Ichika -carré- | ナノ


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「そろそろ来る頃と思っていたぞ、なまえ」


古びた建物の柵に降り立った私はその光景を見るなり、嘘であってほしいと願っていた気持ちが脆くも崩れ去った。ここにいるであろうという、確信があった。ここは私たちが共に過ごしていた古巣。きっと奴ならここを選ぶだろうという予感が的中した。巣に貼り付けられて絶望した表情を浮かべていた月詠は私を捉えると、驚いたような安堵したような表情へと変わった。


「……なまえ、退きなんし!その男は…」

「わかってるよ。…オイ、月詠を離せ。…地雷亜」

「師匠と弟子の感動の再会だというのに、随分と恐ろしい顔をしているな」

「どのツラ下げて、そんなこと言えんだテメーは」


タンと柵を蹴り、地雷亜に一歩一歩近づく私は、ひどく感情的になっていたと思う。死んだと思っていた男が、今私たちの目の前にいる。4年前の大火で死んだはずの、私たちの師匠が。地雷亜は下卑た笑みを浮かべて私を見つめた。


「お前に月詠が護れるか?…否、護れやしない。現に無謀にもお前はこの俺に挑もうとしている」

「黙れ!亡者の分際で、偉そうに!地雷亜、お前なぜ生きている!!」

「…なまえ、俺は後悔しているんだ」


質問に答える気のない地雷亜に、苛立った私は無数のクナイを打ち込んだ。…はずだった。


「なまえ!!!後ろじゃ!!!」


わかっていた。私如きじゃ、この男に叶わないなんてこと。せめて一矢報いることができれば、十分だと思っていたくらいに。それすらも叶わずに、私は瞬く間に地雷亜に背後を取られた挙句、首元にはクナイを当てられていた。目の前の月詠はそんな私を見るなり、絶望の色を深めた。


「…お前を早々に殺しておけばよかったとな」

「…後悔先に立たずって言うだろ?今嘆いたってどーしようもねーよ」

「なまえ、お前には本当に忍びの才能があった。何をやってもそつなくこなし、俺を魅了した」

「…」

「だが、それじゃつまらなかった。俺はこの手で強靭な精神と肉体を持った修羅を作り上げたかったんだ。…そこで俺は月詠を引き入れた。お前を超える修羅を作る為にな」


私はよく覚えていた。月詠が初めて私の前に現れた日のことを。私と年の変わらぬ冷めた目をした少女。聞けば、日輪を護るために自身の顔に傷をつけ、百華にきたのだと。当時の月詠はひどく尖っていて、それでもどこか芯が通っていて。私は彼女を初めて見たときから、立派な女になれるだろうと確信していた。度重なる過酷な修行にも、嫌な顔一つせずに取り組み、誰よりも真剣に忍術を学ぼうとしていた。…それでも。


「それでも、なまえ。お前には敵わなかった。月詠をどれだけ鍛えようと、磨こうと。お前の才能には敵わなかった」


端から見れば、彼女は立派な忍びだったと思う。それでも、確かに月詠は私に敵うことはなかった。忍術はもちろん脚の速さから、剣術。走攻守、全てに至るまで、私は一度も月詠に負けたことはなかった。


「このままでは、折角作り上げた作品が折れてしまうと。そこで俺は考えた。…そして月詠、俺はなまえにある提案を持ちかけたんだ」

「…やめろ、地雷亜。こいつの前でその話をするな」


両腕を糸で縛られた私は、身動きを取ることができずに、精一杯の抵抗をするように声を荒げた。耳元で可笑しそうに笑う声が聞こえて、背後から思い切り顎を掴まれた。月詠に視線を送ると、月詠は眉を吊り上げて、地雷亜を睨みつけていた。


「月詠を護りたいか、と」

「…やめろ」

「月詠を護る為には、お前は女でいなければならないと」

「……オイ」

「その為には忍術を捨て、女を取り戻す必要があると。…すると、どうだ。この女は喜んで俺に抱かれたよ」

「やめろって言ってんだろ!!!」




『…私が、月詠を護る?』

『そうだ。お前が忍術を捨て、女を取り戻せば、月詠はお前よりも強くなろう』

『私が月詠を護れるのであれば、喜んでお手伝いします』

『…いい子だ、なまえ』

『…師匠、』

『お前のお陰で、月は月でいられる』


『例えるなら、お前は空だ』

『…空』

『どんなに雲が覆い、例え雨を降らせようと、例え雷を落とそうと、必ず月をこさえて戻ってくる。お前がなくては、月も太陽も映えるまい』

『…はい、師匠』

『…お前は決して女を捨てるな、なまえ』

『…はい』

『俺がお前を女でいさせてやる。…さぁ、なまえ、服を脱げ』




私はその日を最後に、日々月詠と共に明け暮れた忍術修行を辞めた。そして、この男の言葉を信じ、何度となくこの身を捧げてきた。そして事実、その頃を境に月詠は目まぐるしい成長を遂げたのだ。私は月詠を強くすることに、護ることに成功したのだと安心していた。だけど、それを月詠に知られたくはなかった。余計な荷を背負わせたくなかった。この男の犠牲になるのは、私だけで十分だと。



「…なまえ、すまない」


私は月詠の顔を見ることができずに、強く目を瞑った。月詠には、月詠だけには知られたくなかった。


「…なまえ、…わっちは知っておったんじゃ」


その言葉に私は耳を疑った。思わず目を開くと、月詠は苦しそうに眉を顰めて、大粒の涙を流していた。




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