと決めた私は、髪を結い、着物に着替え直すと慌ただしく部屋を飛び出した。




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