▼ 何も聞かないアイツ 1/2 ☆
どれくらいそうしていただろうか。
辺りはすっかり夕焼け色に染まっていた。一頻り泣き終えた私は、ぼんやりとへたり込んだまま動くことができずにいた。終わってしまった。本当に、終わらせてしまった。どんどん冷静さを取り戻し、頭の中がクリアになっていく。居た堪れずに携帯を握りしめて、私は邸内へと飛び込んだ。台所に立つ全蔵を尻目に、戸棚から日本酒の瓶を取り出して、グラスに注いだ。
「まだメシできてねーぞ」
私に背を向けたままそう呟く全蔵に何も返すこともなく、私はなみなみ日本酒を注いだそれを一気に飲み干した。同じようにもう一度グラスに酒を注いだところで、全蔵が横からそのグラスをひったくった。重たい瞼で全蔵を睨み付けると、呆れたようにため息をついて、私を見下ろした。
「お前なァ、人んちの酒をヤケ酒に使うなよ」
すぐにその口角は優しく上がって、私の頭をポンポンと叩いた。先ほどの銀時とのやりとりを聞いていたのかどうかなんて、もう確認する必要なんてなかった。ボロボロになった私の顔を見れば、何があったかなんて一目瞭然だ。料理の手を止めて、私を抱き寄せる全蔵の匂いに、私は胸が苦しくなった。また懲りずに目尻に滲む涙を必死で堪え、私はその腕の中から、伸ばした手を全蔵の頬に添える。全蔵は少し驚いたように私の顔を見下ろした。
「…なまえ」
「もう何も、考えたくない…」
全蔵の瞳を覗き込み小さく呟いた私の唇は、次の瞬間全蔵の唇によって塞がれていた。突然のことによろめいた身体が台所にあった食材にあたり、卵が床に割れ落ちた。そんなこと気にする様子もなく、全蔵は私の後頭部を押さえつけて、私の唇を啄ばむ。ヒゲが当たってくすぐったいのも、甘く私の舌を噛むのも、唇を離した時に私の下唇を薄く舐めるのも、あの頃と何も変わっていない。私の膝裏に腕を通しお姫様抱っこをするような形で私を担ぎ上げた全蔵は、随分と冷静そうな表情を浮かべている。その顔が何だか気に入らなくて、首に手を回しその首元に顔を埋めた。
担がれたまま寝室へと連れていかれ、そのまま何も敷かれていない畳の上に私を降ろすと全蔵は私の上に覆い被さった。帯を解いて襟元を開き、そのまま私の胸元へ顔を埋めた。何を言う必要もない。私が背中を見せたがらないのも、着流しを脱ぎたがらないのも、全蔵は知っている。何度この男に抱かれてきたか。幾度の夜を過ごしてきたか。何も言わなくっても、互いのことはよく知っているのだ。
「…ん」
下着をずらして膨らみに舌を這わす全蔵に、私は素直に声を出した。私が何をして悦ぶか、どこが弱いかを全て知り尽くした全蔵に、私の身体が勝てるわけもない。吸い付くように私の膨らみを揉みしだきながら、ツンと勃った頂きを口に含まれれば、私の身体は大きくしなる。
「ん、あぁ…あっ!」
「…久々に聞いてもいい声だな、お前さんの鳴き声は」
何も考えたくない。何も思い出したくない。そんな気持ちで全蔵の施す愛撫を受け入れた。どこを触られても、身体は震え声を抑えることができない。下腹部に伸びた指が私の弱いところを責めに責めて、私は何度も意識を手放しそうになる。…それでも、なぜか手放すことができない。快感に身を委ねることができない。ふわふわとした銀色の癖っ毛が、脳裏に浮かんで、消えてくれない。私の全てを知っている全蔵の指に、唇に、舌に、勝てるわけがないのに。私の身体が求めているのは違う。意地悪く笑いながら施される銀時の愛撫じゃなければ、私の身体は満足してくれない。もう、叶うわけもないのに。
「…っ、……?」
不意に全蔵は触れていた指を離して、静かに私を見下ろした。浅く呼吸をしながら、私は全蔵を見上げて小さく首を傾げた。
「……できるワケ、ねェだろ」
「……えっ?」
あまりにも小さい全蔵の言葉に、私は思わず聞き返した。私を見下ろす瞳が、あまりにも切なげで苦しそうで、何事かとその瞳を見つめ返す。全蔵はぐっと下唇を噛んだかと思えば、私の頬にそっと親指を這わせ、何かを拭うような素振りをした。私はその行動の意味がわからずに、全蔵、と声を出そうとしたものの、喉の奥に言葉がつっかえて上手く出せない。
「…他の男のことを想って泣いてるヤツを、抱けるワケねェだろう…」
覆い被さるようにして、私を抱きしめながら、絞り出したような全蔵の言葉に、私はようやく自身の瞳から涙が溢れ出ていることに気付いた。認識してからというもの、ボロボロと壊れたように溢れ出す涙に、私はようやく自分の行動が、愚かで最低なことだと実感した。私は全蔵を、利用したんだ。自分の気持ちを殺すために、全蔵の気持ちも考えずに、私は全蔵の優しさにすがって、こんなことをさせてしまった。全蔵への気持ちがないなんてこと、きっと全蔵はわかっている。全てをわかった上で、私の傍にいてくれた。
「…ごめ、…全蔵、ごめんなさ…」
私はうわぁ、と声を上げて全蔵の首に手を回し、胸に顔を押し付けて涙を流した。そんな私に全蔵は「…バカ野郎」と呆れたように呟いた。私は、最低だ。少しも銀時への気持ちを消し去るつもりがないのに、こんなにも銀時のことを想っているのに、何も聞かない何も言わない全蔵に甘えてしまっていた。それがどれだけ全蔵を苦しめているか、傷つけているかなんて少しも考えていなかった。全蔵は私のことをよくわかっている。だけど、私は全蔵のことを、何もわかっていなかった。…私は、大バカ者だ。
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