Ichika -carré- | ナノ


▼ 寄り添うアイツ 1/2



どれくらいの時間、そうしていたのかもう覚えていない。まだ一日二日ほどしか経っていないような気もするし、二週間も三週間も経っているような気もする。…要するにこの服部家のだだっ広い屋敷に来てから、何度かの晩が過ぎた。

あれから私は自身の長屋に携帯電話と「頭を冷やしたら戻ります。捜さないで下さい」という端的な置手紙を残し、吉原から逃げるようにして、地上へ上がりこの屋敷に身を置いている。全蔵には全ての出来事を話した。私の気持ちも、月詠への気持ちも、銀時への気持ちも。


「俺はな、お前さんが俺の元に戻ってきただけで十分なんだ。今すぐ気持ちを整理しろなんて言わねェよ。今はここでゆっくり休めばいい」


なんて随分と気の利いたセリフを吐いてくれたもんだから、私はその言葉を素直に受け入れた。噂には聞いていたが、本当にお坊っちゃまなんだと知らしめられるほどの広い屋敷。私は何をするわけでもなく、その屋敷で一日を過ごした。全蔵がいることもあれば、仕事に出かけいないこともある。たまに共に掃除をしたり、ゲームをしたり、そんな何でもない時間を過ごしていた。


「……はぁ」


今頃、月詠たちはどうしているだろう。こんなにも吉原を空けたこともなければ、無断でこのような家出をしたこともない。そしてもれなく浮かぶ、一人の男の顔。心配しているだろうか。何も言わずに出てきてしまった私を。それとも、もう月詠と…。


「ってもう関係ないんだった」


私は吉原を離れると決めた時、心に決めたことがある。…もう銀時の元へは戻らないと。私がいなくなれば、きっと全てが上手くいく。銀時が月詠を選び、私が全蔵を選べば、全てが上手くいくのだ。銀時との恋は悩みが尽きないと思っていたが、それは私が銀時を選んでしまったから。そこから全ての歯車がおかしくなってしまったのだ。あんなにも顔を赤く染めた女らしい月詠を見てしまった以上、もう私は銀時との恋を続けていく自信がなくなってしまった。…ただ、それだけのこと。


「まーた月見酒か」


縁側に腰を下ろして、お猪口を手に夜空を見上げていた私の横に、全蔵は腰を下ろした。普段は忍装束ばかりを身に纏っている全蔵の寝間着姿を見るのはどれくらいぶりだろうか。もうここ数日の間で何度も目にしているのに、今更ふとそんなことを思いながら、お猪口を口に運んだ。


「地上の空は、綺麗だな。おっきくて、広くて、果てしない」

「お前さんにもそんな感性まだ残ってたのか」

「どーいう意味だよ、それ」

「珍しいこと言ってるな、ってことだよ」


全蔵はお盆に乗せられたお猪口を手に取り、私に注ぐよう促す。黙って徳利の酒を注ぎ入れると、くいっと酒を呷った。


「……私は、空なんかじゃない」

「…」

「何も包み込んでなんかいなかった。何も護ってなんかいなかった。…月が照らす光を、太陽が射す光を邪魔する、ただの雨雲だよ」


見上げた夜空には綺麗な三日月が登っている。だけどそこにかかる、灰色の雲。せっかく綺麗に照っていた月を翳らせて、我が物顔で瞬く間に月を覆い尽くした。私は目を伏せて、お猪口をぎゅっと握った。私は月詠の人生の、妨げになっていただけなのかもしれない。地雷亜然り、銀時然り。私の存在は、ただ月詠を苦しめていただけなのかもしれない。銀時だって、私より月詠の方がお似合いだろう。私より可愛らしいし、口だって悪くない。スタイルも月詠の方がいい。あんなに純粋な気持ちを抱いている月詠の方が、きっと。


「さ、湯冷めする前にとっとと部屋戻るぞ」


腰を上げた全蔵は、ふわっと優しく微笑んでから、私の頭に手を乗せた。何も言わないのは、コイツの優しさだということはわかっている。ワガママかもしれないが今はただ、何も考えずにその優しさにもたれていたい。私は小さく頷いて、同じように微笑み返してみせた。




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