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「まだ朝まで時間はありんす。ゆっくりしていけばいいだろう」
なまえの部屋を後にしてひのやの前を通りかかれば、煙管を咥えながらこちらに視線を寄越す月詠に俺は足を止めた。
「…俺に言われる筋合いはねェかもしんねーけど」
「…」
「なまえをよろしくな」
自嘲するように笑いながらそう呟いた俺にツカツカと音を立てて目の前までやってきた月詠は、徐にふぅっと煙管の煙を俺の顔に吐きかけた。ダイレクトにそれを受け止めちまった俺は小さく咳払いをした。眉を下げながら俺を見つめる月詠の視線が痛くて、俺は思わず視線を逸らす。
「ぬしはなまえのこととなると随分と脆弱になるんじゃな」
「…」
「じゃが、それはなまえも同じじゃ」
腕を組みながら俺を見上げる月詠が何を言おうとしているのか、痛いほど理解ができて言葉を返すことができない。そんな俺にふぅっとため息を零して少しだけ呆れたように笑った。
「ぬしらは似た者同士じゃ」
「…そうだな」
「大切なものほど、それを壊したくないばかりにそれを手放そうとする。…いつだかなまえも言っていたな」
「…」
「ぬしを失うのが怖いと」
「…」
「ぬしを失うくらいなら最初から手にしないほうがいいと。まだぬしらが付き合う前の話じゃ。…それでもなまえはその気持ちを上回るほど、ぬしに惚れてしまったんじゃな。…全く運の尽きじゃ」
「そーかもな」
「はっきり言うがわっちはぬしがどうしようと知りんせん。ぬしがこの選択をすることも、なまえの元から去ることも、何も言う気はありんせん」
「…」
「じゃが、ぬしのこの答えを選んだことでぬしが一人悲しむことがあるのなら、わっちはぬしの選ぶ答えを肯定することはできぬ」
月詠の言っている意味がよくわからずに、俺は思わず顔を上げた。俺を見上げる月詠は困ったように笑っているのに、その瞳にはじんわりと涙が浮かんでいた。
「ぬしが悲しんでいることを知れば、なまえが悲しむからじゃ」
「…」
「ぬしがなまえを悲しませたくないという気持ちと同じだけ、なまえもぬしの悲しむ顔を見たくはないはずじゃ、銀時」
…わかっている。そんなこと、痛いくらいにわかっているんだ。だけど俺はアイツと出会って共に過ごすようになって、何度アイツを傷つけてきただろうか。アイツの荷を背負うどころかその荷を増やして、足枷になってしまっていた。アイツの魂を護る?心を護る?何一つ、俺はアイツの為に何もしてやれなかった。それは紛れもない事実。俺の前に立ちはだかる月詠を避けて黙って歩き出せば、後ろからまた月詠が俺に声をかけた。
「銀時。わっちはなまえの笑顔が好きじゃ」
「…」
「…なまえの笑顔の先に、いつも何があると思う」
「…さァな」
「なまえが笑顔を向ける先にいるのはいつだって、…銀時、ぬしじゃ」
「…」
「わっちや日輪、服部だけではもう見れぬ。あやつには、…ぬしが必要なんじゃ」
…なまえの手を、離さないでくんなんし。
そう小さく呟いた月詠の言葉に俺は胸が苦しくなって、息ができなくなる。そんなこと言うなよ、決心が鈍るだろ。俺だってアイツの笑顔が好きだ。誰よりも近くで見ていたい。ずっとその笑顔を護りたい。だけど、もう俺にそんな資格はねェんだ。アイツを幸せにするなんて、戯言をいう資格はねェ。
「…もしなまえが記憶を戻したらどうするんじゃ!」
苦し紛れにそう言い放つ月詠に俺はもう一度足を止め、振り返った。
「…それでもアイツはきっと俺を選ばねェよ。…それほど、俺はアイツの心を追い詰めちまったんだ」
「…」
「…今まで、世話んなったな」
うまく笑えているかどうか、自信がない。これ以上ここにいては、どんどん気持ちが揺らいでしまう。アイツに負わせた傷など見ないふりをして、傍にいたいと思ってしまう。それじゃあ何も変わらない。俺たちはまたきっと何度も同じことを繰り返してしまう。アイツはきっとまた俺を悲しませんと強がり続け、俺は自分の弱さに打ちひしがれてきっとまたアイツを傷つけてしまう。
再び歩き出した俺を、もう月詠が呼び止めることはなかった。
俺らのどちらかがもっと上手く生きれていたならば、もっと違う結末が待っていたのかも知れない。こんなに気持ちが大きくなければ傷つけ合いながらも傍にいられたのかもしれない。だけどもう、俺はアイツを傷つけたくはない。アイツを傷つけ泣き顔を見るくらいなら、俺の知らないところで、幸せだと笑っていてほしい。もうそれを見ることが叶わなくとも。
『銀時』
なまえの笑顔がこの世で一番美しいものだと知っているから。
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