▼ 百華の頭はアイツ 1/3
約一週間ぶりに降り立った吉原は、特段変わった様子はなかった。少しの寂しさこそ感じたが、それ以上に私は誇らしかった。私たちが護っていたこの町。そして私たちが作り上げた百華は、私などがいなくても、ちゃんと機能していることがとても誇らしかった。緩む口元がピタリと止まったのは、私の前に立ちはだかる女たちを捉えたからだった。口々に副頭、と声を上げる団員を遮るように、そこの長が一歩ずつ私の元へと歩み寄る。
「…よくものこのこと戻ってこれたものじゃな」
キツく私を睨み付ける月詠は、心なしか少しだけ痩せたように見える。何も言わない私に苛立ったような表情を浮かべ、すぐに団員に「こやつを捕らえなんし」と指示を出した。
「頭!いくらなんでも…」
「わっちの命が聞けぬのか?こやつは吉原の法を破った罪人じゃ。捕らえなんし!」
眉を吊り上げる月詠の言葉にも、団員たちは誰一人動こうとしない。見兼ねた私は両手を前に差し出して、団員たちを一瞥した。
「お前ら何やってんだ。いくら吉原にはもう檻がないとは言え、百華の副頭とあらば話は別だ。何をモタモタしてんだ。早く捕らえろ、さもなくば私がてめーらを切り捨てるぞ」
キッと睨み付けると、団員たちは顔を合わせ渋々私の腕を縄で縛った。月詠は驚いたように私を見て、すぐに背を向けた。引かれるがまま連れてこられたのは、百華の屯所。広間には百華の団員全てが勢ぞろいしていた。皆の前に立たされた私の横には、短刀を手にした月詠がついた。
「本来なら即座に切り捨てるべき罪人じゃが、こやつは今まで吉原の番人として、献身的に吉原に尽くしてきた。今回は特例として、ぬしらの意見を交えた上で処罰を下すこととする」
チラリと私に視線を送り、すぐに目を逸らした月詠に私は内心とても暖かい気持ちになった。これから死ぬかもしれないのに、バカだと笑われるかもしれないが、私は嬉しかったのだ。私はずっと、月詠は私がいなければダメだと思い込んでいた。一人で生きていけるほど、強い人間じゃないと思い込んでいた。だけど、それは大きな勘違いだったようだ。毅然とした態度の月詠。それでこそ、百華の頭領に相応しい。人の上に立つ人間は、判断を感情で左右されてはいけない。いついかなる時も、一つの芯が通っていなければ、誰もついてきやしないのだから。
「なまえ、最期に何か言い残すことはあるか」
月詠の言葉に、私は視線を団員たちへと向けた。固唾を呑むように真剣な顔で私を見据えるみんなに、私も負けじと真剣な表情を浮かべた。そして、すぐに腰を下ろし、床に頭をつけた。私の行動に団員たちからはどよめきの声が上がった。
「みんな、勝手なことをして本当にすまなかった。託けもなしにこの吉原を空けるなど許されることじゃないとわかってる。だから、私だからと気負う必要はない。厳重な処罰を下してくれて構わない」
「…副頭…」
「私は今日吉原に戻って、本当に安心した。私なんかがいなくとも、ちゃんと吉原の平和は護られていたことに、安心した。この町はこの百華は、月詠やお前らがいれば大丈夫だ。安心して任せられる。このまま死に行こうと何も悔いはない。…だから、…だから」
私の言葉を待たずして、からん、と頭上から聞こえた音に私より先に月詠が驚いたような声を上げた。その音を皮切りにして、次々に何かを落とすような音が聞こえて、私は思わず顔を上げると、目に入った光景に思わず目を見開いた。
「ぬしら、これは一体…」
「どんなに頭の命でも、今回は聞けません。私らは副頭に処罰は不要だと思います」
「どうしても切り捨てなければならないなら、罪人を処断できない私らも、一緒に切り捨ててください」
「…お前ら…」
音の正体は、団員たちが床に投げたクナイの音だった。全ての団員たちの足元に転がるクナイを見て、私の瞳にはじんわりと涙が浮かんだ。何やってんだ、このバカたちは…。
「しかし、吉原の法を反故するなど、百華の副頭が…」
「頭!よく考えてもみてくださいよ!副頭が仕事をサボってフラフラするなんて、日常茶飯事じゃないですか!」
「ちょっと待って、流石にそれは言いすぎじゃね?!」
「それがたった一週間無断外泊したくらいで何ですか!門限厳しい親じゃあるまいし!」
「そーですよ!頭!副頭の放浪癖は今に始まったことじゃないですよ!」
そうだ、そうだ!と私を擁護する気があるのかないのか分かりかねる発言を皆が口々に月詠に向けた。月詠は突然の団員たちの言葉に慌て始めた。
「それに副頭は、ずっと私たちのことを護ってくれていたじゃないですか。ずっと吉原を護ってくれていたじゃないですか。…ずっと頭のことを護ってくれていたじゃないですか。副頭がいなくなったら、これから誰が頭を護っていくんですか。副頭は、百華、吉原、そして頭にとって、必要な存在なんですよ」
その言葉にとうとう抑えていた涙が頬を伝って流れた。どこまで出来たヤツらなんだ。そんな言葉、どこで覚えてきやがった。いつもは散々いじり倒すくせに、内心そんな気持ちで私を見ていてくれたのか。初めて触れる団員たちの気持ちに、申し訳なさとありがたさで胸が苦しくなる。口を噤んだままの月詠は詰め寄る団員に押し負けたように、私に背を向けた。
「……ぬしらの好きにしなんし」
月詠の言葉に、わぁっと歓声をあげて次の瞬間団員たちは私に飛びかかってきた。
prev / next
bookmark