Ichika -carré- | ナノ


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『…記憶障害?』

『正確には解離性健忘、または系統性健忘。一部の記憶や特定の人物をすっぽりと忘れてしまう。これからもう一度精密検査をするつもりですが、おそらく間違いないでしょう』

『原因は…原因は何なんじゃ!?』

『過度のストレスが原因かと。その記憶を思い出したくない、忘れてしまいたいと無意識に自身の脳が防御反応を示した結果、記憶の奥底にそのストレスの原因となるものをしまいこんでしまったんです』

『そんな…』

『何か心当たりはありませんか?その彼氏と何かトラブルがあったとか…。恋人の記憶が入れ替わっているようですが、それも不思議なケースです』



月詠が医者に言われた話を掻い摘んで話し出した。清猫組との事件から一週間の記憶がないどころか、なまえの中で、俺との記憶が全てヤローに塗り変わっている。おそらくその原因は先日の魂が入れ替わったことだろうと。その上俺のことはすっぽりと忘れてしまっている。病院に連れてきたキッカケは、なまえの口から「銀時って誰?」という言葉が出たからだと。


「ぬしがなまえにどれだけストレスを与えたのかは知る由もありんせん。じゃが、その結果がこれじゃ。昨夜なまえをぬしがどれだけ傷つけたか、どれだけ…どれだけなまえが悲しい思いをしたか…」


とても自分の身に起きている現実だとは思えなかった。俺も前に事故で記憶喪失になったりもしたが、まさか特定の人物だけを忘れてしまうなんて。その上、なまえの中ではヤローが彼氏っつーことになっているなんて。そんなバカな話があるもんか。俺は呆然としたまま、言葉を発することができない。それはヤローも同じようだった。


「…なまえを、…っ、なまえを大切にできぬのなら、…あやつを壊そうとするのなら、銀時、ぬしとて許しはしない」


涙をこぼしながら俺を睨みつける月詠にすら、何も言葉を返すことができなかった。俺のせいで、なまえが。なまえは俺の言葉や態度にどれだけ傷を負ったのだろうか。俺のことを忘れちまいたくなるほどに、俺はお前を傷つけた。

『抱いてよ、銀時…!!』

涙をこぼしながら俺に訴えるなまえの顔が頭から離れず、胸を締め付けた。なァ、違うんだ。お前のことを嫌いになるはずなんかねェだろ。なまえ、嘘だと言ってくれ。許してもらえるまで、何度だって頭を下げるから。何でもしてやる。また海でも旅行でも、どこでも連れてってやる。欲しいもんだって頑張って働いて買ってやるから。だから……



「お待たせー!」


人の気も知らずにへらりと手を上げながらこちらに戻ってきたなまえに、月詠は涙を拭って微笑みかけた。俺と同様に呆然と立ち尽すヤローの元へ駆け寄って、自然に腕を組むなまえを俺はただ見つめることしかできない。


「何か色々薬もらったんだけど、ねぇ全蔵、何これ?何の薬だと思う?」

「…あ、…そうだな、何だろうな、痛み止めとかじゃねェのか」

「痛み止め?ふーん。…あ、おにーさん、さっきは途中で悪かったな」


ヤローの腕からぱっと離れたなまえは、俺の前に立ち、片眉を上げて笑いかけてきた。他人行儀ななまえの笑顔が、胸に深く突き刺さる。


「私、吉原の自警団の副頭領やってるなまえってゆーの、おにーさんは?月詠の知り合い?」

「……あ、…俺は…」

「あ、いや、こいつは俺の知り合いなんだよ、…坂田銀時っつーんだ、なァ?」

「…あ、あァ」


パクパクと口を動かしながらどもる俺に助け舟を寄越したのはヤローだった。曖昧に頷いて見せれば、ひょいっと手を差し出してきた。


「全蔵が世話になってるみたいで。よろしく」


にこっと笑顔を向けるなまえの手のひらを握り返せば、俺の知っているはずのなまえの体温が、やけに冷たく感じた。もう一度笑ってみせるなまえに何とか作り笑顔を向ければ満足したように、俺の手を離してまたヤロー傍へと戻って行った。手のひらに残るなまえの体温がいつまでも消えてくれなくて、喉の奥が鈍く痛みを訴える。


…なァ、なまえ。

「っていうかさ、全蔵。夏祭り行く約束してたけど、あれどーなったの。浴衣買った?」

…その約束、俺としてたんだよ。散々嫌がるお前に、浴衣着てくれって頼んだのは、俺だよ。

「祭り終わったらさー、前に行った団子や連れてってよ」

…団子やに連れてったのも俺。お前を初めて地上に連れ出したのはそいつじゃねェ。

「何かテンション低くない?仕事忙しいの?」

…そんな顔、そいつに向けるなよ。お前のその笑顔は。狂おしいほど愛しいその笑顔は。

「ははーん、飛んできたものの私が何ともなかったからお騒がせだって怒ってるんでしょ」

…俺だけのモノだったのに。


病院の外に出た俺たちは、やけにテンションの高いなまえに合わせられるはずもなく、曖昧に笑顔を浮かべることしかできなかった。一刻も早くこの場から離れたい。ヤローに笑顔を振りまくなまえを見ていることができない。息が苦しくて、視界が霞む。


「…俺、用あるから。じゃーな」

「何か付き合わせちゃって悪かったね、えーと銀時っつったっけ」

「…いや、俺のことは坂田でいいよ、…副頭」


俺の言葉に月詠とヤローは顔を曇らせた。なまえはそぉ?なんて眉を上げている。今のなまえに銀時、なんて言ってほしくはない。俺のことを忘れちまったなまえに名前を呼ばれる権利など、俺には少しもない。記憶障害が起きるほどに傷つけてしまった。悲しませてしまった。そんな俺が今まで通りなまえに接することなど、許されるわけはない。


「…んじゃ、坂田サン?じゃーね」


なまえの笑顔から逃げるように踵を返して駆け出した俺の名を呼ぶ月詠の声が聞こえた気がした。だけどその足を止めることなどできなかった。例え忘れられようと、俺はアイツとの思い出を忘れることなどできない。

『ねぇ、銀時』
『私、銀時のこと好きなのかもしんない』
『私はお前を失うのが怖い』
『銀時じゃなきゃダメだった』
『…好きだよ、銀時』

何一つ忘れちゃいない。言葉や表情一つ一つこの空っぽの脳みそにはなまえで溢れかえっている。なまえがいたから、毎日楽しかったんだ。なまえの笑顔を見れば心が満たされ、なまえを抱けば気持ちが募り、この空っぽな俺を掬い上げてくれた。男勝りで、口も悪けりゃ気立ても悪ィ。それでも可愛いとこばっかりで、コロコロと変わる表情に、何度癒されてきたかわからねェ。ずっとそんな毎日が過ごせると、思っていた。俺にはなまえという存在が生きてく上でとてつもなく大事な存在になってたんだ。

汗が額から流れ落ちる。頬を通るその雫が、汗なのか、はたまた他の何かなのか、もうわからない。

お前はもう、柔らかく俺に笑いかけてくんねェのか。愛しげに俺の名を呼んでくんねェのか。いじらしく俺に触れてくんねェのか。なまえ、お前はもう、俺のことなんてこれっぽっちも好きじゃねェのか。

不意に二人で作り上げた思い出たちが崩れて行く音が聞こえた。




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